「毒」だ。
苦く甘く、身体の芯へ素早く染み渡り、そこからゆっくりと神経を侵し全てを溶かしていく恐ろしい毒。
意識を深い闇へひきずりこみ、信念と良心を奪い、ただ己に忠実な獣とさせる。
松永久秀というこの男の「声」は、まるで猛毒の様に人を蝕み、支配するのだ。



やせ細った男が、自分の腕の下でガタガタと震えている。それはこの降り積もる雪の冷たさによる物ではない。
男は百姓。身体の自由は縛り付ける縄で奪われ、恐怖で声も出せず、ただただ悲痛な視線を送って来ていた。
その視線を無視して蓑を着せようとするこの腕もまた、同じ様に震えている。
悟られてはいけない。この男にも、そして後ろに佇むあのお方にも。
これは職務なのだ。そして義務なのだ。
繭が何度も自分に言い聞かせながら蓑を着せていると、彼女の背後から低く笑う声が漏れた。


「首尾よく行いたまえ」


気づけば周りの者は既に百姓達に蓑を着せ終えており、繭だけが手間取り遅れをとっていた所だった。
慌てて蓑の紐を結び、主、松永久秀の元へひざまづく。
背に引き攣った様な息を呑む気配を感じつつ、何も感じていない様に取り繕ってみせる。


「申し訳ございません。只今整いました」


頭上に機嫌の程を伺っていると、「ご苦労」という言葉だけが降ってきた。
囁く様で、いつもより少し昂揚している様な声色。
機嫌を損ねていない事に安堵すると同時に、彼が昂っている理由に吐き気を催した。
今、この男が何をしようとしているのか。考えるだけで身の毛がよだつ。

急いでその場を下がり、主の背後に回った。巻き添えは食いたくない。
久秀は抜き身の刀を弄びながら、ゆっくりと百姓達へ歩み寄ってゆく。


「――さて諸君。卿等の罪は何だったかね。……そう――年貢未進、そしていやはや、恐れを知らず私の施政下において、勇敢にも一揆を起こした事だ」

「だ、だから今年は大飢饉で、飢えないようにするだけで手一杯なんだ!年貢なんてとてもでねぇけんど……」

「その勇気には敬意を込めよう。しかし年貢は民衆の責務。それを負う事を拒み、捨て、しかし権利だけは主張したいとは。成る程実に我が儘且つ卑俗、罪深い思考だ」


百姓達の声を遮り流暢な言葉で切り捨てる。
元より反論も弁解もさせる気は毛頭無いのだ。
ただ、いたぶっているだけ。彼らは追い詰められた兎であり、久秀はそれを狩る捕食者だ。
瞳は猛禽類の様に加虐に光り、口元はさも愉快だと言わんばかりに弧を描いている。
そして今、たっぷりと恐怖を与えられ、怯えきった兎に梟自らが手を下す。心底、彼は楽しんでいた。


「欲望に忠実である事は結構だ、嫌いではないよ。が、実に残念。それを通せるのは力を有する者のみなのだ――このように」


高く上げられた左腕の指先が見えて、繭は反射的にきつく目を閉じた。
同時にパチンと軽く小気味よい音が聞こえ、次の瞬間には予測していた恐ろしい爆発音が鼓膜を震わせた。
爆風で、息が出来ない。


「っははは……見たまえ、蓑虫踊りだ。中々風情があるだろう」


間を置いて、断末魔に混じり信じられない言葉が悪魔の誘いをするのが聞こえた。
見たくなどない。それでも主が見ろと言えば、見なければならない。
薄く瞼を開ければ、見えてきたのは満足げにこちらを向いて笑う久秀と――朱。
飛び散った人の体、血に染まる雪、そして炎に包まれもがき苦しむ百姓達の成れの果てだった。
この想像以上の地獄絵図を、久秀は蓑虫踊りだと、嘲う。
あまりの悍ましさに繭は込み上げてきた物を我慢出来ず、ついその場で嘔吐してしまった。
久秀の見ている目の前で。


「ぐっ、ゲホッ……う……っ」

「……何をしている」

「……もっ……申し訳、ございません……!し、しかし、これは……あまりにも……!」


背筋が凍る。あまりの苦しさに、つい口をついてしまった。
涙が滲み、全身が震えて立つ事すら出来ない。
しかし、やはりどんなに言い聞かせても、自分を騙す事は出来なかった。
いくらなんでも、ここまでする必要があるのか。これで終わりなどではない。村人全員例外無く、女子供まで逃がすつもりもないのだ。あまりにも、あまりにも……


「――非道、だとでも?同情しているつもりかね。ただ愚かな罪人共に罰を、そして見せしめとして必要な行いをしているだけだ。何を悲しむ必要があるのか」

「わ、私は……」

「これを一時の感情で情けを与えてみたまえ。放っておく事は例外を生むという事だ。例外は怠惰を生み、しだいにそれは民衆の通例となり、やがて大きな反乱心の火種となるだろう。政は阻まれ身動きが取れず、建て直すには更なる血が流れる。それを良しとするとは、卿は私が思っていたよりもずっと残酷な人間だった様だ」


くつくつと喉の奥で笑う久秀は、繭が見たどの久秀よりも残酷で愉しそうな瞳をしていた。
先程まで百姓に向けられていた猛禽類の瞳が、今この瞬間、自分を見つめている。
 
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