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1.

 口腔を蹂躙する感触。軟体動物のような舌がなまめかしく動き回り、味わい尽くすように何度も口付ける。見つめ合った瞳は互いに熱を持たず、冷ややかに貪る者と眉一つ動かさずに受け止める者。
 口の端から唾液が溢れ出し、顎を伝って首筋を流れた。見せつけるようにゆっくりと引き抜かれた舌が銀糸を引く。不快感しかないというのに。
「……一応襲われているのですから、表情ぐらいは変えていただけませんか」
 目の前の男はすでにただの人間ではないが、だからといってカイナッツォが警戒すべき力を持っているわけでもない。いざとなれば直ぐさま消してしまえる。ただ、今はまだ必要だった。人間として生活してゆくカイナッツォの不自然さを隠すためには。意識的に眉をしかめ、歪んだ笑みを浮かべるベイガンを睨む。
「考えてから表情を作ってはなりません。本能から出たものでなければ不自然さは消えない」
「そんなことは分かっている」
 自身の歪みを押し隠したまま近衛兵長にまでのぼり詰め、果ては忠義を捧げた王を裏切り、何食わぬ顔で王に成り代わったカイナッツォに仕えている。
 人間らしい醜さとしたたかさが、この男の内面に似合わぬ物腰の優雅さが不快だった。そしてまた、今自分が最も頼らねばならないのはほかならぬベイガンなのだという事実が、腹立たしい。

「王の真似事などせずともよろしい。民へのいたわりや臣下への気遣いなど、陛下には必要ありません」
「……お前は、」
 何様のつもりだと言おうとして、再び唇が押しつけられる。射抜くかのような鋭い目は冷たい光を放ち、そのくせカイナッツォの唇をなぞる舌は堪え難いほど熱かった。
 いい加減腹に据えかねて押し退けようと伸ばした腕がベイガンの手に捕らえられ、導かれるままその腰にまわされる。格好だけ見ればカイナッツォが抱きしめてキスをせがんでいるようでもあった。一気に頭に血が上り、ベイガンの腰帯を掴んで引きはがす。
「気色の悪いことをさせるな!」
「そうそう、その反応ですよ」
 悪びれることなく笑顔で言い放つと、搦め捕った腕を離したベイガンの手があろうことか股間に伸びてきた。
「あなたには怒りと侮蔑こそ相応しい」

 形を確かめるように握り込むと、カイナッツォの腰が僅かに引いた。それを追うように抱きすくめられ、胸当てに覆われた硬い体に密着する。抵抗どころでなく今すぐにも殺してやりたい気分だったが、殺すわけにはいかないのだ。命じられて動く身には勝手な行動など許されない。
 加減をして突き飛ばせるほどカイナッツォは人間の体に慣れていなかった。反射で表情を動かすことすらできないのに、力任せに引き寄せてくる男をどうして止められるものか。
「……おい、殺されたいのでなければさっさと退け」
「申し訳ありませんが陛下、もうその気になってしまいましたので、殺すならば終わった後に」
 終わった後? 言葉の意味を判ずるのを恐れ、カイナッツォが硬直した。間違えた。即座に判断して突き放すべきだった。思考の停止した隙をついてベイガンの手が体をまさぐる。我に返った時には素肌の上を欝陶しい感触が這いまわっていた。

「待て、待て待て待て! お前は何か、そういう趣味があんのか!?」
「そうですな……男を相手にするのを、是か否かと問われるならば、是と答えます」
 カイナッツォには理解し難い返答だった。人間の女なら好きだ。あの味も感触も抱いていて心地いい。魔物にも人間を好む性質のものは多い。しかし男は駄目だった。自身の性に関わりなく、女の方がいい。
 人間の男は体質的に女よりも魔力が少ないし、食っても硬いし、これはカイナッツォ個人の好みだが何より視覚的に楽しくない。しかもこの状況は何だ、とベイガンを見下ろす。その体と壁の間に捕われている自分。
「……オレは男に興味はない」
「そうですか」
「おい」
 そうですかとは何だと問おうとして、下衣の中に入り込んだ手に背筋が凍る。生身のそれに遠慮なく触れると追い立てるように扱き始めた。張りついた体を引きはがそうとベイガンの肩を掴むが、下腹部に沸き起こる快感に気を取られて力が入らない。密着した腰に、衣服越しにも分かるほど硬いものが当たっていた。
「……お前、なんで欲情できんだ? 理解できねえ」
 怒りと呆れが入り混じり、僅かに感心さえ芽生えた。今はカイナッツォには見ることのできない姿、記憶の中のバロン王の顔形を思い浮かべる。興奮どころか萎えそうだった。もちろんそれは目の前で自分を煽っている男にしても同じことだ。
 同性を好む人種がいるらしいことは知っていたが、ベイガンは相当悪食なのではなかろうか。ではよりによってそんな男を側近にしたカイナッツォはどれだけ不運なのだろう。今もう一度バロン王を殺せるならば、かつてよりも余程念入りに、残虐に殺してやりたい。

「…………っ」
「真似たのは容姿だけかとも思いましたが……」
「余計なことを言うな」
 自身の放った精で下着が濡れて気持ちが悪い。内心に関わらず快楽に浸ってしまったことも腹立たしい。いっそ指摘されたように表面だけを真似ればよかった。性など必要ないのだから。わざわざ不要な部分を廃除するよりも、そのままなぞる方が楽だったのだ。
 今更ながら自分の無精さに息を吐く。ベイガンの手が衣服を脱がしにかかるのを眺めながら慣れない脱力感に襲われて体を動かせなかった。
「どうして男に欲情できるのかと問われましたが」
 あらわになった股間が外気に触れる。冷気に震わせた体をベイガンが掻き抱き、愛でも囁くように耳元に口を寄せた。
「自らへの憎悪を求める気持ちならば、分かって頂けますか」
 ではカイナッツォが愉しんでやれば退くのだろうか、この男は。否、抗いようのない不快感に呻くことが分かっているからこそ。
「近衛兵長」
「はい」
「魔力の気配ぐらい察せるようになるんだな」
「……は、」
 訝しげに顔を歪めたベイガンが振り返った瞬間、殺意が水塊となって飛んできた。

「……こういう危機は想定してなかった」
 したくもなかったし、する必要もないはずだった。殺すならば終わった後に。では殺さない限り続くのか、これは。
 無表情のまま気分だけはげんなりと、気を失ったベイガンを見下ろす。どうやら使命とは別に、早急に人間の体に慣れなければならないらしい。

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