─back to menu─

カイナッツォ


 夜風が頬を撫でた。最初に目に飛び込んできたのは、暗い泉の淵で物思いに耽る人の姿。見慣れない影。数分前の過去が焼きついてなければ、素通りできたのにな。
 ふらつきそうになる足をできるだけ真っ直ぐその人に向けて。近づく気配にとっくに気づいてるはずなのに、振り返ってくれない。一歩離れたところに座り込む。
「もう戻ってきたのか……」
「わたしカイナッツォが好き」
「それは聞いた」
「離れるのは、やだ」
「なら無かったことにしろ」
「わたしが勝手に好きでいるのはダメ?」
「欝陶しいんだよ、そういうの」
 普段から軽口叩かれててよかった。どこまで本気かわからないから、傷つかなくて済む。本当によかった。まして声も姿も偽物なら、全部うそだって、自分をごまかすこともできる……。
「……泣いても無駄だ。結論出させたのはお前だろ」
「好きだってこと忘れられたら、今まで通り……傍にいてくれる?」
 嗚咽を堪えるのに必死で、頬を伝う感触が何なのかもわからない。睨みつけるように見ていた水面に、隣でうんざりしてる顔が映った。
「……その調子じゃ、できると思えねえ」
「なんで、好きになっちゃ、ダメなのかな」
「お前は人間だからな」

 頭がもやもやしてて、言葉をうまく飲み込めない。ゆっくりと意味をかみ砕いていく。人間だから。だから? そんなことで。そんな、くだらない理由で? 悲しさが胸の中で腹立たしさに変わった。カイナッツォの脇腹におもいっきり蹴りをいれる。
「いってええぇえ!!」
 油断してたところにクリティカルヒットをくらって転げ回る、滑稽な姿を見てちょっとすっきりした。ついでに足元にあった石を投げ付ける。これは当たらずにカイナッツォの近くに落ちた。
「お前、ホントにオレに惚れてんのか!?」
「信じられないなら心でも読めばいいじゃん。好かれるのが嫌なら操ってもいいよ。できるんでしょ」
「……自棄になるなよ」
 好きだって自覚した直後に勢い余って告白してあっさりフラれて、いま自棄にならなくていつなればいいの。

「なあ、なんでオレなんだ」
「わかんない」
「はあっ?」
「探せば理由もあるかもしれないけど、探したくない」
「なんだそりゃ。ただの勘違いなんじゃね、うおっ!」
 二度目の蹴りは残念ながら不発に終わって、空を切った足が掴まれる。素足に触れた肌は冷たくて、これが現実なんだって嫌でも実感した。
「好きだって気づいて嬉しかったもん。理由なんか探して、何もなかったらどうしたらいいの? 好きじゃないって結論が出ちゃったら、虚しい」
「やっぱり勘違いじゃねえか……」
「もしそうでも気づかなければ平気だよ」
「……もう気づいたろ」
「まだ探してない」
「じゃ、探せよ」
「やだ」
 あからさまに溜息をついて、掴んでたわたしの足を離す。折れてくれればいいのに。諦めて、流されてよ。仕方なくでもわたしは幸せになれるのに。自分勝手な考えに、また涙が出てきた。
「好きとか嫌いとか、いらねえんだよ……」
 その声音が欝陶しさや腹立たしさを滲ませてたら、まだ意地を張れたのに。本当に……心底、困っていた。ひたすらわたしの好意に困っていた。他に何もなかった。悲しくて死にそう。

「人間の女は、まあ、いいよな。抱き心地もいいし、食っても美味いし」
 話がいきなり変な方に向いて、悲しみに沈みかけた心が呆気にとられた。好きだって気持ちが叶わないなら、抱かれてそのまま骨まで食べられちゃうのもいいかもしれない、なんて。頭がもう腐ってる。
「でもお前は食うわけにもいかねえし。魔物でもねえが、他の人間とも同じじゃねえ……扱いに困る」
「……それって、もうわたしは特別だってこと?」
「いや……へ? ああ、……いや、ちょ、ちょっと待て」
「うん、待つ」
「……だから、オレが持ってる感情なんかその程度なんだ。持ってないものをくれと言われてもだな、」
「べつに性欲と食欲でもいいのに。カイナッツォは魔物なんだから、同じものをもらえるなんて、最初から思ってないよ?」
 なのに何を一人でぐるぐるまわってるんだろう。カイナッツォは茫然とわたしの顔を見た。まだ見慣れない顔の向こうに、よく知る気配を感じた気がした。
 初めてナマコを食べた人は一体なに考えてたのかな。あのありえない色形。頭沸いてたのかな。空腹でおかしくなってたのかな。でもきっと冷静に考えたってその人にもわからないに違いない。ふと気が向いて食べてみて……美味しかったなら、理由なんかどうでもいいじゃない。

***


 ありえねえ。頭沸いてんじゃないのか、こいつ。食えないって言ってんだろ。仮にやっちまったところで、奴らにどんな目に合わされるか……いや、それ以前にお前が受け入れてんじゃねえよ、って……ああ、オレは一体どうしたいんだ。
「……ひとつ聞いてもいい?」
「なんだよ……」
 サヤの真剣な表情に嫌な予感しかしない。ろくでもないことを考えてる顔だ。そんなもん見慣れたかねえんだよ。
「食べられてなくなった腕とか、魔法で再生できるの?」
「オレお前のこと理解できねえ。絶対無理」
 再生できれば食われてもいい、ってそういう問題じゃないだろ。
「理解されたいわけじゃないもん……」
「じゃあどうしてほしいんだ」
 理解できねえ。好きにもなれない。人間らしい感情なんか抱けねえし、その気もない。……オレにどうしろってんだよ。
「……わかんない」
「お前なぁ」
「自分でも、どうしたいのかわかんない。好きだって気持ちでいっぱいになって、なんにも考えられないんだもん!」
 こいつが感情に振り回されてる様ってのは、みっともないくせにどうしてこう……。
「……オレも何やってんだかな」
 無意識に伸ばしていた手がサヤを引き寄せた。抱き込んだ体が温かい。……手放せるわけがない。こうやって話してると、べつに何かが変わったわけでもねえ。踏み込んだからって今までと大して変わらないなら……。
 面倒臭いのは嫌いだ。だからもう、流されてやるよ、馬鹿。

「これって……どういう状況?」
「自分で考えな」
「前向きにとらえちゃうよ」
「いつもそうしてんだろうが」
 オレはサヤを好きになんかなれねえ。だが、それを求めてんなら、お前で勝手に判断すりゃいい。どうせお前のためだけにここにいるんだ。逆らうだけ無駄ってもんだろ。
「……せっかくなら、いつもの姿の方がいいな……」
「どっちだって同じだろうが」
「中身がカイナッツォだって分かってるけど、……」
 観察するようにオレを眺める目。ややこしく考えんなよ。何に化けたってオレはオレだ。……正直、いつもの姿じゃ触りにくいんだよな。
「せめて声だけでも戻さない?」
「部分的に変えるのは面倒臭い」
「……めんどくさがりすぎ! どうせわたしのことだって、面倒だから受け入れただけなんだ」
「よく分かったな」
 サヤががくりとうなだれて、オレの肩に顔を埋めた。今更落ち込んでどうする。宥めようか迷って背中を撫でたら、熱い息が肩にかかった。
「カイナッツォがめんどくさがりでよかった」
「……」
 ここまで来るともう、病気だな。

3/26
[←*] | [#→]


[menu]


dream coupling index


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -