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火×風
魔物は病になど罹らない。まして数多の配下を従えるあたしが、風の四天王を名乗るこの身が、床に臥せるなんて。……あってはならぬことだわ。
普段なら用のない自室に今は篭りきり、虚しく天井を睨みつけるばかりの日が続く。不意に体中を震えが走って、視界はいつも濁っていた。熱があるって苦しいものなのね。茹だるような気分なのに寒気がとまらない。
以前ゴルベーザ様が風邪を引いたとかおっしゃっていた時は、特につらくもなさそうだったけれど、強がりだったのだろうか。内実が今のあたしと同じだったならもっと気遣って差し上げねばならなかったのに。こんなにも無神経でいながらゴルベーザ四天王を名乗るなど笑わせる。
「バルバリシア」
頭上からかかった声に顔を向ければ、常日頃から悪目立ちする、今は常よりもっと目に痛い赤が立っていた。……暑苦しいわ。
「寝ていろと言われただろう? 考え事をするだけでも精神は消耗するぞ」
苦笑を零しながらあたしの額に手を置いたルビカンテが、はっと目を見開いた。
「ちょっと、どうしたの。手がぬるいわ」
「いや、お前が熱いんだよ」
火のルビカンテという名に相応しく生身の人間なら焼き切ってしまえるはずの男の手の平は、そこいらの生物よりも冷ややかなあたしの額に今は心地よい体温を乗せている。
それで熱を抑えているわけじゃないなんて。……もしかして、自分で思う以上に具合が悪いのかしら。
「魔物に人間の薬というわけにもいかないしな。ゴルベーザ様に用意して頂いたのだが」
言いながらルビカンテが取り上げた籠に、赤く光る果実がたっぷりと詰まっていた。赤い……りんご。だから暑苦しいって言ってるのに、分からないの? 愚鈍な男……。
おもむろに果実を手に取ると、枕元に備えていたナイフで器用に皮を剥き始める。赤い皮の中身は甘い香りを放つ薄い金色。熱でぼんやりしているせいかそれを欲しいと思ってしまった。さすがに、ねだるほど理性を失ってはいないけれど。
「……」
黙々と真顔で作業に没頭していたルビカンテは、あらかた皮を剥き終えると今度は果実を皿に並べた。見栄えよく。こういう細かいところで無駄なこだわりを見せるのが欝陶しいのよ。
そのうち一欠けらをナイフに刺してあたしに差し向ける。そのくせ、受け取ろうとしても離さない。
「何よ」
答えもしないし動かない。向けられたりんごだけが男の意図をはかる手掛かりだった。いくら熱に浮かれた頭でも……手から食べろとでも言うのか、犬じゃあるまいし。あんたねぇと抗議をするべく開いた口に、
「むぐっ」
捩込まれた。治ったら覚えていなさいよ。沸き立った怒りが、即座に広がる甘味に掻き消されてしまった。味はよく分からない。でも冷たくて気持ちいい。
「死ぬな」
ぽつりと、拾い損ねそうな小さな音が落ちてきた。まあ食べてやってもいいわね、自分の手でならね、と奇妙な満足感とともに咀嚼を終えてようやく、言葉として脳に届いた。
すぐには意味が分からずぼやけた頭で反芻してみる。死ぬなって……あたしに言っているのよね。
「……馬鹿じゃないの? 風邪ごときで死ぬわけないでしょう」
そりゃあ人間みたいな病に罹って寝込むなんて、我ながら不甲斐ないとは思うけれど。それで死ぬだの何だのあまりに侮っている。馬鹿にしているのだろうか。
「分かってる。それでも、私は、嫌だよ」
「何が、」
「お前の弱っている姿は見苦しい」
仏頂面で言い放った男に指を伸ばし精一杯の殺意をこめる。口惜しいことに、放った魔力はつむじ風程度にもならなかった。
そよ風を浴び、また息を切らして睨むあたしを見てルビカンテが罰の悪そうな顔をした。分かっている。大体言おうとしたことは分かっているわ。言い慣れないから表現を間違えたのでしょうね。でもどちらにしろ腹立たしいわ!!
「見ていて辛いから早く治してくれと言いたかった」
「あんたに心配される謂れはないわよ」
本気で身を案じるほどに弱っているんだ。傍目から見ても。……情けない。こいつの前にそんな姿を曝しているのが一番耐え難かった。
「……あんたがそばにいたら、怒りで活力が沸いて来るわよね」
「ではずっとここで見守っていようか?」
だらし無く微笑む顔面に拳を叩き込む日を待ち遠しく思いながら、ぶん取ったナイフで刺してもう一つりんごを頬張る。やっぱり冷たくて、今度は美味しいと感じた。
隣から来る熱のせいで寒気もおさまった。今はもう、体の芯から熱いだけ。病はじきに治るだろう。
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