はらり、と。開け放たれた子窓から覗く青空から、小さな桃色が舞い降りて来た。


「ああ……もうそんな季節なんだ」


桜の花びらを拾い上げ、繭は柔らかく微笑んだ。それは滅多に部屋から出る事を許されない彼女への、僅かな季節の訪れの報せだった。


冷たかった風が気付けば優しく頬を撫でる様に変化している。
流れ来る緑の香りもなんだか一層、増した様に思えた。
いつも開けているそこからの景色からは高い塀に阻まれて見えないが、きっと桜も満開の時期なのだろう。
繭は久しく見ない美しい桜を、先程舞い降りた桜の花びらを眺めながら思い描いた。

独特の甘い香りと広い青空に映える鮮やかな桃色。故郷に咲き乱れる満開の桜が風に舞うその光景は、乱世から切り離された楽園の様にさえ思えた。
何だか酷く、懐かしい。


「繭」


――突然後ろから聞こえた声に、ぶつりと優しい時間は途切れてしまった。あの方――自分を籠の鳥にした、松永久秀の声で。


「……はい」


ゆっくりと振り向くと、そこにはいつもの彼の姿。
しかし雰囲気が少しだけ異なった。
――ほんのりと、笑んでいる。
勿論、いつもの人を見下した嘲笑ではなく。


「久秀様、何か良い事でもあったのですか」

「いや、何故かね」

「お顔が、いつもよりお優しい気が致します」


そう言った繭の言葉に久秀は僅かに目を丸くした。
そして癖のようにいつも後ろに添える左手に握りしめていた物に、ぐっと力を込める。
繭は、久秀が何を持っているかすら気付いていない。


「良い事、か。そうだな。今日は卿に土産があるのだよ」

「……土産?」


首を傾げる繭の目の前に、ふいに桃色が揺れた。
二人きりの空間にふわりと穏やかで爽やかな甘い香りが漂う。
差し出された彼の左手には、美しい桜を付けた枝が一本、握られていた。


「……これ、は?」

「中々見事な枝振りだろう?卿が以前桜が好きだと言っていたのを思い出してね」


そう、小さな手に桜の枝を渡すと満足気に笑む。
繭は久秀の顔と桜に視線を交互に落とし、暫くして「ありがとうございます、嬉しいです」と静かに笑った。

――気まぐれ、なのだろう。全て。
笑みを繕う顔とは裏腹に、手渡された桜を見て思う。

……その枝の先端は、鮮やかな断面で平らになっていた。
明らかに、刀で切り落とされたのだ。
この人は知っているのだろうか。気まぐれで切断された部分からじわじわと腐り、やがて朽ちるこの桜の幹の運命を。
この枝も、それよりずっと早く枯れ果てる事も。


「結構。卿の笑みを見られたのだ、その桜も本望だろう」


――……知らないはず、ないのに。
全てを、この世の真理を悟っておいでのお方なのだから。
分かったその上で、欲望のままに奪うのだ。
その傲慢と冷徹があまりに恐ろしい。そして茶番の如き優しさのなんと憎らしい事か。
しかし。

希少なその微笑みに、どこか安堵している自分が、確かに居た。
それがたまらなく、哀しかった。

繭は手に取った桜の枝の断面を、丁寧に濡れた布で巻いて皿の上に飾った。
ほんの少しでも長く、輝いていてほしいと、祈りながら。
未来を絶たれた哀れな桜に、自分の姿を重ねながら。


(桜が朽ち果てるのと、私が朽ち果てるのと。一体どちらが早いのだろうか)


-終幕-
10.02.11



∇後書き
タイトルは桜の花言葉です。
     
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