夕闇に包まれようとしている中、ぼんやりと薄明かりに照らされて浮かび上がる久秀様の御姿が見えた。
何やら表情は穏やかでどこか憂いを帯びており、その横顔を見ると胸が高鳴る。と、同時に、何故か少しだけ寂しい想いに駆られた。
気付かれない様にそっと近付こうとしたが、鶯張りの床板ではそれは到底叶わず。ほんの一歩踏み出しただけで、呆気なく気付かれてしまった。


「繭か」

「あ、はい……!あの、何をしておいでなのでしょうか?」


こんなにお寒いのに。そう言った私の口からも、久秀様の口からも白い息が漏れている。
昨日の夜から降り積もった雪でめっきり冬らしい気候になったというのに、久秀様は外気に晒され冷え切った床板に胡座をかいて佇んでいた。
それなのに、寒さなど微塵も感じていないかの様に、その表情はどこまでも穏やかなのだ。


「少々、火を愛でていてね。つい時を忘れてしまったよ」

「火、でございますか?」


首を捻れば久秀様は薄く笑うと再び灯火へと視線を移した。


「空気の乾燥した環境は実に好ましい。火薬は湿気ないし火の燃え方が格段に違う。この寒さもまた、火の放つ熱の心地良さを最も実感させてくれる」


――それに何より、戦でも皆良く燃えてくれるのだ。
最後の言葉は一瞬意味が解らなかったが、解った瞬間ただでさえ寒いのに一層寒気がしたので聞こえなかった事にした。
それを察したのか久秀様は「君には理解出来ないだろうがね」と鼻で笑った。
何だか馬鹿にされた様な気分だ。


「火の暖かさについては、理解しておりますよ。冬の火は誠に有り難いです」

「くくっ、そうか……君のそういう所は嫌いではないよ、いや愉快愉快」


また随分と愉しそうに厭味、そしていつもの子供扱いだ。幼い時より仕えているとはいえ、今は見ての通りもう立派な大人へと成長したというのに。
内心で不満を募らせていると、久秀様はいつの間にか私から視線を外し、すっかり暮れてしまった中庭を照らす火をまた見つめていた。


(――真剣な、お顔)


穏やかで憂いがあるのに、どこか艶やかささえ感じる。そんな顔を、自分は未だかつて見た事があっただろうか。
見ているだけで胸が高鳴り切なくなる様なその顔を、久秀様は自分に向けてくれた事があっただろうか。
否。有る訳が無い。私に向けられる顔はいつだって、意地の悪い余裕ぶった大人が子供を見つめるそれだったのだから。
――ただの火に、そんな顔をするくせに。
私はそんなただの火に負けているのだ。そう思うと何だか酷く悲しくなった。
訳が解らない。何故こんな気持ちになるのだろう。


「……っくしゅ」


日が落ち先程よりも増した寒さから、思わずクシャミをしてしまった。
久秀様はちらりとこちらを見遣ると構わず早く室内に入りなさい、と促して下さった。
……まだ、見ていたいのに。
いつまでも部屋に入らずそこに怖ず怖ずと動かない私を怪訝に思ったのか、久秀様は眉間のシワを深くして首を捻った。


「どうした。女子があまり体を冷やすものでは無いよ」

「あ、あの、私もその。少し見ていたいのです。お、御傍に行っても……よろしいですか?」


その御顔を強く記憶に刻み込みたい。そんな欲求がいつもより自分を大胆にさせた様だ。
普段なら出ない様な私の言葉に少し驚いたのか、久秀様は切れ長の瞳をほんの少しだけ見開いて動きを止めた。
が、すぐにまたあの余裕たっぷりの笑みを広げる。


「そうか、構わないよ」


失礼ではないか、と不安が募っていた為優しい声音に安堵して胸を撫で下ろす。しかし来なさいと促された場所が予想外すぎて、思わず自分の目を疑った。
久秀様は自らの膝をぽんぽんと叩いていた。
……それはすなわち、意味するのは、やはり、そうなのか。そこなのか。何なのか。
軽く混乱して訳が解らなくなっていると、久秀様は非常に残念そうな顔を作るとわざとらしく口を開いた。


「何だ、嫌なのかね。ならば仕方ない……もう夕餉の時刻だな。さてそろそろ――」

「い、嫌ではございません!!」


思わず出た自分の言葉に私自身が驚いていると、ククッと押し殺した様に笑われてしまった。


「早く座りたまえ」


こうなればもう、行くより他はない。
しかし、恐る恐る近付いても伸ばされる手を中々取る事が出来ないでいた。
いつも下から見上げているこの視線が、その主の上にある今この状態ですら恐れ多くて仕方ないのに、主の膝の上に、乗るだなんて――

もたもたしている私に痺れを切らしたのか、差し延べられたまま待ちぼうけを食っていた大きな手は私の着物を掴むとグッと下へ強引に引っ張った。
体勢を崩してなだれ込む様に久秀様の胸へ寄り添ってしまい、慌てて離れようとするが腰はいつの間にかがしりと固定されており、その試みは不可能に終わる。


「温かいな」


頭のすぐ上に聞こえる、低く落ち着いた御声。
耳元でゆるやかに規則正しく打たれている心の蔵の音。
夢ではないか、と思う。
今まで遠かった声も体温も、今はこの身に感じる程近くにあるのだ。
当たり前の事なのだが、この状況に狼狽しているのが私だけなのが何だか恥ずかしい。
しかしそれ以上に恐ろしさと嬉しさが織り混ざった奇妙な気持ちで、胸も頭も一杯になって。

……舞い上がってしばらく気付かなかったが、ふと、唐突にこの体勢に違和感を覚えた。
見たいと言った筈の火は何故か背の方にあり、見えるのは久秀様の胸元のみなのである。
 
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