正義の方程式
ある偉人が言う。「猫がねずみをとるのは悪だろうか?」私はそうは思わない。しかし、ねずみの意見はまた違うだろう。ねずみにとっての悪と、猫にとっての正義もまた違うはず。
この世界に来て最初に見た、今まさに殺される人を思い出していた。この手が殺す男の顔が脳裏に浮かぶ。彼が言う。「それほど非道で、お前は本当に人間か」
あの時とは違う、淀んだ空気に支配されたバロン城に私はいる。誰もいない玉座で考えた。私は人間かな? どうだろう。今はどうでもいいことか。
ねずみは食べられないために猫を悪として立ち向かう。猫はねずみを食べなきゃ死んでしまう。お互いの事情を戦わせて、勝ったほうが正義になる。
人間は身を守るために魔物を殺し、それを後悔することもなくただ安堵感にまみれて幸福を感じるんだ。これで安全、私たちを害するものはいなくなった。その魔物もまた家族を守るため人間を襲っていたとしたら人々は後悔するだろうか? でも、どちらにしろ殺さなければ自分が死ぬんだ。
食べるでもなく自己防衛でもない、ただ快楽のために人間を殺す魔物がいたとして。彼らは無意味に残虐で、ひとが苦しみのたうちまわって死ぬのを楽しんでいる。悪辣だ。“殺さなければならない。”……それが魔物にとって必要なことだとしたら?
誰かを苦しめて、その絶望を浴びなければ己が悶えて渇いて死んでしまうとしたら。その残虐行為は人間のする食事と何も変わらない。
きれいごとでしか知らなかったんだ。正義は場所により見るものにより様々に形を変えるものだと、思ってもみなかった。
多くの人間を殺さなければならないと知って怖かった。どうにか平和に解決し、みんな幸せになれればいいと始めは考えてた。結論――そんなこと、むりだ。
もう何も感じない。もう傷つかないし、怖くもない。目的のためにどれほど命を消費してもいい、私にはそれが必要だと知ったから。
心を守るための正義が他人を傷つけないわけじゃないと知ったから。私が他人をいたぶることで幸福になるものがいると、分かったから。
それに……。
この悪行を為しているのはゴルベーザだ。選んだのはゴルベーザ。押しつけたのはゴルベーザ。私はあっちに帰っても、罪悪感のひとつも抱かないと思う。ここでどれほど残虐になってもあっちの私の人間性には些かの傷もつかないだろうから。
この世界で私は猫となり、ねずみを狩るだけ。必要に迫られそうするだけだ。私の正義は揺るがない。
後悔するのも苦しむのも私じゃないもの。
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