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あの日愛した空の下

 ローザ・ファレルのことを花のような娘だと評する者は多い。陳腐な表現だが正しいと思う。己が季節に咲き誇る花の横に立ち、開いた花弁を萎れさせてしまいそうなほどに、彼女の方が美しかった。
 豪奢な花を二つ並べても仕方ない。うら寂しい枯れ野原に悲しそうに佇む方が彼女には似合いだと、そんなことを考えるのは私だけだろうが。

 通り過ぎかけた私に気づき、ローザがぱたぱたと走ってきた。駆けてはいけないと教わったことは忘れているらしい。
「ドレスの裾を翻してはいけないと言われたでしょう?」
「わたしは“婦女子”じゃないもの。子供だからいいのよ」
 普段そう扱われれば怒るくせに都合が悪くなったときだけ幼いふりをするんだな。そういうところが子供なんだよと言うと、また怒るだろうか。
「カイン殿と遊んでいたんですか」
「そうよ! かくれんぼしてるの」
「王宮で……」
 もしや今頃、誰かに見つかってこっぴどく叱られているのではないだろうか。可哀相に。
 立っていたら見つかると私を屈ませ、木陰に引きずり込んで顔を寄せて来る。この光景をはたから見ると、子供同士の戯れで済まされるのかどうか。
 すでに異性を引きつけて止まない容姿に育っているのに、彼女は未だ幼かった。

「ねえベイガン、むっつりすけべってなに?」
 純粋無垢を絵に描いたようにキラキラした瞳で、ローザが私を見上げてきた。むっつりすけべって。誰に教わったんだそんな言葉、また母上に怒られるぞ。さてどうしてごまかそうか?
「むっつりすけべっていうのはね」
「ベイガンはきっとむっつりだって言ってたの」
 誰がだ。きっと従騎士の誰かだろうな。隠し通しているつもりでもどこからか漏れているのだろうか。少し慎重にならなければいけない。この時期に、妙なことを陛下の耳に入れたくはないから。
「ねえ、ベイガンむっつりすけべなの?」
 そりゃあそれなりに自覚はあるけれど、あまり連呼しないでほしい。私だってむっつりすけべになって許される立場ならとっくにそうしている――そういう話ではなかったか。
 下手にごまかしてしまうと「ベイガンはむっつり」で納得されてしまうかもしれない。ローザに言われるだけならまだしも他へ伝わってしまうと困る。といって、二人の秘密などとしてはローザが真実を知る時に怪しまれるだろう。
「それは人を悪く言うことばだから、あまり口にしてはいけませんよ」
 正直になるべき時にはならなくては。

 屈み込んで視線を合わせると、ローザは涙ぐんで声を震わせた。だからまあ、むっつりについて否定はすまいと思う。
「悪口なの? じゃあベイガンは、ちがうのね?」
 許されるのなら。ローザにではなく私自身が許せるのなら、そうなってしまっても構わないんだが。生憎と今は昼で、ここは王宮の庭園で、彼女は幼くて、私はたかが見習い騎士だ。
 でも未来を狭めるのは好きではない。この愛らしい娘に抱いた想いをすぐに叶える気はないけれども、放棄してしまうつもりもなかった。
「悪口だけど、そうだな……貴女がいつかその意味を知った後、気心知れた相手になら、言ってもいいですよ。現に私は怒っていないでしょう?」
 まじまじとこちらを覗き込み、私の中のなにかを確認すると、ローザは殊更に大きく頷いた。満足そうな笑顔にこちらも微笑ましい気分になる。
 いつかその意味を知った後、それでもなお私に「むっつり」なんて言える日は来るだろうか。想像すればあまりに生々しい。からかって終わる爽やかさとは無縁だった。無自覚なローザと私の間に深い断絶があった。
 そして私は知っている。真実愛した相手には踏み込むことを恐れるんだ。知るのが怖い。知られることが怖い。心から逃してはならない相手だけは、気心など、知れない。
 幼馴染と気安く呼べるほど近くに居れば私はきっと我慢できないだろう。欲しているなら離れなければいけない。手の届くところにあってはならないんだ。まだ幼い彼らは知らないのだろうな。こんな、日の光の下には似合わない感情を。




***





「どうしたんだ、何かいるのか?」
 庭園の隅に佇んでいた彼女を見つけて声をかけると、ローザは俺を振り返り一瞬どこか遠くを見つめた。近頃、視線が通り過ぎるのをよく感じてしまう。分かっているのに彼女の向く先を遮って踏み込めない自分が、腹立たしかった。
「ねえ、カインって、むっつりすけべなの?」
「……は!? な、何だいきなり!」
 唐突な言葉に心臓が跳ねた。見透かされているような気分になって冷や汗が止まらない。兜を持ってきていればよかった。
――あいつはローザに邪な欲望など抱かないのだろうか。
 不意に沸き上がった想いに今度は血の気が引いていく。純粋な恋ってやつはなんて恐ろしいんだろう。挑む前から、敵わないと無惨に斬り捨てる。なのにじりじりと焦がすような未練は残されたままだ。
「竜騎士団のみんなが言ってたわよ、団長はきっとむっつりだって」
「……あいつらは……」
 気のいい奴らだが少し気安すぎたな。これからは引き締めて行こう。勇猛果敢が竜騎士の誉れではあるが、赤い翼の奴らのように思慮深さというものも必要だ。
「考えてることを内に溜めすぎるから、そう思われるのよ?」
「開けっ広げすぎてもどうかと思うがな」
「そうね。お酒の席で部下に零す、それくらいがいいのかもね」
 そうだ。俺が潔い人間であれば、「セシルは酒が入るとお前の話ばかりになる」とでも言って、その憂い顔を変えられるだろうに。
「……カインには言えるんだけどなぁ」
「何を」
「怒らないって知ってるから、軽口を叩けるのよ」
「……怒るなってことか」
「そうとも言うわ」
「はいはい、好きにしてくれ」
 ローザ、お前セシルには言えないだろう? からかって怒るのか傷つくのか、知らないから怖いんだろう。
 男として怖れられもしない。預けられた信頼が、幼馴染という絶対的な距離が、これほど苦々しく思えるなんて……あの頃は、考えもしなかったのに。

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