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争奪戦


 祈りの館の庭の隅、泉を見つめて無表情で座り込んでいる影があった。どこか張り詰めて近寄り難い空気のせいか、周囲に人の気配はない。
 抑え切れないほどの怒りに囚われて、爆発寸前の顔だ。正直なところ手を出してもいいことがないのは過去の経験から分かっているし、実際彼女も放っておかれるのを望んでいるかもしれないが、やはり一人で黄昏れるサヤを捨て置くことはできなかった。……私も堪え性がない。
「何かあったのか?」
 振り返ったその目が据わっていて、後退りそうになった。だがここで踏み止まらねばさすがに自尊心が泣く。この娘は時々、魔物でさえ竦むような闇を見せてくれるな。やはりかつて関わったであろうあの男の影響だろうか。
 また何かあってはいけないと身構えたが、以前と違って今回の彼女は吐き出す相手を求めていたらしい。口を開いてしまえば異様な緊張感は薄らいだ。

「ルビカンテさあ。女の子から手紙もらったらどうする」
「……手紙? 何のだろうか」
「ラブレターだよ!」
 虚無に等しかったサヤの顔に明らかな怒りが浮かんだ。ずいと突き出してきた拳には何やら紙が握り締められている。……手紙。ラブレター、ということはつまり。
「恋文をもらったのか?」
「ん、もらったっていうか……」
「誰からだ」
 よもやセオドアではとも思ったが、彼ならば手紙などというまどろっこしい手段は使うまい。仮に想いを寄せた相手がいれば真正面から直接本人に伝えられるだけの度胸があるはずだ。なにせあのローザの息子だからな。
 かといってセシルの仲間でもないだろう。ゴルベーザ様や我々、特にバルバリシアを出し抜く形でこっそりとサヤに想いを伝えるなど……そんな身の程知らずな男は居ない。もし万が一居たなら焼き殺すだけだが。
 ひそかに殺意を燃やす私をよそに、サヤはその手紙を玩び、ぽつぽつと少しずつ心情を話し始めた。
「こういうの、どう反応すればいいかわかんなくて」
 あまり好意的に受け止めてはいないようでひとまず安堵だな。誰が相手にしろ浮かれた彼女を見せられては私が困る。
「ルビカンテならどうするかなーって思って」
 私なら、という想像はなかなか難しいものだが、私が彼女にどうしてほしいかの答えなら最初から一つだけだ。
「そのような物をもらったことはないが、まあ受け取る気にはなれないな」
 つまるところサヤにもそうしてほしいとの願望なのだが、おそらく気付いていないだろう彼女は私の言葉に少し安堵した様子で、皺の寄った手紙を整え始めた。しかし注がれる視線はなぜか恨みがましい。

 恋愛という感情そのものが、やや理解し難いものではある。が、おそらくは忠誠心のまた違う在り方、歪んだ形といったものだろうと思う。自分の立場に当て嵌めて考えるなら、それを堂々と言葉にして発することもできない“手紙”なる文化は、感情以上に理解できない。
 言えばいいじゃないか。手紙を渡すために向かい合ったのならその口で、「お前が好きだ」と。なぜ文字にして濁すんだ。
「誰かを好きになるのっていいことだと思うけど、正直ムカつくというか図々しいというか身の程知らずというか破って捨てたいというか」
「……どれほどの想いが篭められているか知らないが、それは一方的なものじゃないか」
「そうなんだよ。答えを求めてないよね。……名前も書いてないし」
 直接手渡されたのなら彼女は相手の素性を知っているはずだが……あるいはミシディアの魔道士連中の誰かだろうか。あれらは私もサヤも未だきちんと見分けがついていない。
 しかし差出人が何者にせよ、この娘に対して特異な気持ちを抱いている者はいないと思っていた。私の監視が甘かったのか?
「こういうの、わたしには関係ないって思ってたのになぁ」
「……そんなことは、無いと思うが」
「でもなんかさ、実感わかないんだよね。好きとか嫌いとか」
「相手が誰でも?」
「え……」
 得体の知れない相手と恋に落ちるなど以っての外だが、サヤが色恋沙汰を避けると言うならそれもまた困ったことだ。どうにか己にとって都合の良い方向へ事を運ぼうとしている、自分の卑怯さに少し腹を立てながら、彼女を想う者のことを考えた。

「恋っていろいろめんどくさいなぁ。わたしが人間なせいなのかな」
「……」
「ねールビカンテ、ちゃんと聞いてよ!」
「ああ、聞いているよ」
 ゴルベーザ様のためにとサヤが平凡であることを望んできたが、今ではいっそ闇に染まってしまえと思う。もうそれを受け入れるだけの素養はあるんだ。そうして堕ちてしまえば他人の感情に惑わされることもないだろうし、何より――魔物と恋に落ちることもできるだろう。
「君はどうしたいんだ。その手紙、応える気が無いなら捨ててしまってはどうかな」
「いやそれはちょっとね。やっぱ、他人宛てだし」
「……うん?」
 他人だと? ……私はもしかすると重大な勘違いをしていたのではないか。この恋文はサヤに宛てられたものではなく、ただ預かっただけにすぎない?
 急速に思考が引き戻された。あれほど思い悩んでいたから、てっきりサヤに宛てたものを受け取ったのだと。……ではこれは何なんだ。
「その、今更だが……誰への手紙なんだ?」
「バルバリシア様。だから、渡すの嫌だしでも持っとくわけにもいかないし」
 眉をしかめてみても迫力がなく、真実を聞かされた今は彼女の不機嫌な顔にも微笑ましさしか感じない。
 ああそうか、バルバリシアか。それで怒っていたのか。言われてみるとあいつは人間の男に人気があったな。誰の目から見ても文句のつけどころのない美しさに加え、ここはミシディアだ。魔法を追い求めて生きる男達が、絶大な力を持つ魔性の女に惹かれないはずがない。

 ……なんだ。では私の不安は的外れだったわけだな。
「どうしてニヤニヤしてるんだろー」
「いや、何でもない。それが人間からバルバリシアに宛てた手紙なら対処は簡単だ」
「え?」
 首を傾げる彼女に手を出させ、頼りなげに掌に乗った手紙だけを燃やし尽くした。消し炭となった手紙が零れ落ち、風に吹かれ消え去る。黒い砂のようになった思いの丈を見送って、しばし呆然としていたサヤが我に返り、私のマントを掴んで揺さ振った。
「ちょっ、いいのこれ! 大丈夫?」
「何か問題が?」
「や、だって人の手紙を……」
「君は無駄な良心だけは持っているようだな」
「ムダ……」
 バルバリシアが慕われるのに嫉妬しながら、他人を気遣い身動きが取れなくなっていたのか。手紙を当人の前に持って行き独占欲を吐露でもすれば、その男のことなどそっちのけで大喜びしただろうに。
「どうせ奴も読むまいよ。不要な物を捨てるのに躊躇うことはないだろう」
「でも渡すだけは渡した方が……よかったのかなって」
 くだらない。名乗りもせず言葉も交わせず、己の口で想いを伝えることすらできない男を気遣う必要はないんだ。そもそもそんな有象無象をバルバリシアが記憶しているものか。仮に直接手紙を渡されたところで見知った顔かどうかも分からないに決まっている。
「そんな輩のことよりも、君の手からそれを渡されるバルバリシアの心をこそ気遣うべきだろう?」
「バルバリシア様の心」
 確かめるように呟くと、彼女の頬が僅かに赤らんだ。
「そうだ。君がそれを渡すなら、彼女にその内容を受け入れろと押し付けているも同然じゃないか」
「あ……」
 自分が誰とどうなろうがサヤは気にしないのだと、そう告げられたと思ってさぞ消沈するだろうな。それはそれで見てみたくもあるが。
「君以外の何者に愛を囁かれてもバルバリシアは喜ばないよ」
「そ、そうかな」
「そうだとも」
「……そうだよね!」

 だいたい、代わりに手紙渡してくれなんてヘタレすぎだよ。堂々と本人に言えるくらいのヤツじゃなきゃバルバリシア様には釣り合わないもんね。――と、急に元気を取り戻したようだ。私という味方を得てサヤの表情が晴れやかなものへと変わる。
 もう一度、彼女に想いを寄せる者のことを考えた。……これでいい。お前はただ己の想い人だけを見て、その感情の行く先だけを気にしていればいい。集まってくる厄介な虫は私が焼き払おう。
「君は手紙などに頼らずきちんと口に出した方がいいな」
「う、うん。こうやって邪魔されたくないもんね」
「ああ。……それに、あれが誰のものなのか強固な態度を示していないから、思い上がった輩が出てくるんだ」
「あの、もしかしてものすごく怒ってるん、」
「私は手紙の差出人のところへ行って来る」
 サヤに仲介してもらわねば好きの一言も伝えられない者が、バルバリシアに。……灰にしてさえ手緩いな……。己のおこがましさを存分に理解させなければ。そして二度と、
「二度と誰にも惚れられぬ体にしてくれよう」
「あー、うん。今回止めないや、わたしの分も頑張ってね」
「了解した」
 この戦い、勝者はサヤ一人と決まっているのだからな。

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