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4.

 片付いた執務机を見遣って息をつく。取り急ぎすべきことが何もない。煩わしいことがない。つまり平穏だ。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。何事もない日常って素晴らしい。
 片付けた仕事とはつまりダムシアンを滅ぼすための細かな指示の積もった書類の山なのだが、カイナッツォにとっては世界の平和など自分の平穏に比べればどうでもいいことだった。
「あー……どうすっかな……」
 窓の外を見上げれば、月はもう随分高い位置にある。今更訪ねてくる者もいない。バロンに来た当初に比べれば人間のふりにも慣れてきたし、事態が転がり始めた今ではあまり神経質に隠す必要もなくなった。
 椅子から起き上がると一度大きく伸びをして、久しぶりに本来の姿に戻る。満ち満ちた水の力に息をついた。……これなら不測の事態にも対処できる、はずだった。

「あら、それが本当の姿ですか? 亀なのか人間なのか中途半端ですね」
「……どこから入ってきてるんだ、お前は」
 なぜ背後から音も気配もなく忍び寄ってくるのか。扉は閉まっているし、空でも飛べない限り窓から入れるわけもない。転移魔法が使えるほどの魔力も感じない。ましてカイナッツォにさえ気配が読めないとは一体どういうことなのか。この女は本当に人間なのだろうか。
「門衛の方に鼻薬を……」
「それだけでここまでオレに近付けるものか」
「そうですよねえ。なぜ私の気配が読めなかったか、知りたいですか?」
 女が不敵に笑う。いつでも殺せる距離だ。にもかかわらずその体には緊張のかけらも見当たらない。カイナッツォは唐突に不安を感じた。何か見落としているのではないか。この女は魔力に乏しいのではなく、そのふりをしているのでは? ……まさか。しかし殺意を向けられるわけでもない。女の意図が分からない。

「実は昼の内に忍び込んでたんですよ」
「……なんだと」
「そしてあのチェストの中で、ずっと」
「…………」
「寝てたんです……」
「…………よく入ったな」
「体が痛くて死にそうです」
 女の指した調度品を見遣る。箱である。人間の子供なら悪戯で入り込むかもしれない。大人ならば……少なくとも目の前の女程度の体格ならば、それこそ屈葬のように丸めて無理矢理突っ込めば入るだろうか。もとから収納されていたものの行方が気になるところである。
「……で、何しに来たんだ」
「待ってください、襲いに来たんですけど背中が痛くて」
 今更だがこの女はちょっと頭がどうにかなっているのだろうか。気を取り直して魔力を集める。カイナッツォのまわりに水が沸き起こった。女はそれを見てもまだ平然としていた。すっと腕を伸ばし、ローブの袖からパラパラと何かが落ちる。

「残念、対処済みでした」
「があああっ!?」
 閃光がカイナッツォの視界を遮り、体を走る衝撃に四肢から力が奪われる。頭の中で雷鳴の余韻が轟いた。ずしんと音をたててカイナッツォの体が床につく。
「こんなにたくさん牙を集めるの、大変だったんですよ」
 自慢げな声に反論もできない。瀕死だった。霰のごとく降り注いだそれは確かに数えるのも億劫なほどに多かった。
 女はその場にしゃがみ込み、いたわるようにカイナッツォに触れた。頬を撫で首を撫で、投げ出された腕に口付けを落とす。指先をくわえて舐め、自分の指を絡ませながら溜息をついた。
「……この体、愛撫しにくいですね……甲羅を剥がして中身を引きずり出そうかな」
「殺す気か、てめえ……!」
「冗談です。そんなに怯えないでください」
「…………ん?」
 顔の正面に屈んだ女の姿に何か違和感があった。ローブがめくれて太股が見えている。その奥まで同じ肌色が続いていた。
「……なんで下着つけてないんだ」
「少しでも薄くなろうかと」
 あの箱に隠れるためにと示した先に、件のチェストが居心地悪そうに佇んでいる。脱ぎ捨てた下着の行方が気にかかるところである。……王の執務室から女物の下着が出てくるのも如何なものか。
「相当の阿呆だな」
「なんだか寛いでません?」
「回復中だ」
「殺しませんから、殺さないでくださいね」

 馬鹿げた言い分にカイナッツォは言い返さなかった。いましがた殺されかけたわけだが、女に殺意がないのは真実だった。もうどうせ、と自棄になっている部分もある。
 快楽には流されておけという主の言葉を思い出していた。決して屈辱を甘受するのではないと自分に言い聞かせる。下手にやり返そうとして痛い目を見るのも御免だった。相手は女だ。この姿でいる限り、近衛兵長ほどには欝陶しくない……はず。
 背後に回り込んだ女がカイナッツォの尾に跨がる。内股に挟まれ、柔らかな掌が尾を撫でた。鈍い刺激に脳が反応して内包したものがジンジンと疼き始める。それを察してか女が誘い出すように先端を舐めた。本能のままに露出した器官を女の舌が這う。通常では得るはずのない快感に、カイナッツォが身震いした。
「なんだか私が犯してるみたいですね?」
「な……!!」
 言葉をなぞるようにカイナッツォの甲羅に手をつき、尾の先を股に挟んで粘膜を擦り合わせるように腰を振った。響く水音はどちらのものなのか。みたいどころか、まさしく犯されているのは己の方だ。
 やはり駄目だ。黙って耐えることなどできない。そう決意した時にはもう遅かった。熱い肉に包み込まれ、ぐちゃぐちゃと卑猥な音を立てながら交わっている。強化された本能が、射精を求めていた。
「うっ……く、離せ……っ」
「離していいんですか? あと少しなのに?」
「はっ……、てめ……許さね……っうぁ」
「それなら最初から抵抗すればよかったのに」
 腰の動きを速めながら甲羅についた手を片方だけ離すと、先に向けて広がった部分を掌で覆う。中心に向かって揉むように握り込み、振りたてる動きに合わせて指を蠢かせた。
 頭の中で声が響いている。抵抗するよりも流された方が楽だと、お前もよく知っているだろう。……逆らえるわけがない。しかし……しかし、カイナッツォが殺したあの男は、最期まで抗い通したではないか。結局のところ。
「あ、っ……くうぅッ……!」
 認め難い敗北感の中でカイナッツォは果てた。女の股を吐き出した精が伝い、足首まで流れ落ちる。それを気にも留めず立ち上がりカイナッツォの正面に回り込むと、いつかのようにそっと口付けた。

「腰が痛いです」
「オレは怠い」
「犯したのが私なら、逆のはずですよねえ?」
「……そうだな」
 だからと言ってこの気分が救われるわけでもない。腹立ち紛れにこの女を殺すのも、何事もなかったかのように『バロン王』に戻るのも嫌だった。カイナッツォはただ何もせず床に寝そべり続ける。女は立ち去るまで何も言わなかった。

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