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鷹-2


 問題などないはずだった。少なくとも今朝まではそう思っていた。目を覚まして部屋を出てきたサヤに、いつものように「おはよう」と声をかけて……返事もなく全速力で逃げられるまでは。
 驚き、絶望し、怯える表情は間違いなく私に向けられ、すぐに逸らされた。様子がおかしいのは確かだが原因が分からない。何よりも理解しがたいのは、彼女の恐怖心に私自身が戸惑いを感じていることだ。今まで誰かの感情など気に留めなかったのに。
 サヤの行動が不可解なのは今に始まったことではないが、明らかに私個人に向けられた感情を、何だか分からないまま放置しておきたくはなかった。それが彼女にとって不快なものなら尚更だ。
 ……なのに。サヤが逃げるその理由を問い質さねばならないのに、不安を通り越して全身で拒絶を示した姿が、焼きついて離れない。会おうとすればまたあれを見る羽目になるのかと溜息をついたところへ、カイナッツォの姿を見つけた。
 あまり頼りたい相手ではないが、ここは一つ相談してみようか。何故かサヤとは仲の良いカイナッツォのことだ、解決に到る道は示せずともサヤが私を避ける原因の手掛かりぐらいは掴めるかもしれない。

「カイナッツォ、少しいいか」
「あー、お前、サヤに何か言ったのか?」
「な、何? どうして……」
「ものすげえ嫌悪感持たれてんぞ」
 尋ねようとした矢先に答えに似たものを聞かされた。この様子だと既にサヤに会ったのだろう。そしていつも通りに話をし、尚且つ私に向けられた悪感情だけは今朝のまま。
 嫌悪感か……。ついこの間までは私の方がそれを抱いていたのだったな。蔑視されるのがこんなにも重苦しいものなら、さぞかしサヤを苦しめただろう。
 いや、彼女は気づいていなかった。最初から私に受け入れられていたと思っている。騙していたわけではないが、今こうして考えると妙に心苦しい。
「……何故なんだろう。何もした覚えはないんだが」
「さあな、知らねえ内にあいつのカンに障ることでも仕出かしてたんじゃねえのか」
 そんな記憶は無い。大体サヤの変化はあまりにも突然だった。昨日まではいつも通り笑っていたのに……。昨日、までは?
「抱いたのがいけなかったのだろうか……」
 しかし嫌がられたわけでもない。人間相手だからと相当神経を使ったし、痛みはさほど与えていないはずだ。後にはサヤの方から抱き着いてきたぐらいだからあれが原因だとは思えない。だが態度を変えられた境目はあの行為のような気がする。

「……なあオイ、空耳か? 今なんつった」
「耄碌したのか。抱いたのがいけないのかと言ったんだ。……しかしそれが原因だとは思えないし、」
「いやいやいや! お、お前、馬鹿か? なんつうことしてんだ!」
 何を慌てているのかと私まで驚いたが、見下ろせばカイナッツォは思いの外真剣だった。……まさか本当にあれが原因なのか。いや、そんなはずはない……サヤは嫌がってなどいなかった……。
「ありゃゴルベーザ様の私物だぞ。なんで手を出してんだ」
「……だが、立場で言うなら私達と同等だろう?」
「だからやっちまったのかよ。試練のつもりか」
 そんなつもりは……無いでもないが、ただ単純に、サヤにも役割が必要だと思ったんだ。彼女が戦えない事実は変えがたく、またゴルベーザ様もそれを良しとしている。それ自体はどうにか受け入れられたが、何も為せない存在をあの方のお傍に置くのはやはり嫌だった。サヤ自身とて無力さを嘆いていたから、役割を……

「あのな……あー、人間っつーのは、特に女は不必要に生殖活動なんかしねえんだよ」
「……そうなのか? しかし他の女は……」
「あいつをそこいらの一般人と一緒くたにするな、話がややこしくなる」
 確かに同一視はできないか。ゴルベーザ様のご意思があるのだから、その場限りで捨てるものと同じには見られない。……その辺りには気を配ったつもりなのだがな。
「ついでにどう考えてもサヤは処女だ。奴の中でお前は鬼畜の変態もいいとこ、バーサクかかったバルバリシアなんぞ相手にならんぐらいの危険人物認定されてること間違い無い」
「……冗談だろう?」
「ま、いいんじゃねえのか。あいつならどれだけ傷つこうとゴルベーザ様に言いつけたりはしねえだろうよ」
 放っておけばサヤは二度と私のもとへは来ないだろう。これから面倒な事に関わらなくて済む。だが……、あの表情だ。敵に殺される時の人間の顔。ゴルベーザ様を癒し、彼女もまた安らげるはずのこの場所で、死に匹敵する恐怖を与えてしまったのは私なのか。
 どれだけ傷つこうと、言いつけはしない。確かにそうだろうが……だからそれに甘えろと言うのか。
「……謝ろうとか考えんなよ。多分お前と顔合わせるだけでも相当な負担だぜ」
 何も言わなくても、用がなくても寄ってきたのに。息を切らして笑顔で駆けてきたのに。
「何もしないわけにはいかないだろう」
「この場合しばらく放っといてやるのが優しさだ」
「そんな事はない。話せばきっと……、分かってくれる」
 傷つけるつもりなどなかった。ただ私なりに、サヤの立ち位置を決めて、受け入れようとしただけなのだと。
「……んじゃ好きにしろよ。突っ走って取り返しつかねえことにならんようにな」
 何故だろうか。正しい事を言っているのかもしれないが、カイナッツォに諭すように言い含められると無性に腹立たしいな。ともかく今はサヤだ。塔の中にいるのだろうか。できれば人目につかないところできちんと話したい。自室にいてくれればいいんだが……。



 サヤの部屋の前まで来たはいいが、ここから先どうしようか。もし本当にカイナッツォの言う通りなら、いきなり部屋に入るのはまずいだろう。一声かけるべきか。
「……サヤ、いるか? 少し話したいんだが」
 即座に中から扉に向かって走り寄る音が聞こえた。機嫌は治っているのかと少し安堵して、戸を開けようとしたら、向こうから思い切り閉められた。
「来ないでっ!」
 悲痛な声が胸を刺した。扉を隔てた向こう側からなおも言い募るサヤの声は、か細く震え、怯えきっていた。
「お願い……、お願いします、どっか行って……ください、……お願い」
 こちらが侮蔑してさえ笑顔で近寄ってきてくれたサヤが、何故、ああ……そんなに。そんなにも怖かったのか。放っておくべきとの意見は正しかった。話などできるわけがない。
 未だ扉の内側で窺う気配があったが、声をかけることもできずにその場を離れる。もう修復できないのだろうかと考えた瞬間、脳裏にサヤの記憶が噴出した。

 出会い、名前さえ知らぬ時から笑顔を向けてきた。全幅の信頼をおいて、掛け値なしの好意をこめて私の名を呼んだ。
 泣き濡れながら懇願する声。触れるごとに敏感な反応を示し、柔肌が熱く熟れてゆく様が、皮膚を通してまざまざと思い起こされる。罪悪感とともに熱が集中してくるのを感じた。こんな有様で近寄れば、もっと嫌われてしまうのではないか。だが……。
 必死にしがみつきながらサヤは私の名を呼んだ。……今思えば錯乱していたのかもしれないが、混乱の極みに、確かに私の名を呼んだのだ。嫌われてしまったわけではない、はずだ。
 魔力を解放し、部屋の中へ転移する。予測していなかった襲撃に焦り、逃げ出そうと開かれた扉を片手で制すと、私と扉に挟まれたサヤがぎゅっと目を閉じた。目尻に滲んだ涙を拭おうと指が触れた途端、強張った体が恐怖に染まる。
「い、や……」
「サヤ……、違うんだ、私はただ」
「やだっ、離してよ! いやあぁっ!!」
「っ……!」
 まずいと思ったときには抱き締めていた。謝ろうと思った。だがそれが何になるだろうか。私の自己満足にしかならない。どれほどの苦痛だったのか、理解しているわけではないのだから。許せないなら謝られても困るだけだろう。
「離してぇ! っく……、うぅっ」
 嗚咽が込み上げ、腕の中でサヤの体が跳ねる。拘束を逃れようと押し返す力はあまりに弱く、本当に抵抗する気があるのかと思う程。

「ひっ、く……うっ、うぇっ……」
 強く抱きしめると、サヤの混乱が頂点に達した。突っ張る腕から力が抜け、呆然と立ち尽くした次の瞬間、溢れ出した感情が部屋を埋め尽くす。
「やだぁぁ! ひぅっくっ、うっ……ふぅっ、うぇぇぇ……ううううっ!」
 泣き叫びながら私にしがみつくサヤは、もう抵抗も忘れて恐怖を吐き出すことだけに全力を注いでいた。受け入れたからではなかったのか。
 ……怖かったんだな。他に誰もいなかったから、私に助けを求めたのか。その信頼を無惨にも裏切ってしまった。
「……すまない。君がそんなに」
「っく、ひぅっ……っ、うぅ、わあああああッ!!」
 こんなに怯えさせると、思わなかったんだ……。

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