「あ……」


繭は、己の運の悪さを心底呪った。
先日、年貢未進の末に一揆を起こした村を壊滅させた松永軍は、村人数人のみを生かし牢へ収容していた。
理由は無論、みせしめ。公に磔(はりつけ)の刑に処し、その後首を晒して『一揆を起こせばこうなるのだ』と、民百姓の脳裏へ徹底的に刷り込ませる為だ。

その、牢に居る筈の囚人達が、今繭の目の前に居た。
勿論此処は牢ではない。城内の、何故か門外とはまるで方向が違う奥に存在する中庭だ。
確かに、侵入者を翻弄させる為に入り組んだ造りにしているのだから、迷うのも道理だろう。
が、奥への侵入を阻止する為の物が、逆にこんな所まで見付からず侵入させてしまうなど、あまりに本末転倒ではないか。
牢番は……悲しい事だが恐らく百姓程度、と油断していた所に隙を突かれて脱獄でもされたのだろう。
牢から出る事が出来、そして気が動転して目的とは真逆の方へ逃げて来たのか。それにしても本当に、よりにもよって何故この場所なのか。

最も最悪な場所――主君、松永弾正久秀お気に入りの枯山水――その砂の上に彼らは立っていた。
繭を見てジリジリと身じろぎしたおかげで、美しい砂紋はあれよあれよと形を崩していく。
今この瞬間に限っては、牢破りより何よりもその光景に最も、目眩がした。


「ひっ……み、見付かった……!?」

「お、おお、落ち着け女だ!こっちは三人、なんとでもなる!!」


血眼になって百姓の一人が抜き身の刀を繭へ向けた。牢番の刀だろうか。
突っ掛からずに逃げてくれれば、まだお互い幸いだったのに。
ますます悪くなる自体に倒れてしまいそうな気さえした。


「……それを、おしまいなさい。刀を向けられれば、私は貴方達を斬らなければならなくなる」

「う、うるせぇ!罪もねぇ女子供まで皆殺しにしやがったくせに、どの口が言ってんだ!おら達の事だって……くそ、そうやって権力かざして、やってるのはただの人殺しでねぇか!!」


その言葉は重く重く、まるで重石の様に繭の胸を押し潰した。心の底から否定したい。だが、出来る訳がない。
何を話そうと胸の内に何を思おうと、命令通りに働き、彼らを罪人と口にした繭は彼等にとって残酷無比の久秀となんら変わりはないのだ。
そう思うと吐き気がした。しかし、現実は恐ろしい程明確に、今目の前の男から突き付けられている。


「お、おら達は死にたくねぇ……ただ、自由になりてぇだけなんだ!」


悲痛な叫びを上げながら、百姓の一人が繭へ刀を高々と上げて切り掛かってきた。
ろくに刀を持った事が無いと一目で分かる太刀筋。動作が無駄に大きく隙だらけで、めちゃくちゃだ。
繭が左に跳んでかわしてから一歩遅れて振り下ろされた刀は、ただ床を削るのみに終わる。
そして次の瞬間にそれは、真横に薙いだ繭の刀によって、いとも簡単に百姓の手の平から弾かれてしまった。

これが、経験のある者と無い者の差。
刀を一瞬にして失った男はありありと絶望を滲ませ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
しかし、泣きたいのは、こちらも同じだ。


「……お行きなさい」

「……は?」

「私は、何も見ませんでした。出口はあちらです。早々にお逃げなさい」


――言ってしまった。
これがどんなに罪深い行為かは百も承知。見付かれば勿論繭自身もただでは済まなかったが、体と口が勝手に動いていた。
しばらく訝しげにしていた百姓達だったが、目配せしあうとそろそろと後退り、繭が指差した方向へ慌てて走っていく。
逃げ惑う彼等を眺めていると一人、先程刀を向けてきた男がふと振り返って申し訳なさそうにし、少し間を置いて軽く頭を下げた。


「あ、ありがてぇ」


繭は複雑な感情が込み上げてくるのを感じた。
礼を言われる事は、何もしていない。
そもそも彼等を捕らえ村を殲滅したのは他ならない松永軍であり、自分はその先陣をきらされていた。
憎まれて当然の立場だというのに。
……だからか。自分がこんな事をするのは。

わたわたと逃げる百姓達の背を視線で追いながら、僅かながら軽くなった胸に手を置いた。
指差した方向は、比較的手薄な門への道だった。
今は有事があるわけでもない、兵も皆油断している。
可能性は低いだろうがこれで何とか、見付からなければ。
見付かったとしても何とか逃げ出せれば……

繭のそんな淡い期待は次の瞬間泡沫と消える事となる。


「ぎゃあああああああ!!!」


無残な悲鳴がしたのとほぼ同時。爆発音と爆風が庭を包み込んだ。
黒焦げとなってバタリと倒れる二人の百姓を呆然と見詰めていると、ギシリと鶯張りの床が鳴る音が背後から耳に届いた。
息が止まる。
そこに誰が居るのか。……考えるまでもない。予想など無意味な程明白だ。
故に振り返る事も呼吸すら忘れてしまったかの様に、繭はそこから微塵も動けなくなってしまった。
 
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