君の声




「あのね」

りん、と。
人の声帯から震える空気が何故か夏の風鈴に似た透き通った音に聴こえて、俺は戸惑いの色を隠せなかった。だってそいつはそんな大人しくないし、繊細とはかけ離れた性格だ。勉強よりも運動が好き、だから学校の宿題はいつも俺に押し付けるという最悪な女なのだ。だが彼女は底無しに明るく元気で、自然と人を惹きつける才能がある。かくいう俺もその一人であって、かつ彼女と親しくする学生の一人……だったはずなんだ。

「……今だけ、こうさせてくれないかな……」

ぎゅっ。
彼女―――高橋優菜は、甘えるように背中から抱きつく力をほんの少し強めた。

何の悪戯だよ高橋…!!

不意打ちすぎて反論の一つも浮かばない俺がいた。

高橋は連絡も無しに勉強会とのたまって、実家の二階にある俺の部屋に乗り込んで来た。お客が来ると聞いていなかっただけに全くもって整理整頓できていない乱雑な部屋だが、『ンな細かいこと気にしないから大丈夫だよ』と言いくるめられてしまい今にいたる。小さなテーブルの上に並んだ宿題のプリントだけがぽつんと並んでいることは確かに勉強会の名残であり、わからないのは高橋の選択した行動ただ一つだった。

心臓の動悸が爆発的に鳴動を繰り返す。いつの間にか、汗が滝のように吹き出していた。真冬に放り出されて凍ったような体は、しかし圧倒的な熱量を蓄えていく。今にも沸騰して空気中に溶けるんじゃないかと危惧したが、現実はこうだ。

高橋が俺の背中に抱きついた。

理由はわからん。もし思い当たる事項が頭の中で埃を被っているのであれば、喜んで冷水を飽きるほど浴びて洗い流してやろうじゃないか。

だが事態はこれで終わりそうにない。理解不能な行動を現在進行形にて実行する当の本人は俺の動揺など露知らずといった風体で、更なる問題を引き起こした。

「ね、長谷川」
「なな、なんだよ」

心身が非常に乱されていたからか噛んだ。情けない、と思った矢先に背中に何かが押し付けられる。柔らかくて、固い。これは位置的にも高橋の額…だろう。

「…らしくなくて、ごめんね」
「は?」

俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
今、こいつは何と…?
いつになく弱々しい声を間近にして、ようやく違和感が急激に浮上してきた。

そうだ。いつもの高橋なら背中を遠慮なしに叩きつけ、「ぼーっとするな」と言う場面だ。

おかしい。ようやっと俺は疑問にたどり着いた。一部の正常な思考が混乱から抜け出し、背後の高橋に向けられる。

「……何かあったのか」
「……別にぃ」

高橋はむくれたような声音を出したが、その抱き締める力は更に温もりを求めるように一層強くなる。なんだかんだで読みやすいやつだ。何かあったのは確実だろう。年中常夏気分で自己中だらけのこいつにもヘコむ事があったんだな、と俺は若干ズレたことを考えた。

しかし落ち込む誰かを見捨てるような真似はしたくない。できるだけ、高橋の好きにさせてやろう。

「…わかったわかった。背中、貸してやるから」

観念した様子を出した俺が、すっと力を抜いた時だ。

「ありがと」

高橋の安心しきった言葉が届けられ、そして沈黙が訪れた。なんだ、意外に大人しいな。
と、余計なことを考えたら急激に視界が真横にスライドしていき―――って?

俺は変化に対応できず、ただ体を床に倒してしまった。力を抜いたせいで高橋のなすがままになってしまったらしい。

「ちょっと待て、たかは…」

俺は未だに後ろに抱きついている高橋に抗議しかけ、体を反転させようともがいたがビクともしない。

「ん〜」

高橋は眠りを邪魔された子供のように変な声音を上げた。と同時に、すうすうと心地よさげな寝息が届く。

待て高橋。お前、もしかして俺を安眠枕代わりにしてないか?

そのような当然の抗議も、夢の世界に旅立った高橋には聞こえないだろう。

かくして俺は不本意ながらに高橋の安眠枕として活用される羽目になった。

……いつ起こすべきかな。

マイペースを地でいく高橋はいつも一人で先走り、それが高橋優菜の魅力でもある。裏を返せば、いつでも無茶しすぎて心配をかけてくれるのだ。悩むのはいつも俺ばかりである。

まあ、いっか。
俺は静かに目蓋を伏せた。勉強はおろかゲームも高橋に制限されている以上、動くことは御法度だ。とりあえず高橋にならい、俺も寝ることにした。





後で部屋にやってきた俺の母さんにからかわれたことは言うまでもない。

END.



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