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てのひら


 サヤは私を影だと言ったが、それは言い得て妙だと思う。姿は見えているしすぐそばに付き纏っているというのに、触れることさえ叶わない。影のごとく無意味について行くだけだ。
 実際、目の前で彼女が危機に瀕していても何もできなかった。おたおたと手を伸ばしたり引っ込めたりしつつ、右往左往する様を眺めているのが限界だ。
 実体もなく世界になんらかの影響を与える力もない。相手もそれを分かっているのだろう。魔法でも使えば一撃で葬り去れる程度の下級モンスターだが、私の気配を感じていながら気に留めずサヤばかりを追い回していた。何か複数の意味をもって腹立たしいな。
 体力で競えばどちらが先に音をあげるのかは分かりきっている。モンスターが跳躍し、爪がサヤの背を掠めるたびにじりじりと焦りが募った。せめてあれがアンデッドであれば支配下に置いてしまえたのだろうが……。
「大丈夫か?」
「いま返事できないよ!」
「悪いが私は手助けできん。自分でどうにか逃げ延びろ」
「いま返事できないんだってばもおおおぉぉっ!!」
 そう叫ぶ間に分かったとか頑張るとか言えると思うのだが。モンスターに追い回されて、命の危機にあってなお緊張感のない奴だ。
 私の懸念をよそに、サヤは意外なほど俊敏に逃げ回った。時に全力で走り、または急に方向を変えて、少しずつ追跡者との距離を開いてゆく。危機は人を利口にするのか。
 だが限界はすぐそこだ。翻弄されてはいるもののモンスターの方は未だ体力が有り余っているし、こうしている間に新手が来ないとも限らない。何ともどかしいのだろう。実体さえあればさっさとあれを殺すなりサヤを連れて逃げるなりできたものを……。
 ああくそ、だから一人で歩き回るなと言ったんだ。いやそもそもあの男が悪い。こんな夜中に、見るからに無力そうな小娘を魔物の跋扈する地に放り出すなど何を考えているんだ。魔物に出会わずとも不埒な人間とてうろついているかもしれんのだぞ。食料調達など貴様がやれ、貴様が。多少死んでも構うまい。
 ……そんなことを考えている場合ではなかった。我に返ると、倒けつ転びつ黒髪が目の前を駆け抜けた。
「どこへ行く」
「へいすっ、ヘイストー――――!!」
 それは答えになっていない。自棄で叫ぶのならば攻撃魔法でも唱えればいいものを、どうせ使えないにしろヘイストか……。まあ、逃げることに集中するのは良いことだ。

 私は走るということに慣れていないが、人間ごときの足で全速力で駆けても転移魔法を使えば追いつくのは容易い。気配を追って、彼女の逃げ込んだ小さな森へと足を踏み入れた。
 密集して生えた草木が月明かりまでも遮断して、辺りはどこも暗闇だ。この視界の悪さなら追跡を振り切れるかもしれんな。こういった場所にはより強力なモンスターがいることが多いのが、少々不安だが。
「……どこだ?」
 森の中ほどで気配を見失った。死んだのではないはずだ。ここへ来てみすみす見殺しにしてしまうなど笑い話にもならん。モンスターから逃れるため息を殺しているのだろう、が……。
 さわさわと木が揺れる音がやけに大きく響いた。辺りは静まり返っている。近づいてはいるはずだと周囲を警戒しながら歩いていると、先程サヤを追っていたモンスターが現れた。
「……」
 私を一瞥し、不機嫌そうに去って行く。やはり逃げ切ったようだ。しかし私にまで見失わせてどうする。
「――――」
 不意に、声が聞こえた。小さな声が私を呼んでいた。発生源は分からないがすぐ近くにいるようだ。もう一度、次は必ず拾いあげてみせると神経を研ぎ澄ませた瞬間。
「スカルミリョーネとはぐれたああああっ!」
「うるさい」
 森一帯に大音声が響き渡り、驚いた鳥が飛び立った。今のでモンスターが寄ってきていたらあいつをぶん殴ってやりたい。

 枯れて朽ちかけた大木の枝に、サヤがいた。モンスターをやり過ごすために登ったのだろうか? 走る気力が尽きていたにしても少々間が抜けている。
 実体のないことを幸いに私も頼りない枝の上へと移り、驚きに目を見張るサヤを睨んだ。
「……だから言っただろうが」
「でも大体はわたしのせいじゃないよ!?」
 確かにそうだな。こいつに食料調達を求めたのは例の得体の知れない男だし、モンスターに襲われたのも運が悪かっただけだ。こいつなりに必死で逃げ延びたのだから責められる謂れはない、のだろうが、自分の不甲斐なさもあって八つ当たりしたい気分だった。
「怪我はないのか」
「ん。ちょっと引っかけたりしたくらいかな」
「そうか」
 走り続けたせいか、紅潮した頬が戻らない。触れられたなら熱を冷ましてやることもできただろうに、指先をあててもサヤの体は私をすり抜けていった。いや、虚ろになっているのは私の方だったか。
「お前は」
 かつての私と同じように、今この時を幻だと思っているのか。そう聞こうとしてやめた。尋ねるまでもないし答えを知りたくない。触れることさえ叶わず、他の者の目に映らない。幻でなくて何だと言うのか。
 頬にあてた私のてのひらに重ねるように、サヤがそっと手を添えた。現世にあった頃の記憶を掘り起こさなければ、そのぬくもりも思い出せない。
「お前も、それなりに生き残る力を会得したようだな」
 虚しさを振り払おうと手を離すと、白けたような視線が注がれた。
「まーね。アウトドア派になってがんばったもん」
 それは何かと問えば「外で遊ぶひとのこと」だと言う。むしろお前がそうでなかったことがあるのかと聞きたいが、私の知らないあちらでのサヤは意外に大人しい娘だったのかもしれない。想像できないが。

「セシル達と居たとき、すっごいしんどかったしさー。鍛えといた方がいいかなって」
 そういえば、あの騎士どもと行動をともにしたこともあったのだったか。……改めて思い返せば、私の知る時間よりも知らない時間の方が余程多い。我が身の不自由さのせいで当たり前のことにさえ苛立つな。
「戻って来るつもりがあったわけでもあるまいに、旅の支度をしていたのか?」
「全然なかったわけじゃないけど……でもとにかく、やれることは全部やっとこうと思って」
 いつかまた、とサヤは願っていたのだろうか。しかし再びこちらへ渡ったとて私がいないのは知っているだろう。なのに……ああもうなにもかも腹が立つ。
「お前は一体、」
 誰に会うために来たんだ。そう問いかけたが近寄ってくる足音に遮られた。
「…………あの男は余計なことしかしないのか」
「あはは。やーでも来てくれなきゃ戻れないしね、わたし」
 手を振るサヤに気付いてあの男がホッと安堵の息を吐いた。安全を信じて枝から飛び降り、よろめいた体を実体ある腕が支える。
 サヤが奴の手を見るのと同時、私も自分の手の平を見ていた。――触れることさえ叶うなら、渡しはしないのに。

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