「すみません、来年は必ず渡しますから」

「……私は"今すぐ"欲しいのだよ」


急に、それまでよりもワントーン低い声で言った久秀は、スウッと意地の悪い笑みを口元に描いた。
瞬時に嫌な予感がした繭は無意識に後ずさったが、アパートの廊下の幅はたかがしれていた。
すぐ後ろに壁が迫る中唯一の逃げ場になった横を、久秀の手がさりげなく遮る。


「は……?いや、でもあの、チョコは全部渡してしまいまして……」

「そうだな、甘ければなんでも構わないよ。そう何でも、ね」


久秀の冷たい手が、同じく外気に晒され冷えた繭の頬に触れる。
予期せぬ突然の感触と背に感じた壁の冷たさにビクリとその肩が震えた。
久秀の指はそれを面白がる様に、頬から唇へつうっ、と滑りながら移動する。

心臓が、早鐘を打っていく。
繭は混乱する頭で今何をされようとしているのか必死に理解しようとした。
しかしその間にも、久秀の意地悪な顔は繭の顔へゆっくりと近づいていく。
鋭く光る金色の瞳に、その姿が映り込む程迄に。


「……い、いやーーっ!!駄目です駄目!教育委員会に訴え」
「では、しかと頂いたよ」

「ますよ…………へ?」


"頂いた"、と言われても。警戒した感触はいつまでも来なかった。
不思議に思った繭はきつく閉じた瞼をそっと押し上げてみた。
ゆるゆると開けた視界に映り込んだのは、相変わらずの嘲笑を浮かべている久秀――の手に捕われている"見覚えのある可愛らしいチョコ"だった。


「……え。なっ!?ままま待って下さい、それもしかして……私が友達から貰ったチョコですか!?」


いつの間に!?一瞬遅れて大きく反応した繭に久秀は心底楽しそうに広がる口元を、申し訳程度に手で隠した。


「くく……いやはや何をされると思ったのかな、卿が頬を染めて身を縮めていた隙にだよ」

「……!」


久秀の言葉に更に顔を赤くした繭は事態に気付き、慌てて肩に掛けているバックを見た。
しかし当然ながら時既に遅し、閉まっていた筈のジッパーは予想通り見事に口を開けていた。
中には現在久秀の手の内にある友チョコ、しかもよりによって今年は特にお洒落で高そうなチョコが入っていた……筈なのに。


「全く昨今の少女達は本当に無意味な行為を好む様だな。さて、用は済んだのでこの辺で失礼させてもらうよ」

「え、ちょっ……本当にそれだけの用事だったんですか!?というか本気で取っていくんですか、それ貰い物ですよ!?」


チョコと共に悠々と立ち去ろうとした久秀は、繭の悲痛な声に足を止めると、ゆっくりとした動作で振り返った。
これまた清々しい程邪悪なスマイルで。


「……ならば、他に何か差し出すものでも?」

「ありませんすみませんさようなら」

「ふ、宜しい。――まあそう嘆く必要は無い。そもそも勉学に無関係の物、どのみち没収される運命だったのだよ」


機嫌を良くした様子の久秀はそう言い残し、普段よりも若干軽快な足取りで繭の視界から遠ざかって行った。
……悪ふざけにも、程がある。
一人残された繭は完璧に久秀の姿が見えなくなったのを確認すると「また、からかわれた……!」と嘆き、その場で悔しげにうなだれるのだった。




「……ふむ、やはり私はチョコという物をあまり好まないらしい」


繭から奪い取ったチョコを一粒口にしながら、久秀は一人自室で納得する。
友人からの貰い物を強引に奪っておきながらなんとも失礼な事だ。
自分でも横暴で理不尽な人間だとは思う。……しかし。

本当は、理由など何でも良かった。
チョコも口実に過ぎない。
こんな形でしか彼女に接する事が出来ない、まるで子供の様な自分が不思議でおかしくて……胸が締め付けられる。


「困ったものだ」


何時からだろうか。からかいの対象に過ぎなかったものが、己の中で何かに変わったのは。
体温で溶ける一粒のチョコを眺める久秀の瞳は、普段の氷の様な冷たさとは比べものにならない程穏やかに、優しさに満ちていた――


―終幕―
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