「ひ、久秀様」

「何かな」

「この体勢では、その。火が見えませんが……」

「おや、これは異な事を。君が見たいのは火ではないのだろう?」


口から、心の蔵が飛び出しそうになった。思わず何の事か、と言い返したくなったが、久秀様相手には無謀すぎる選択だったのでやめた。
浅はかな想いが見抜かれていた事に顔が一気に熱くなる。
恥ずかしい。
火を見る振りをし密かに横から盗み見ようなど、本当に姑息な企みだった。
一体どうして解ってしまったのだろう。


「静かなものだ。いつもの調子はどこへ行ってしまったのやら?見たいのなら見れば良いものを、何故俯いてばかりいるのかね」


私の髪を手元でクルクルと弄びながら如何にも愉しそうに問う。
酷い人。何もかも解っていて、またそういう事を言う。こちらはもう恥ずかしさで死んでしまいそうだというのに。
見られる訳が無い。熱い。もうこのまま蒸発して消えてしまいたいくらいだ。


「ち、近すぎて忝ないのです……このままでは、見られませんっ……」


萎縮する気持ちを振り絞ってやっと言えた主張なのに、返ってきた言葉はそれを完全に打ちのめすものだった。


「そうか。ならばもっと近くで見るといい」

「え――ひゃっ」


いきなり視界が反転したかと思えば、気付けば私の背中は冷たい床板へ押し付けられていた。
きゅっ、と鶯張りの床板が悲鳴を上げる。
体の上には先程迄とはまるで違う、完全に笑みの消えた久秀様。
まるで時が止まった様に思えた。
表情を何も映していないその顔は一瞬で私の体に戦慄を覚えさせ、背に寄る寒さから来るそれとは違った鳥肌を立たせた。
怖い。恐ろしい。息が詰まる。


「私を見たまえ。目を逸らすな」


視線を合わせられなくなった私に低く不機嫌な声が降り注いだ。
目を合わせなければ、もっと恐ろしい事になるのは明白。
ゆっくりと深呼吸をし息を整え、恐々と視線を目の前の主の方へ戻していく。

そして見えたのは切れ長の、金色の瞳。
いつもより鋭く感じるのに、やけに美しく見えた。
吸い込まれてしまいそう、と感じたのはその美麗さに魅力されたせいだけではなく、久秀様の顔が私に近付いてきていたからだった。
それに気付いた時にはもう私の唇には冷たい息と唇が触れていた。


「――え!?ぅ……っ」


接吻などした事の無い私の唇に、久秀様の唇が重ね合わされている。
その有り得ない事実に驚愕して思わず口を開けてしまった所に、ヌルリと熱い何かが侵入してきた。
それが久秀様の舌なのだと解った途端、羞恥と何とも言えない感覚に襲われまた息が出来なくなった。
拒絶する事は許されない。しかし体は酸素と解放を求め、久秀様の着物を強く掴んで引きはがそうとする。
勿論そんな事でどうにかなる物ではなかったのだが。
久秀様はそんな抵抗にもお構い無しで、私の逃げ惑う舌に自らの舌を絡め深く深く口づけた。
……これが、接吻という物なのか。憧れ、想像していた様な幸福なものとはまるで違う。
胸が締め付けられる苦しい感覚、そして罪悪感と恥辱の様な物が込み上げてくる気がした。
柔らかい舌がうごめく度背筋がぞくぞくとして、頭が真っ白になっていく。
息が。苦しい。もはやそれしか考えられなくなった頃、ようやく塞いでいた唇が離れてくれた。
しかし、解放されたと息を大きく吸った所でまたも猥褻な舌に口を塞がれてしまう。


「は、んっ……あ?は、やぁ……ん」


呼吸は乱れ、漏れる息に混じって自分からとんでもない声が出てしまう。淫らで恥ずかしい、それなのに止められない。
嫌だ。自分が自分でなくなっていくみたいだ。
何故。何をきっかけにこんな事になっているのだろう。
訳が解らず怖いのにどうする事も出来なくて、ただこの行為を受け入れるしかない。私は引きはがすどころかいつの間にか、久秀様の背に手を回し必死に縋り付く事しか出来なかった。




「――はっ……はぁはぁ、はぁ、けほっ」


どのくらいその行為が続けられたのだろうか。着物を掴む手の平は力を入れすぎて痺れてしまい、体はぼうっとしたままひたすら酸素を貪り求める。
私を解放した久秀様はたっぷりと意地の悪い笑みを向けると、今までその舌で散々弄んだ私の口元を指で優しくなぞった。
滑らかに動く、長く骨張った指。
いつだったか頭を撫でてくれたり、転んだ私に差し延べてくれたその手が、ゆっくりと口元から首へ移動し、若干乱れた着物の胸元へ辿り着く。
そして人差し指で割る様に合わさった衿をなぞる。
身じろぎすら出来ず、その指先の行方を羞恥に染まりながら見守る事しか敵わなくなった私に視線を戻すと、久秀様は憂いを込めた瞳を細くした。
あの火を見詰める時の様な。それ以上に熱く、妖艶な眼差し。
その瞬間私はこんな状況にも関わらず、心から「嬉しい」と思ってしまった。

私は火に嫉妬していたのだ。人でも、形有る物でもない物に。
馬鹿げている事だったが、私は自分が見た事の無いその瞳が、自分ではなく火に向けられているのがひたすらに寂しくて悔しかった。その瞳で私を見てほしかった。
それが。今叶った。否、それ以上に美しい瞳で見つめられているのだ。
胸がきゅうっと締め付けられ、愛おしさと苦しさに涙が溢れる。
感極まり思わず上擦った声を出してしまうと、妖しく微笑んだ久秀様に衿を掴まれ、乱暴に真横へ引っ張りあげられてしまった。


「子供扱いが嫌なら、いつでも私が大人にしてやろう」


大きくはだけられた胸元。もう少しで全てがあらわになってしまう所で手を止めると、焦らす様に指先が谷間をなぞっていく。
冷え切った指先は火照ってしまったこの体には冷たすぎたが、触れられた部分は不思議と次々と熱を持っていった。
まるで火に舐められているかの様に、熱くて熱くて熱くて。

久秀様。久秀様。私は。ずっと、久秀様の事を。



「繭。君も……私のこの手で、燃やされてみるかね」


熱い声音に惑わされ。体の芯が焦がされる。
思い上がっていた私は幼かったのだと気づかされた。
そしてこれから教わるのだ。未知なる私を、揺らめく業火の恐ろしさを。



「――はい……」


もう炭になったとしても、構わない。この心は初めから、熱く黒い火に現をぬかしていたのだから。


―終幕―
11.12.20

配布元:偽りマスク
 
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