「ち、違います松永様、私はただ……!」

「それとも。卿が残りの百姓の身代わりになりたいとでも……?」


気付いた時には久秀の持て余していた刀の切っ先が繭の喉に触れていた。
遅れて小さな痛みが走る。先がほんの少し、肌を切り裂いて食い込んでいた。


「……あ……」

「何、他でもない忠臣の頼みだ。どうしてもと言うのなら、女子供は見逃しても構わないよ。卿の命を、縁も所縁もない彼等の贄とする気ならね」


冷や汗が一気に吹き出した。
今この瞬間、繭は捕らえられた。梟の鈎爪に。
そして生き残るにはただ一つ。「囮」を差し出すより他はない。それが一体どういう事なのか。
遠くから見詰める小さな村人達の必死な視線を感じながら、繭は追い詰められていく。
己の言葉一つで自分か、罪の無い弱き者達の命が奪われる、その恐ろしい現実に。


「答えたまえ。知っての通り、私はそう気が長い方では無いのでね」


ぐっと、喉に食い込む刀に力が込められる。
滲んでいただけの血はぷくりと小さな球となり、スルスルと筋を描いて繭の胸元に流れていった。
痛い。息が荒くなる。肺が空気を求める度に体が動いて喉の傷を無駄に広げた。
痛い。痛い。痛い。
心も体も果てしなく痛い。
どうしたら。どうしたら。
自分の命か、百姓の命か。
そんな事は、決められない。決められる訳がない。それでも決めなくてはならない。
そうしなければ


「無言、という事は――」


氷の様な冷たい瞳。何の感情も映さない口元が開いたのを見た瞬間、繭の強張った口が反射的に開いた。


「ど、同情など!……して、おりません。罪人は、全て、例外無く、処罰を与えて然るべき、存在です」


次の言葉が続けられれば、自分の命は確実に終わりを迎えていた。
本能がそれを阻止しようとしたのだ。
しかし、口が開けば次々と否定していた筈の言葉が自らの口から零れ落ちていく。
思ってもいない言葉が――いや、これが。本音だと。
ああ、そういう、事なのか。

首の痛みが和らぐ。フワリと頭を撫でられる感覚にはっ、と顔を上げれば、そこには先程とはまるで正反対の柔和な笑みが広がっていた。
力が抜ける。
安堵感に包まれ思わず涙が零れた。殺伐とした場と不釣り合いな程優しい笑みに奇妙な震えを覚えていると、耳のすぐ横でパチンと指の鳴る音が聞こえた。それを理解する間もなく、微笑みを浮かべる久秀の背で爆発が起こった。
目の前で、自分を見ていた弱き者達の命が、一瞬で消え去っていた。


「いい子だ」


そう言うと久秀は呆然としている繭を立たせる。美しい刺繍が施された布で涙と口元を拭ってやると、寒さと感情の高ぶりで赤くなった耳元に口を寄せた。
唇が触れ、熱い吐息がかかる。
それに怯えて体をすくませた繭を面白がるように、甘くねっとりとした、殆ど息だけの掠れたその「毒」が繭の中へ流し込まれていく。


「卿には、期待しているよ……」





考える。そんな事は無意味だった。
始めから答えは決められていたのだ。
偽善を抱えている事も、他人を想う振りをして我が身が何より可愛いという心も、それに気付きもしなかった平和な自身も。全て悟られていた。
その上で、毒を盛ったという訳だ。苦く甘く囁く毒で不要な物を溶かし、好みの忠臣に育てあげようと。
お前の真の姿はこんなにも歪で醜いのだと、見せ付けて。


自分が暴かれていく。壊れていく。何が正しいのか解らない。


久秀が満足気に立ち去ると繭は吹きすさぶ雪の中、一人立ち尽くす事しか出来なかった。


―終幕―



12.01.07
配布元:静夜のワルツ
 
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