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――運命の赤い糸なんて存在しないんだよ。もしあったとしたって、わたしのそれはとっくに切れてるんだ。

 星の一つもない漆黒の空に細い月が浮かんでいた。いや、よく見るとそれは月ではない。空間の切れ間とでも呼ぼうか。闇が広がるばかりであるはずのこの地に、どこからか僅かな光が射している。
 降り注ぐ、糸のようなか細い光。距離感の分からないこの場所で、掴めそうなほど近くにも見えるのにあと少しのところで届かない。眩しくて見えないその向こう側に何かがいる気がした。

 死など無意味なものだ。生死に明確な境があるわけでもなく、時が来ればそちらへ移動する、その程度の重みしかない。誰にとってもそういうものだと思っていた。だがそう感じていたのには理由があったようだ。
 私が誰とも関わりを持たなかったから。現世に未練がなかったからこそ、死を軽んじていたんだ。ゴルベーザ様に出会い、そしてサヤが泣くのを見てからは、おかしくなってしまった。
 まだ果たさねばならない使命があり、守らねばならない者がいる。なのに私は闇の中で無為の時間を過ごさなければならない。再び生を得る頃には誰も残ってはいまい。最早戻る意味などないという諦観と、彼らの生ある内に何かできないのかという焦燥とに挟まれ揺れている。
 すべて丸くおさまったのだと自分を宥めるしかなかった。あいつが他の誰かのものになっても、それで幸せになるなら、そして奪われる瞬間をこの目で見届けずに済むのなら、最善の道を歩んだのだ。そう思わねば自棄になりそうだった。
 遥か頭上に垂れた光を見つめる。あれに届けば闇から出られる気がした。おそらく以前サヤに聞いた話のせいだろう。地獄に堕ちた罪人のもとに、気まぐれに助けた蜘蛛が救いの手を差し延べるという……何とも都合のいい話だ。本当の地獄に助けなど存在しない。
 闇の中、光に想いを馳せてただ孤独に立ち続けるだけだ。

 死の世界には何も存在しない。今こうして思考している私すら、ここにはいないのだ。
「あれに届いたら、また出会えるかもしれないのに」
「無駄だ。あんなものは私の未練が見せる幻に過ぎない」
 明かりがないのにもかかわらず、やけにはっきりとした輪郭を見せる彼女もまた、幻。
 生の世界にあった時に僅かなりとも関わった者が、死して後このような形で現れるのはよくあることだ。かりそめの肉体さえもなくしたために記憶が漏れ出し、私の未練に煽られてこういった欝陶しいものを見せるのだろう。
 あの光の向こうへ行けば会えるかもしれない。そんなくだらない願望を抱いているのだと自覚させられるのは不愉快だ。
「第一、今また現世に舞い戻ったところで……」
 サヤはもう居ないじゃないか。……いくら自分で作り出した幻とはいえ、あいつの姿を模ったものにそこまで本音をさらけ出すのは躊躇われた。

 彼女は元いた世界に帰ったはずだ。一度はゼムス様の力で戻った私を顧みることなく、結局あちらの世界を選んだ。腹が立ったわけではない。しかし、悲しかった。私が選ばれなかったからではなく、彼女がこの世界に重きを置かなかったことにでもなく、至極単純に――サヤが居ないことが悲しかった。
 出口にも見えるあの光があんなにも遠いのは、少なからず「帰りたくない」という思いがあるせいだろう。
 未だしも帰ることができずにこちらの世界で骨を埋めておれば、甘い期待を抱けたのに。そうしなかったのはお前ではないか。
「ちょっとでいいから、頑張ってみようよ」
「お前がいないのに戻っても無意味だ」
「でもゴルベーザがいるじゃない」
「……あの方は眠りについている。目覚める時に私達は居ない方がいい」
 償いきれぬ罪をそれでも背負うと言うのなら、暗黒の道をともに歩んだ者は闇に葬っておいた方が、今後のゴルベーザ様のためになる。
 そう告げるとサヤの幻は憤る表情を見せた。なぜ私の予測し得ない反応をするんだろう。私の記憶が紡いだものなのに、不思議だ。
「ゴルベーザだったら、罪が重くなったって一緒にいてほしいって言うよ」
「お前になら言うかもしれんな」
「わたしだって一人じゃ嫌だもん」
「一人ではない。あちらには家族も居るのだろう」
「……でも、スカルミリョーネがいないよ……」
 それがどうしたと言うのか。なにもかも元に戻るだけだ。何を悲しむことがある。

 私達を繋ぐ糸はとうに切れた。その切れ端すら見失って、もう一度結び付けるなど不可能だ。もしも叶うなら、と考えることならある。だが考えるだけで終わりにしなければならない。サヤがあちらの世界を選んだ、その事実が変わらない限り、私が生きていようが死んでいようが彼女を縛る理由にはならないのだから。
「あの糸を握ってるのはわたしかもしれないのに」
「……家族の元に帰ったお前が、今更そんなことをするものか」
「一回来たんだから、二回来るかもしんないじゃん!」
 子供染みた仕種で拗ねる姿が妙に現実味を帯びていた。幻とはいえあまり惑わせるのは止めてほしい。闇から抜けだしてまで、探しに行ってしまいそうだ。私が甦り待っていれば、もう一度やって来るかもしれない。そんな馬鹿げたことまで考えてしまう。

「死の水先案内人なんだから、出口だって、知ってるんでしょ?」
「知らんな」
「……ほんと冷たいよね。スカルミリョーネは、二度と会えなくても平気なんだ。チャンスかもしれないのに興味ないんだ」
 悲哀とも憤怒ともつかない表情を浮かべたまま、サヤの幻影が掻き消えた。まがい物であってもやはり馬鹿な娘だな。どうでもいいなら、こんな夢を見るものか……。
 私が闇を這いずっている間にサヤは今生を終えるのだろう。次に生まれて来るときには私のことも忘れている。いつものことだ。構うものか。どうせそれは彼女ではないのだ。
 記憶なら私が抱き続けていよう。だから、忘れてしまうその時までは、私を想っていてほしい。……それぐらいは願ってもいいだろうか?

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