不器用な二人
一般的に『高嶺の花』と称される美少女はそうそういない。
顔よしスタイルよし頭よし性格よし愛想よし全てよし…。
そんな完璧人間というのは聖母マリアか天才彫像師が魂を込めて掘った女神像くらいだろう。
少なくとも、俺はそう思っている。
「……浅野さんは、今日も綺麗だなぁ」
先ほどまで担任教師の愚痴を一方的に語っていた友人が唐突に話題の路線を変更させた。毎回のことだ。慣れきった俺は昼休みを満喫すべく、さっさと弁当の飯を口に運ぶ。今日は焼き肉がメインなので案外食が進む。夕飯の残りを活用さえしていなければ、もう少しおいしくいただけたものを…。
「聞いてんのか俊也(としや)?」
「ああ」
「冷めてんなぁ、流石は『冷徹の井上』」
興味無いからな。態度で察してほしい。
だがこの友人はしゃべりだすと止まらない、いわゆるバカだった。ついでにそんな奴と昼休みを共にする理由はただ一つ、腐れ縁だからである。
「正直、お前が羨ましいよ」
「なんでそうなる」
脈絡のない会話もお手の物な友人に相槌を打ってやる。いちいち返答に困るこいつの質問は面倒だが、ひとまず応えた。
「浅野さん」
「……が、どうした」
「おっまえ自覚しなさすぎだろ」
バカ友人に馬鹿にされてしまった。そもそも会話の意味が噛み合っていないのだが、友人は噛み合わない会話を正当なやりとりだと主張しているらしい。
俺は食べ終えた弁当を包みながら、あえて疑問をぶつけてやる。
「自覚も何も、俺が何をした」
ふと気が向いて話題の中心である浅野に視線を移す。浅野陽子は数人の友人に囲まれて微笑んでいた。友人がこの光景を直視したならば『可憐な華のようだ』とうっとりするだろうが、俺は何とも思わない。というよりは思えない。
しかし友人は口を酸っぱくさせて、理由を告げる。
「ったく、お前が浅野さんと幼なじみって事実を俺と入れ替えたいよ」
……幼なじみ、か。
くう、と目元に腕を当てて悔しがる友人。
だからどうした、という俺の意見を少しは耳にしてほしいが、どうやら今日も会話が一方通行で終わりそうだ。
やれやれ。知らず知らずのうちに溜め息が漏れる。
―――浅野陽子と幼なじみという事実は正しい。周囲の男子はそれだけで基本的に無口な俺と仲を保とうと必死になり、周囲の女子はそれだけで愛想皆無な俺を特別視する。
だが俺は真実を知っている。
学校の教育時間終了の鐘がスピーカーから鳴らされた。新任の担任教師の演説もとい注意事項を聞き流し、俺は帰宅準備を始めた。帰宅部なのは勝手がいい、自由時間が増える。
と、教科書を手提げ鞄に詰め込んでいたその時だった。
「井上くん」
意外な人物が隣に立っていた。
「何だ浅野」
無愛想、と勘違いを受けるような淡々とした声で呼び掛けに応じる。これが普通の態度だと理解している幼なじみは、笑みを浮かべて要件を述べた。
「一緒に帰りましょう?」
「ああ、わかった」
普通に返答を発した瞬間、教室の空気が化学変化のごとく質量を増した。
男子は震えて泣きそうな表情に加えて拳を握り締め、女子は少しだけ悔しい顔になりつつも紅潮する始末。
とりあえず空気が重くなったのは確かだ。
原因の元である浅野だけは変わらずにこにこと笑っている。
……仕方がない。急ごう。
「行くぞ」
宿題に必要なだけの教材を詰め終えた俺は、浅野を置いていくようにして教室を出た。
浅野と俺の家は隣同士。昔から、というよりは家族ぐるみの付き合いで、お互いがお互いの特徴や好みを把握しきっている。
当然通う学校も同様になり、通学も同じような道のりになり、いつしか同じように通う。家が近く、かつ幼なじみというのが理由だ。
しかし家族ぐるみで付き合っているからこそ、俺は『浅野陽子』を知っている。
そう、こいつは……
「あーあ、疲れたっ! もう、気を張ってばかりで疲れたっ! いやぁ、俊也といると解放感あるから助かるよ!」
化けの皮が剥がれた浅野陽子は……決して『高嶺の花』ではないということだ。
あえて表現するならば、あの友人と同意義的なまでに馬鹿で、
「ったくもー。あんな演技をしたくないのにさ、母さんが社交辞令を学ばないと小遣い減らすっていうし困ったよ! あー、早く田舎に就職して自由になりたい! フリーダム!」
強引で無茶苦茶で唯我独尊なのである。
毎度のやりとりに頭痛を伴うのは俺にとっての恒例行事だった。
「……あと二年待てば就職できるだろう」
「でもさ、あと二年もあるってのが我慢ならん! あたしは一刻も早く素に戻りたいんだ!」
もう戻っているだろ。
呆れて二の句を継ぐのも面倒になる。これならあの友人の会話の相手をしているほうがまだマシだ。
「ところで俊也」
「ん?」
「一緒に帰るの久しぶりだね」
「ああ」
……そういえば、そうだ。
俺と浅野は小、中学校までは日常的に共に帰宅していた。
ちなみに冷やかしの声は浅野の美貌の前で上げる者はおらず、むしろ嫉妬の視線が多かった。
しかし高校生活は違う。
俺は帰宅部、浅野は陸上部。俺はともかく浅野は部活に追われ、勉強も難易度を増していく。一方で交友関係も活発になるこの時期、一緒に帰宅できる時間は自ずと制限されていった。
だから、このようなやりとりも久しぶりだ。面倒ながらも遠ざかっていた日常の懐かしさに目を細める。
「で、本題なんだけど」
「何だ」
「俊也、就職先考えてる?」
「特には決めてない」
思ったままに言葉を紡いだ途端。
浅野の瞳がきらっきらと眩く輝いた。
……。嫌な予感が駆け巡る。きっとよからぬ企みを実行しようとしているのだ。経験から言わせてもらおう、絶対に逃げ道は無いに等しいな。
恐る恐る、俺は尋ねた。
「何で俺の就職先が気になる?」
浅野は意地の悪い笑みを作った。教室内の可憐な微笑みの面影すら見つからない。駄目だ、絶対に何かを企んでいる。
浅野はふっふーと上機嫌にステップを踏んだ。
「だったら田舎に就職決定〜!」
「は?」
「ちなみに君に拒否権はない。理由はあたしが決めたから」
待て、意味がわからない。
疑問に疑問をぶつけようとする俺だったが、暴走した浅野は隙を与えてはくれなかった。
「というわけで、今日はあたしの家で会議ね。勉強ついでにゲームソフト持ってきて。暇だから」
「いや、だから……」
状況を飲み込みたくない俺が抗議の声を上げかけるが、浅野の性格に釣り合わない細い指が鼻先に触れる。
「言っただろう、君に拒否権はないと」
……まったく。
逃げ道をことごとく粉砕された俺は観念し、肩の力を抜いた。浅野の強引さには慣れている。
「だから今日、部活サボったのか」
「おお、よくわかったね。御名答〜」
無邪気にぱちぱちと拍手が送られる。
同時に呆れた。
この季節の陸上部はかなり張り切る時期だが、浅野は俺と話がしたいがためにサボったらしい。どうせ「少し頭が痛いから…」と儚げな演技で周囲を騙したのだろう。
やっぱり、浅野は浅野だ。一つの目的を達成するために用いる手段は無茶苦茶かつ強引なものしか選ばない。
―――つまりこいつは、家でゲームがしたいがために俺を罠にはめたのだ。
「じゃ、電話するから」
「ああ」
お互いの家の玄関まで辿り着き、軽く手を振って別れる。
だが、何故か気分は悪くない。
浅野の好みのゲームは何だったかと考えながら、俺はドアノブに手をかけた。
不器用な二人。
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