「これは困ったな、繭」

「……………………ま……松、永、さ」

「何とも気まずい物を目撃してしまったものだ。さて、どうしたものか……」


気力を振り絞りなんとか振り向けば、そこには今最も出会いたくなかった人物、松永久秀が左手を前に構えながら佇んでいた。
困った、などと口にしてはいるが全く困った風には見えない。
ただ弧を描いている口元とは裏腹に、瞳は笑みとは掛け離れた鋭い光を宿していた。
あれは、怒りを含む光だ。


「罪人が牢破りを働いたという報告を耳にしてね。無能な牢番に呆れていた所に『これ』だよ。全くもって悲しい事だ。”慈悲深い”卿の事、……よもや手引きをしたのも卿ではなかろうね」

「そ、その様な事!私はただ……!…………ただ……」

「ただ?ただ、なんだと言うのかね」


久秀は動揺する繭に近付くと、俯きがちなその顔を顎を掴んで無理矢理上に向かせた。
怯える瞳と加虐な瞳の視線がかち合う。


「た、ただ……私は、罪人を……村人達の牢破りを、見逃しました。か、彼等にこれ以上、重い罰を、受けさせたくありませんでした」

「成る程。素直に話した事は評価しよう。――しかし、私の記憶が正しければ、罪人には罰をと言ったのは卿自身だった様に思うが。酷く矛盾した行為だとは思わないかね」


繭は背筋が凍るのをひしひし感じながら、もう何度目か分からなかったがひたすらに己を呪った。
――本当に、何だというのだろうか。
自分は本当に本当に、何をしているのだろう。こうなる事は火を見るより明らかだったというのに。
頭で分かって行動しても心がそれを否定する。体が勝手に動く。それが良い方向に向かった試しは無いというのに。


「彼等はそう、罪人だ。そして牢破りという罪を重ねた。卿はどうやらあの者達に罰を受けさせたく無いようだが、卿も罪を犯し、また彼等の罰も更に重くなるのだ。重いな……実に重い」


憂いを込めた顔で久秀がそう言うと、その腕が僅かに動いたのが繭の視界の端で見えた。
あまりに何気ない仕種の様に見えたそれの先で、爆破から逃れていた百姓――繭に礼を告げた男の足が炎に包まれていた。
耳を塞ぎたくなる様な叫び声を上げる彼をよそに、久秀は驚愕で固まる繭を見つめたまま軽く溜息を吐く。


「生きたままじわじわと業火に焼かれ炭となってゆく。さぞ苦しいだろうな……惨いだろう?まだ首を跳ねられた方が余程楽だった筈だ。結局の所、卿は人を助けたかったのではない。ただ己の抱く罪悪感を軽くしたかっただけだ。……あれは半端な正義感を振りかざす、自分勝手な卿が招いた結果なのだよ」


違う、と言い切れない自分が居た事に繭は激しい絶望を感じた。
たたき付けられた非情な現実と、愚かな自身に思考が追いついていかない。ただ立ち尽くす彼女を尻目に、久秀はつかつかと百姓の元へ歩み寄る。
あ、という間もなくパチン、とまた指が鳴り今度は百姓の腕が燃えた。
致命傷にならぬ様わざと決定的な部分を外しているのだ。
延々と途切れる事無く庭に響くその声は正に断末魔の悲鳴そのものだった。


「や、やめ……」


繭の口から掠れた声が漏れる。
いけない。それだけは口にしてはいけない。
頭の中は警鐘を鳴らしその言葉に制止を投げかけた。
もうどうにもならない。残虐な主の背中は有無を言わせない。主の意に背くなどあってはならないのだ。
そうして固まったまま動けないうちに、百姓の手足はみるみる炭となっていった。

――それで。本当に、良いのか。
まただ。また自分可愛さに、このまま何もせず事が過ぎるのを待つだけで。
自分が動かなければ、あの者は死ぬ。
この世で最も大きな苦痛を受けて。
そしてそれは、紛れも無く自分のせいだ。
自分が殺す事と同じなのだ。
認めたくない。
けれど、認めなければならないのだ。

……あの村の時の様に。



「――やめて、ください!!!」


いつの間にか、繭は久秀の目の前に居た。
背には瀕死の百姓。
両手を広げ、百姓を庇う様に久秀へまっすぐ立ち向かっていた。
声も体も恐怖でせわしなく震えていたが、瞳だけは強く目の前の久秀の目を見据えている。

繭はもはや馬鹿な事をしているという事も、自分に後に降り懸かるであろう最悪な結末も全て脳から追い出してしまっていた。
ただ、今は、こうしなければいけないと何かが固く命じていた気がした。あの時と同じ事をしてはいけない。
それが結局自分の為だとしても。見殺しにして後悔するよりずっと良い。
背に百姓の息遣いを感じ、思う事はただただそれだけしかなかった。


「……はて。何のつもりかな?」


薄く笑む口元、わざとらしく聞こえる口調。
それらが一層恐怖を煽ったが、もう後戻りは出来ない。


「も、もう、お許し下さい……!お願いします、もうこんな事は……!私の招いた事ならば、ば、罰は私が受けます、ですから、もう本当に、これ以上は……!」

「ほぉ……見上げたものだ。数日前には見られなかった卿だな。だが――」


鋭い瞳が一層冷たくなる。
久秀は百姓に向けていた左手を繭に向けると、淡々とした口調で告げた。


「その勇気も巨大な力の下では全て無に終わるのだよ」
 
- 2/3p -
←* ♯→
≪戻る

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -