─back to menu─

星のない夜


 今、俺の腕の中には生まれたばかりの赤ん坊がいる。サヤによく似た顔立ちの、しかし彼女とは違う明るい金の髪を持つ小さな子供だ。温かな肌とそこから感じる鼓動が神妙な気分にさせる。
 正直なところ俺は恋愛沙汰でいい思いをした記憶などないし、恋に浮かれて幸せな気分に浸ったこともない。それを特別不幸だとも思っていなかったが、こうして子供を抱いていると、幸福というものの存在を思い知らされた。
 なんて充足感だろう。色恋など抜きにしても、好きな女が自分の子を生んでくれるのは、やはり生物として男として最大級の喜びだ。……そう、男の本懐ってやつだ。男の。男のな。

「やっぱりサヤに似ているわね」
「でもほら、目元はバルバリシア様似だよ。髪も。きっとすごい美人になるね」
「……あたしは、あなたに似ている方が嬉しいのよ」
「どっちにも似てるはずだよ。だって……わたし達の子供だもん!」
 もう一度言おう。男尊女卑だのと罵られてもいい。父親の感慨は男のものだ。その喜びを女の身で体感するのは間違っていると思うんだ。
 というか何故できた! どちらが生んだ!? 有り得ないと思いながら、バルバリシアが相手なら女でも孕むかもしれないとも考えてしまう。こめかみのあたりに急激に痛みを感じて溜め息をつくと、舞い上がっていた様子の二人が揃ってこちらを見た。
 何だよ……似たような表情をするなよ、顔つきは全然違うくせに。
「どーしたのカイン、引き攣った顔しちゃって」
 どうしたもこうしたもあるか。へらへらと満面で喜びを表すサヤに苛立ちが募った。
 確かに日頃から仲睦まじく触れ合っていたのは見知っているが……、いきなり「できちゃった」なんて言われて納得できるか。戸惑っているのが俺だけなんておかしいだろ。
「お前達、何も感じないのか」
「えっ、なにが?」
 苦々しく吐き出した俺の言葉に返したものの、サヤの視線は俺ではなく腕の中の赤ん坊に注がれている。慈愛に満ちた瞳が何故かローザを思い起こさせた。女ってやつは、子供ができた瞬間からこんなに変わるものなのか。頼りなげな幼い面差しはもうどこにも見当たらない。

 そりゃまあ、誰か好きな男を見つけてこうなったなら俺も喜んでやれるよ。だが、バルバリシアだぞ? 女同士だぞ? しかも魔物だ。
 ゴルベーザが相手なら、思うところはあるが納得できた。なんせ人間だからな。ルビカンテでもまあ……一応は人の形をしているからいい。もうこの際スカルミリョーネやカイナッツォが相手だとしても納得しよう。男だから。
「お前達二人じゃ、何もかもがおかしいだろうが!」
 バルバリシアは魔物だしサヤだって異世界の生き物だから、もしかすると知らないのかもしれない。教えてやるが子供っていうのはな、同種の雌雄の間にできるんだ。発端や過程が独特なものも中には存在するが、陰陽が必ず揃わなきゃならないんだ。それが自然だ。生物の理だ。
 いくら互いが好きだってそこは越えてはならない一線だろ。愛情が有り余って性転換したわけでもあるまいし。やりかねない奴だが。まさかバルバリシア……いやまさか。考えたくもない。
 自分が何故ここまで思い詰めてるのかもよく分からなかった。ただただ不愉快な怒りが腹の底で渦巻いているだけだ。

 幸せいっぱいの二人とは真逆の気分だが、思考の濁り具合だけは似たようなものだったろう。俺の腕から赤ん坊を奪い取って、クスッと笑うバルバリシアの冷ややかな言葉に、思い切り横面を張り倒されたような気分になるまでは。
「カイン、お前……嫉妬しているんでしょう」
「な、何?」
「自分が未だに一人淋しく過ごしているのに、あたしとサヤが先にまとまってしまったのが悔しいのね!」
「ああー」
 違う! と即座に反応できなかったのはどうしてだ。お前もあっさり納得するなよサヤ。
 嫉妬なものか。俺は自然の在り方について不満に思うだけだ。男が余っているところにお前らは何を考えて女二人でくっついてしまったんだよもったいない……ってだから、
「違うッ!!」
「カイン……」
「やめろ、俺を見るな!」
 そんな憐憫と嘲笑の入り混じった限りなく不愉快な目で俺を見ないでくれ! くそっ、駄目だ耐えられない。

「そんなに不思議なことかなぁ。愛があれば何だってできるよねーバルバリシア様」
「そうね。愛があればね。無いところには何も起きないでしょうけれど」
「……カインもいつかきっといい人が見つかるよ」
「それまで死ぬほど頑張ることね」
「クッ、うるさい!」
 できることなら抹消したい記憶なのに、今は何故か、ゴルベーザに洗脳されていたあの頃に帰りたかった。……そうだ、ゴルベーザだ。
「あいつは、お前達のご主人様は何と言ってるんだ?」
 いつの間にか歪んだ世界へ足を踏み入れた彼女らを窘めるに一番良い位置にいるであろうゴルベーザだ。認めたくない事実だがおそらくあいつが最も俺に似た感情を有しているはず。同じくいい年した独り者として。……いかん、自分で虚しくなってどうする。
 これは傷の舐め合いじゃない。俺はただ、捩曲がった倫理に支配されていない、真っ当な常識を持っている相手を見つけたいだけなんだ!
「ゴルベーザ様なら今頃祈りの館で命名辞典を読みあさっておられるわ」
 あの親バカ野郎。サヤが幸せなら他のことなんかどうでもいいのか。
 普通なら俺だって、素直に祝いの言葉をやりたかった。だがな……。
「女同士なんだぞ。何も言わないのか」
「ええ〜、別になにも言わないよ。すごい喜んで、おめでとうって」
「お前こそ、一体何をそんなに焦っているのよ」
「え、いや、だって」
 そうあっさり返されると俺が間違っている気がしてくるんだが。……いや、普通は女と女の間に子供なんか生まれないんだ。それがまかり通るといろいろな人間が不幸になるだろ。主に俺とか、ゴルベーザみたいな奴が。

 好きだって気持ちだけで何でも解決するものか。愛情云々で乗り越えられるような次元の話じゃないだろ。……そんな風に全部受け入れられたら、まるで俺が……。
 むしろ俺の態度にこそ戸惑っているらしい二人が視界に入ると気が滅入った。俺の器が小さいのか。ああもう、別にそれでもいい。軽く闇に引き込まれそうになったが、気を取り直して再び尋ねる。
「ルビカンテは、何か言わなかったか」
 期待できないだろうけどな。あいつはサヤにもバルバリシアにも甘いから。
 二人は俺の問いにふと窓の外を眺めて、何故か少し眉をひそめて見つめ合った。
「ルビカンテはねー、ちょっと……出払ってる」
「なんでまた」
「不穏な動きを見せる輩がいるのよ」
 苛立ってきたのか抱いていた子供をベッドに寝かし、忌々しげに髪をかきあげるバルバリシアを見て不安になった。ルビカンテは見張りに出ているということか。何があったんだろう。
「わたしがバルバリシア様を独り占めしちゃったから、不満な人がいるんだ」
「……この子に?」
 眠る我が子を振り返って唇を噛むサヤの姿が痛ましい。そういえばひそかに集まって何やら語り合う奴らも居たっけな。徒党を組んで遠くからバルバリシアを愛でたいとか言っていた奴ら。
 四天王が魔物だなんだと疎まれていた頃から、バルバリシアだけは受け入れられる兆しが見えていた。美貌ってのはそれまでに培った価値観や常識を覆すほど強力なものなのか。ついでに性癖も。
 愛する者に向けられた悪意に怒る彼女もやはり目の覚めるような美しさを放っている。正常だったはずのサヤも、この輝くような容姿に魅了されてしまったんだろうか。

「……それは、災難だな」
「まあ、何か起きたりはしないだろうけどね」
 祝い事に水を差していると言えなくもない俺に責められるものじゃないが、不満を晴らすため行動に移すのは感心しないな。このミシディアに、救い難いほどの馬鹿はいないと思いたい。
「全く、サヤに嫉妬だなどと見当違いも甚だしいわ。あたしは最初からこの娘のものだというのに!」
「……あ、あの、わたしも最初からバルバリシア様のものだよ」
「馬鹿ね。知っているわよ、そんなこと」
 俺こそルビカンテに排除される側になりそうな気分だ。思い返せば、真面目で良識もあるんだがわりとボケ寄りの男だからな。疑問に思うより先に保護欲求に駆り立てられたんだろう。
 もっとツッコミ側の奴でなければいけない。不条理に耐えられない神経質な……それは俺か。
「あー、それで、スカルミリョーネは何て?」
 あいつなら冷静に見られるだろうか。自分の境遇や愛情に縛られず、事象そのものを捉えられるだろうか。なんだかもう、とにかく俺は一人きりではないのだと思いたいんだ。
「スカルミリョーネはね〜」
 一転して、サヤは綻ぶようにふわりと笑う。嫌な予感がした。お前もかスカルミリョーネ。
「一見するといつも通りだけど、あれは内心かなり浮かれているわね。声が弾んでいたもの」
 それが緊張からなるものでないのは明らかだ。何が原因かなんて聞くまでもないだろう。ちょっと泣きたくなった。
「奴でさえ子供の誕生を喜んでるんだな」
 段々と無気力になってきた俺を見遣り、バルバリシアは訝しげに顔を顰める。
「……お前の気持ちも分からなくはないけど」
「俺の気持ちって、どういうものだよ」
「居場所が変わるわけではないでしょう」
 だから、違うんだ。今までそれなりに仲良くしてきたつもりが、サヤもバルバリシアも互いに掛かり切りになって、それが寂しいなんてことじゃない。
 もっと重くて暗くて……苦いものだ。こんな感情を抱えているのは俺だけなのか。アンデッドたるスカルミリョーネでさえ祝福してやれることを、俺だけが?

 ……スカルミリョーネは駄目だな。まあ、あいつは多少、盲目的なところがあるから仕方ない。ゴルベーザが喜んでるからいいという腹積もりかもしれん。妙な事態に理性がついて行けず壊れているのかもしれないしな。大人しく他に助けを求めるとしよう。
 とはいえ、もうカイナッツォに縋るしかないんだよな。だがあいつは、ぱっと見は程遠いように思えるが実は人間としての常識を誰より弁えている。弁えているだけで気に留めないが。
 きっと面倒だからつっこまないだけで、この事態の異常さは認識しているはずだ。俺の感じる苦々しさも分かってくれるだろう。
「カイナッツォは何か言っただろ」
「あ、うん。のっけから『美味そうな子供だな』とか言うからバルバリシア様に」
「粉々にして地の果てまで吹き飛ばしてやったわよ!」
「……です」
 じゃあもう今日から四天王は名乗れないな。って違う! そんな話がしたいんじゃない。カイナッツォもか。この二人が自然に反していることに、誰も疑問を感じないのか。
 それとも、やはり違うのか。おかしいのは俺なのか? 悪いのは、何を差し置いても喜んでやれない俺の方なのか。同じ場所にいたはずの奴らが俺を置き去りに幸福になったのが……苦しいなんてのは。
 惨めさに目の前が暗くなる。堪らなく不快な気分だった。悪夢だ。どうして、何も考えずにおめでとうと言ってやれないんだ。


 ふと目を開くと薄汚れた天井があった。窓の外はまだ暗い。見上げた空はどんよりと曇って星さえ見えず、何かに迷ってしまいそうな不安な気持ちになった。何があったんだったか。
「ああ……ゆ、夢か……」
 そうだ。ミシディアに泊まったんだったな。ろくでもない夢を見てしまった。まさしく悪夢だ。きっとごく普通に一緒に風呂に入り一緒に眠りについた二人の姿を目の当たりにしたせいだな。
 馬鹿馬鹿しい。いくらあいつらの仲が良くてもサヤの懐が深くてもバルバリシアが相手でも、女同士で惚れた腫れたなんて。
「どーしたのカイン、引き攣った顔しちゃって」
 冷や汗を拭っていたところ、真横から既視感のある言葉をかけられて背筋が粟立った。
「ヒッ! ……サヤ、か」
「え、何その反応ひどくない?」
 あれは夢だよな。本当に夢だよな。
「……お前、妊娠してないか」
 確信欲しさに尋ねた俺の顎に、サヤの拳がクリーンヒットした。加減もなしにぶん殴ったらしく、あちらも手を振り涙目になっている。その俺に対する情け容赦の無さ、どうにかならないか。
「何なの、新手のセクハラ? 激務に疲れて頭おかしくなったんじゃないの!」
「すまん。そうかもな」
 心底うんざりした様子がいつも通りの彼女だったから、ようやく安堵の溜め息をついた。不条理の申し子は存在しなかった。あれはただの悪夢だ。

「……俺はそんなに駄目かな」
「はあ?」
「想い人がいて結ばれて家庭を築いて……それは必ず辿らなきゃならない道なのか?」
 そうしたいと願っているのは、ほかならぬ俺自身だが。自分の期待に応えられないってのは、逃げ場がなくて苦しいもんだ。
「うーん。わたしの世界には死ぬまで独身の人もいっぱい居たけどね」
「そうなのか」
「いろいろ、人それぞれでいいじゃん。カインが駄目なヤツだとしても、駄目だから悪いわけじゃないよ」
 もっとダメダメで将来に不安しかないオッサンだって図々しく生きてるんだからさ、との軽口はどうかと思う。だが、サヤはよほど駄目な人間でも「べつにいい」と言ってくれるんだろうな。
「人の上に立つと、自分に追いついてくる人がはっきり見えて、焦っちゃうよね」
「……ああ」
「規範通りに進まなくても幸せは感じられるし、幸せじゃなくても満足はできるよ」
 サヤは幸せなんだろうか。そうでなくても、満足しているんだろうか。……聞くまでもないよな。こいつは自分の願いを勝ち取ったんだ。手に入れた物は恋愛でも家庭でもないが、それに代わるだけの価値がある。

 しかし、俺はもう一生独身でいいからと昔の夢を押しつけるわけじゃないが……サヤには、捨ててきた未来と同等に満足できるほどの人生を過ごしてほしい。見守っている奴らのためにも。
「ま、疲れてるならゆっくり休みなよ。お客さんだし、明日寝坊してもいいから」
「ありがとう。……お前は、正常だよな」
「って、まだそんな意味不明なこと」
「女同士で恋愛なんかに発展するはずがないよな」
「えっ……」
 絆が深まるなら歓迎すべきことだ。俺に被害さえなければサヤとバルバリシアがどれだけ仲良くなろうと「よかったな」と見守ってやれる。
 だから多分、彼女の頬がやけに赤いのは、分厚い雲を突き抜けるほど輝きが強すぎる月のせいであって。「そんなこともないかもね」なんて小さな呟きは俺の気のせいであって。
 ……本当に、夢だよな?

1/2
[←*] | [#→]


[menu]


dream coupling index


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -