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ベイロザ

 今夜の空は暗い。微かな光ならば掻き消してしまえるほどに濃い闇が、城のそこかしこに滞っている。姿を隠すには好機だった。いや、今を逃せば次はないだろう。
 セシル殿が死んだという知らせを受けて、彼女もまた城の異変に気がついた。しかしバロンがすでに魔の支配下にあることまでは未だ理解していない。生半可な勇気が危険を引き寄せていることを、彼女は知らないのだ。
 あの性格ではきっと大人しく逃げ出しはしないだろう。陛下を問い質しセシルの捜索を願う、そんなところか。それでは困る。面倒事を引き込む人間ならば陛下はすぐに排除なされるだろう。もとよりローザに用はないのだから。

 闇に馴染む瞳で城内を駆け、人目を避けて塔を登る。ノックもせず扉を開くと、憔悴した様子のローザがそこにいた。
「ベイガン!」
 後ろ手に扉を閉める間に、彼女の方からこちらへ駆け寄ってきた。その腕には愛用の弓矢がある。……どうやら、私の思う以上に無茶をするつもりでいたようだ。
「狩りにでも行かれるおつもりですかな、ローザ殿」
「からかわないで。貴方は気づかないの? 陛下がおかしいのよ。セシルが死んだなんて……そのうえ、あんな得体の知れない男を赤い翼の隊長に据えるなんて!」
「落ち着きなさい」
 肩を押さえ、そのまま抱きすくめようかとも思ったが。ともかくまだ私の話を聞く余裕はあるようだ。じきにそれさえ無くなるのだろうけれども。
 彼女の疑いは陛下ではなくゴルベーザ様に向けられていた。これはますます危険だ。
「確かに素性の分からぬ者ではあるが、陛下の召し出した人間だ。信頼すべきではないか。現に飛空艇部隊の者達も従っている」
「従う? 彼等の目を見なかったの、ベイガン。モンスターのように生気のない瞳! あの男が術をかけているのよ。急に陛下が変わられたのも、クリスタルなんて集めだしたのもゴルベーザが……」
「ローザ」
 先走りすぎだな、本当に。昔から勘の鋭い娘ではあったが、セシルに関わることとなると一層凄みが増す。窘める私に向けられた視線はいつにもまして強く厳しかった。
 私がもう少し若ければ、もう少し純粋であれば、あるいはこの瞳の強さに惹かれたのだろうか。魅入られて惑う二人の男のように、私もローザに焦がれていた……かもしれない。

「ゴルベーザ様は素晴らしい方だよ」
「……ゴルベーザ、様?」
「セシル殿よりも強く、我がバロンの飛空艇団を率いるに相応しい力を持っておられる」
「貴方も……あやつられて、いるの……?」
 そのとき彼女の顔にあらわれたものが悲しみであれば、私は多少愛されていたのだろう。怒りであれば信頼されていたのだろうと思える。しかしローザを私の正気を疑ってはいなかった。さて、これはどう受け止めるべきか。
「あなたまでゴルベーザの味方なの?」
「私の魂はとうの昔にバロンに捧げたよ」
「ではどうして、バロンを内から喰らおうとしている男を放っておくのよ!」
 雲間に隠れていた月が何かに呼ばれたように、そろそろと顔を出しつつあった。窓から差し込む光がローザの輪郭を輝かせてゆく。
 私が決して見慣れることのない夜の彼女は、やはり見惚れるほどに美しかった。
「私はバロンに仕えることを誇りに思っている。この国は私の理想でなければいけない。それを追い求めた結果が、これだ」
「……分からないわ……ベイガン、あなたも変わってしまったの?」
 召喚士の少女を連れてセシルが逃亡しているとの報告があった。部下に後を追わせはしたが、易々と倒されるはずもない。ローザと再会するためにセシル殿には生き延びていただきたいものだ。
「私は近衛をおさめる身として、陛下に逆心を抱く者を捕らえ処断しなければならない」
「彼らは、ミシディアの人達は罪を犯してなんかいないわ! シドだって、」
「例えそれが幼い頃より目をかけ可愛がってきた、いとしい娘であっても」
「……わたしを捕らえる気なの?」
 それほどの執着心があればこんな回りくどい道を辿りはしないさ。ただ、あの竜騎士が戻る前に出て行ってもらいたいんだ。束縛などくだらない。私は君が逃げ惑い駆けずり回って、徒労に絶望する様が見たいのだからな。

 壁に背を預け、彼女が外へ踏み出す道をつくり、扉を開けてじっと佇む。ローザの眉が訝しげに寄せられ、戸惑いながら私を見上げた。
「こんな夜中に逃げ出されては、監視の目が行き届かないこともありましょうな」
 ゴルベーザ様は軽んじておられるが、セシル殿は必ず生き延びてここへ戻ってくるだろう。内に秘めたる光を滾らせ、バロンを変えた者達を断罪しにやって来るに違いない。
 愛する男と手に手をとって、失ったものを取り戻しに君がバロンへ帰ってきたら。その時こそ打ち明けよう。陛下をすげ替えたのは私だと。セシルを追い出しゴルベーザ様を引き込んだのは私だと。君が見ていた昔日の私は、幻だったのだと。
 そうだ。私は変わってなどいない。君が見ていなかっただけなんだ。
「ローザ。君に一つ本当のことを教えよう」
 出て行きかけた足を止め、おそろしげな顔の彼女が振り返る。
「私は操られていないよ。君を逃がすことが、その証明になるだろうか」
 引き結ばれた唇が白く染まった。そんな変化に気づいて、空が明るさを取り戻しつつあることを知った。
「引き止めて申し訳ございません、私の用件は終わりです。逃げるならどうぞ、麗しの白魔道士殿。あなたの恋人が待っておりますよ」
「恨むから。ずっとずっと、恨み続けるから」
 最後に私を睨んだ瞳は怒りに燃えていた。

 この腕に抱きたいというほどの熱情もなく、強い視線に焦がされたいというほどの想いもなく。ローザの瞳に影が差し、似合わぬ憎悪を宿して私を見つめてほしかった。
 全てなくし、敗北に崩れ落ちて、笑顔が消え去る日を心待ちにしている。いくら君が情け深くともこんな私の愛など受け入れられまい。だから、拒絶してくれ。生温い好意など捨ててくれ。
 私は、君が唯一憎んだ人間になりたいんだ。

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