灼熱の砂漠王国アラバスタとはいえ、照り付ける日が落ち静けさと暗闇に包まれれば、その熱は瞬く間にどこかへと消え去る。
肌寒さすら感じるその部屋――レインディナーズ地下の一室に、カツンカツンと定期的に金属音が鳴り響いていた。
カジノの主であるクロコダイルが左手のカギ爪で無意味にテーブルを叩く音だった。
軽い苛立ちの表現であるそれの通り、不機嫌に、どこか虚にも見える瞳はただ一点を見つめている。
その先にあったのは、クロコダイルをただ見つめる一人の女性。
「……何か、言う事はねェのか、ユメ」
しばらく続いていた沈黙と金属音が途切れると、クロコダイルは立ち上がって彼女の側へ歩みよった。
羽織っていた特注の毛皮コートを面倒臭そうに被せようとしたが、ユメは「立派なコートなんだから汚れたら大変」と笑って身を引いた。
「もう、いつも意地悪なのにそんな紳士ぶらないで。雨でも降るんじゃないの?」
「馬鹿が、滅多な事言うんじゃねェ。せっかくこの国から雨を奪ってやったってのに、それじゃ今までの努力が台なしだ」
「……努力?」
ふふっ、と笑ったユメにクロコダイルは下がり気味の眉をほんの少し釣り上げた。だが、本気で怒りを感じている様子では無い。
普段の彼ならば、ほんの少しでも自尊心を揺るがす人間が目に入ればその刹那、一人残らず殺す。
七武海の一角、サー・クロコダイルとはそういう男なのだ。
だが、今この瞬間、彼はただ皮肉の入った笑みを浮かべるだけだった。
「今日は優しいのね。そんなに計画が上手くいっているのが嬉しいの?」
「思い通りに事が運べば当然だろう」
「応援はしないけど、私、あなたが幸せになる様祈ってるから」
「ハ……回りくどいな。そりゃ応援してるって意味じゃねェか」
燻る葉巻をくわえる口は孤を描き、甘ったるい煙が一層漏れる。
それを浴びたユメは顔をしかめて唇を尖らせた。
「違うわよ。他人に迷惑をかける行為なんか、私は応援しません」
フン、とクロコダイルは鼻で笑った。偽善に塗れた、馬鹿な女だ、と。
最初からこの女はこうだった。勝手に正義とやらに憧れを持って、殆ど盲目的に『国の英雄』を愛したのだ。
遊ぶ女は馬鹿ぐらいが調度良い。その程度で始まった関係だったのに、いつまでも、国の英雄の裏側を知ってさえ、見つめてくるユメの瞳は今も変わらず輝いているままだった。
(本当に――馬鹿な女だ)
――これからどうなるか、全て分かっているくせに。こんなくだらない会話をダラダラと。
ご丁寧にも、わざわざ自分からこんな場所へ訪れて。
「……ごめんなさい、余計な事を沢山知ってしまって。何も知らなかったら、あなたの迷惑にはならなかったのにね」
――そう、何も知らなければ良かったんだ。
何も知らず、本当にどこまでもただの馬鹿な女でいれば。
そうしたら、これからも
「あなたのその道は応援したくないから、とても矛盾してしまうけど。それでも私、本当に心から祈ってるのよ。あなたが幸せになれる様、ずーっとね。だから」
――矛盾ってなんだ。おれの幸せをてめェのものさしで計るんじゃねェ。
野望とそいつは別物なんだ、おれはとっくに
「……そんな顔しないで。私は、このままじゃきっと黙っていられない。でも貴方の邪魔になるのだけは嫌だから。だから、今の私にはこれが1番の幸せなの」
「……理解できねェ馬鹿だ、お前は」
「そうね、ごめんなさい」
――他の道はありえない。野望に溺れたおれにお前が謝るなんざ、そりゃ遠回しな嫌みのつもりなのか。
本当は、偽善の仮面の下で罵倒しているんだろう?憎んでいるんだろう?
そうでなければあまりにも。
こんなもん、それこそ馬鹿で、道化じみたふざけた結末じゃねェか。
くわえた葉巻があと一歩でちぎれてしまいそうな程、ギリギリと強く噛み締めていた事に気付いたクロコダイルは、イラつきを抑える様にそれを灰皿に目一杯押し付けた。
いっそ心の底から憎んでくれた方が、100倍は楽だった。
憎まれるのは、とうの昔から慣れているのだから。
「さようなら、」
クロコダイルの胸にもたれたユメの顔は、とても安らかだった。
背中に回る彼の右手の包容に、心から満足する様に。
その背中には、彼女の胸から貫通した鉤爪の先端もまた、冷たく光っていた――……