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禁忌


 やはり魔物とは相容れない。あれは交わってはならない存在なのだ。――それがミシディアの見解であった。無理もないとは思う。彼女らに最も好意的であるはずの私ですら驚いたのだ。端から我々の存在を快く思っていなかった者には、堂々と敵愾心を抱くに足る事件だった。
 カイナッツォとサヤの息子にロイという名前が与えられて丸一日が経過した。はじめ真っ当な人間の姿をし、魔物との子供という未知なる存在への不安を抱いていた者に束の間の信頼を与えた彼は、母にその名を呼ばれた瞬間……己の本質をさらけ出した。

 サヤの部屋の前に立ち、ノックをと手をあげたところで中から声が聞こえてきた。
「せめて固体だったらよかったんだけどねー」
「いや、そういう問題じゃねえだろうよ」
「抱き上げにくいし、こぼれ落ちちゃうし。どうやって育てればいいのかな」
「だからそういう問題じゃねえって。お前はもうちっと気にした方がいいんじゃないのか?」
 僅かに開いた扉の隙間から中を窺うと、ぼやくサヤと呆れるカイナッツォの間に、青い液体が揺れていた。時折ぐんと伸び上がって何かの形を作ろうとし、それを保てずにまた飛沫をあげて床に広がる。
 それがロイだった。父の通り名に準ずるかのように人の輪郭が溶けて消え、まさにカイナッツォが他者に化ける時の……その中途で留まったかのような半端な姿のモンスター。赤子が人間の形をしていたからこそ発されずにいた嫌悪と侮蔑の声が、じりじりとミシディアから迫っていた。
「でもカイナッツォの子供だし大丈夫だよきっと」
「あんまりオレとの繋がりに頼るなよ」
「うーん。まあとにかく、大丈夫だよ。ロイもモンスターなんだし」
 元々カイナッツォは私の配下の中でも特に人間から掛け離れた者だった。ヒトの形をしている者達は理性の面でどこか似通った部分があり、スカルミリョーネのように死という概念を通して私達と繋がっている者もいる。カイナッツォは、まさしく唯我独尊の魔物だ。私の周りにいた者の中で最も魔の性質が濃かった。
 しかしまた彼は人間の中に紛れ込むことにも長けている。サヤとの関わりを経て、人波に溶け込むだけではなく人間そのものに成り切ることにも慣れていた。では心はどうなのだろう。もちろん配下として信頼してはいるが、今この時に魔物としての本性が現れはすまいかと心配になってもいた。
 彼は己の子供に興味を持っていなかった。無論サヤの子として丁寧に扱っているのだが、己が父親だとの自覚があるとは言い難い態度だ。魔物とはそういうものらしいが、人間である私達には些か不安だった。
「水のカイナッツォ、か」
 その名をつけたのは私ではない。恐るべき魔物を目にして逃げ延びた人間達が呼んだものだ。それによって死の淵に立たされた者がつけた名前は、カイナッツォの本質を正確に表していた。

 魔物と人間の交わり……私の大切な者達が、誰に倣うこともできない道を孤独に歩んでいる。それを思うと焦燥ばかりが募った。
「ゴルベーザ様、入られないんですか」
 扉の前に立ち尽くしたまま考えに耽っていたら、不意に足元から声がかかる。見ればいつの間にか部屋から出てきたカイナッツォが私を見上げていた。
「入ってもいいのか?」
「オレが止める理由はありません。……というか、人間に囲まれてた方がいいでしょうなぁ、あいつも」
 あいつとは母か子かどちらのことか。周りが人間ばかりならばロイも自分が何者であるべきか理解するだろうか。それとも、いっそサヤの方が魔性に堕ちるのが二人のためだろうか。
「お前はサヤをどうにかしようと考えたことはあるか?」
「……さあ。今はとりあえず、あいつが母親だってことだけ理解させないと」
――殺されても困るしな。
 言い切られた言葉の冷ややかな響きに思わず溜め息をついた。つくづく他者に安堵感を与えられぬ男だ。そんなものモンスターには必要ないと言われればそれまでだが。
「まあ最終的にどうなるかは分かりませんがね」
 曖昧な言葉を残し、カイナッツォは家の外へと消えた。私に気でも遣っているのだろうか。

 何を言うべきかと迷ったが、考えてみたところで埒もない。ともかく部屋に入り愛しい家族の顔を見た。随分と久しぶりのような気がする。
「あ、ゴルベーザ」
 私の顔を見るなりサヤは、分かるはずもないのに子供の手をとり私を指し、ある種不名誉なことを言ってのけた。
「ほらロイー、お父さん(仮)だよー」
「誰がだ……言葉が分からぬからといって妙なことを吹き込むな」
「でもさー、カイナッツォいろんな格好に化けるもん。決まった形のお父さんもいた方がいいかなって、人間の」
 確かに人間社会で半分は人間の子として生きるならば、これ以上魔性に目覚めぬようにしてやらなければいけない。しかし……私を使わなくとも……いや他に使える人材がないのは分かっているが。
 母の腕に抱かれ、生まれ落ちてすぐにはロイも人間に見えた。母親であるサヤに似てもいた。そして彼女も、元いた世界とこちらの常識双方に従って『普通に』育ててはいる。しかしやはり魔物なんだ。それはとても大きな違いで、決して忘れることのできない境界線がそこにある。
 名前を呼ばれ個として存在した瞬間が魔物にとっての独り立ちだ。ロイは己を得て、身の内にある魔性のみがすでに成体となりつつある。人を模ろうとして失敗し続けるスライムのように、彼は常に形を変えた。人間の赤子のように見えることもあるが、いつ液状化するとも限らない。
 ぐねぐねと蠢く青い軟体は彼に嫌悪を抱くはずのないサヤや私にさえ不気味に感じられた。仮に魔物の子であると知らずとも、ミシディアの連中が異端児として疎むのは無理からぬことだった。

 彼の父が水のカイナッツォなどと呼ばれているのは、単に水を自在に操れるから、水棲モンスターを従えてるからと単純な理由ではない。もっと根源的なもの、カイナッツォ自身が水の性質を持っているからだ。
 そう例えば、ルビカンテを池に沈めれば命の火が消え死にかけるし、スカルミリョーネを土に埋めると馴染みすぎて魂ごと分解しそうになるように。ただの好奇心だったそうだが四天王たる彼らを再起不能にしそうになって、あの時はさすがのサヤも本当に焦っていた。……私もなぜ止めてくれないのかと責められた。結果に興味があったとは言いにくい。
 ともかくそのように、元を辿るならカイナッツォ自身が水でできてるようなものだ。当然ながらその血を引くロイも同じ性質を持っている。だが母親の人間としての血も混じっているから、魔物であると同時に人間でもある。それが問題だった。
 普通ならば魔物には生まれた瞬間から、水の力を得て流れ出したあの瞬間から、強者として君臨できる能力が備わっている。名のある魔物の血を引くなら尚のこと。それを人の血が薄めていた。時を経て成長するにつれ魔物の性は現れるのに、それをコントロールするだけの力が備わっていないんだ。だから今のロイはとても不安定な存在になっている。
 おそらく、魔物と交わるべきではないという言葉は正しい。ただ命としてのみ見るなら絆も愛も無関係だ。サヤの愛などロイを弱くするだけのもの。しかしそれが分かったからと言ってどうしようがあるのか。
 私もサヤも、人間なのだ。

 子を持つということが私には分からない。人の親として何が正しいのか、手本にすべきものを知らなかった。ならば、ともに手探りで歩むしかないのだろう。
「平気か?」
「うん」
 言葉少なでも彼女には伝わったようだった。その声音に真実不安が感じられなかったことに、私もまた安堵した。
「なんかね、あんまり心配しなくていいんじゃないかな。自分の子供がモンスターで戸惑っちゃうなら、戸惑うのが正しいのかなって」
「まあ、戸惑うなというのも無理があるか」
「そうそう。親子の絆が人より薄くて悲しいのは、結局わたし達だけの想いだもん。わたしは自分でできるだけのことをロイにしてあげて、あとは楽に考えるよ」
 どのような道を歩むのか、そもそも彼がサヤを母と認めるのかすら分からぬが……そうなればなった時だとほかならぬ彼女が覚悟している。私はそれを、支えたい。
 成り行きに任せ流された結果だとしても、今ここにあるのは私の大切な家族だ。守ってやりたい。せめて、禁忌へ追いやられ人と魔の間で揺らめく彼女らと、ともに迷ってやりたいと思う。
 私の罪をなきものとした彼らに返せるものは何か? 愛しているなどという言葉は私には不確かだ。委細の分からぬものを捧げても誠意はない。……ならば、同じものを。彼らの歩む道が世界に否定され罪だと謗られても、私はそれを受け入れよう。
「もしお前やロイが人の生を捨てる日がきても、私は人として、お前達を受け入れることにした」
 己へ誓う意味合いもかねて呟くと、サヤはキョトンとこちらを見つめ、そして不意に笑った。
「人間にとって最悪な罪を犯してても?」
「そうだ。いかなる禁忌、大罪を犯していても」
「……うれしいな」
 お前達のいた人の世に、必ず一人は味方が残っている。どうかそれを忘れないでほしい。

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