カフェラテ


 夕日に染まる教室で、カフェラテは眠りに落ちかけていた。一つ一つ詳細には聞き取れないクラスメイト達の他愛ない会話が音の塊となって部屋に満ち、木々の揺れと相俟って心地よく眠気を誘った。
 べつにすぐ帰らなくてもいい。ここでうつらうつらしていれば、そのうち帰り支度を終えた彼女が声をかけてくれるかもしれないし。なんて打算的なことを考えた瞬間、狙いすましたようにその名が飛び込んできた。
――じゃあさ、モカは?
 誰かの声が彼女の名を呼んだ。まだぼんやりとしている意識を急かしてそちらに向き直り、拾うべき音に集中していく。次にとらえた言葉がカフェラテの意識を完全に覚ました。
「わたしは、カフェラテかな」
 ガツンと殴られたような衝撃に全身をめぐる回路がフル稼働を始め、よりによってこんなときに“壊れた家電は叩いて直せ”という言葉を思い出した。同時にポモドーロになすべき復讐についても思い出したがそれはひとまず置いておくことにする。まずは目前の重大事だ。
 少し離れたところで談笑する彼女らに気づかれないよう、静かに慎重に集音を始めるが、周囲のざわめきに紛れて話の内容が聞き取れない。しかし今、たしかに呼んだ。
 寝惚けていても聞き違えはしないモカの声が自分の名を呼んでいた。……なぜ?
 じっと息を潜めるが彼女もまた黙ってしまい、あとは友人ばかりが話している。モカの言葉にうんうんと頷き、ほっと一息吐き出して笑う。唇の動き、声帯の震え、全身で彼女らの会話に集中した。
「あー、いいよねぇ」
「カフェラテ好きなんだー、モカ」

 ……いや、聞き間違いだろうきっと。そうに決まっている。やっぱり寝惚けてるなあと自分に呆れ、寮に帰るためカフェラテは鞄に手を伸ばした。
 わたし……カフェラテ……好きなんだ……。そんなはずはないと分かっていながら漏れ聞こえた単語を組み合わせてしまう。彼女がオレを、まさかそんな都合のいい、でも、もしかしたら。
 煙をあげてオーバーヒートしそうな彼にクラスメイトの不審の目が向けられるが、好きという言葉に思考回路を焼き切られたカフェラテは気づかない。自分だけに都合のいい結論を出してしまいそうで怖くて、もう彼女の顔も見られずに教室を飛び出した。

 校舎を出てしまえば少し冷静になってくる。放課後の教室というやけに落ち着く空間で幸せな夢を見たんだ、きっとそうだ。ラッキーだったなあと思ってにまにましていればそれでいい。
 やっとの思いで制御の乱れを防いだところへ、追い討ちのように夢のつづきが現れた。
「カフェラテ」
 あのときと寸分違わぬ声でモカが呼ぶ。振り向けず固まった彼の前に回り込み、一緒に帰ろうと彼女が笑った。

 教室で離れて見ていた横顔が今度はすぐ近くにある。先ほどの会話がちらつくせいで友人の顔に戻るには時間がかかったが、幸いにもロボットであるカフェラテには表情がなく、モカに見透かされることはなかった。
 聞くべきだろうかとしばし悩む。夢だったならべつにいい、しかし夢でなかったらあれは、あの言葉の意味は何だったのか? あくまでもさりげなく、なに食わぬ顔でごく自然に……と自分では思いながらぎこちない動きでモカの肩をつついた。
「ん」
「ナ、サッ、サッキ、何ノ話ヲシテタン、デスカ?」
 吃りすぎていることにさえ気づけないまま、カフェラテは精一杯の勇気で尋ねた。頭の中には未だあの言葉が回り続けている。カフェラテ、好きなんだ、モカ。
 謎を解くカギである彼女はふと首を傾げて考え込むと、やがて何事かに辿り着き「ああ」と声をあげた。
 カフェラテには眩しすぎる笑顔がまた視界を焼き払う。
「教室で? 好きな飲み物の話してたんだよ」

 ほーらね、そんなカンタンに報われるもんじゃないんですよ! うるさい分かってる!
 一人虚しい会話を胸の中で交わしつつカフェラテは溜め息をついた。もちろんそんなことだろうと思っていた。本気で期待なんかしていないし、だから落ち込んでもいない。
「わたしカフェラテが好きなんだ、あったかくて落ち着くし」
 間近で聞いたそれは自分にあてたものではないと分かっていても衝撃が大きくカフェラテを動作不良へ導いたが、モカは更なる混乱をもって彼の暴走を制した。
 さっと伸びてきた彼女の手がカフェラテの指を優しく握る。これは俗に言う、俗でなくとも言うけれど、手を繋いでいるという状態だ。今度こそ理解不能だった。カフェラテの人工知能は一時的に活動を休止し、考えることをやめた。
「一緒に行かない?」
「エッ、ハイ」
「固まってないで奢って、同じ名前のよしみで」
「エッ、ハイ」
 同じ名前のよしみでオレのことも好きになってくれませんか。
 機能が停止していてよかった。口にできない告白をまるごと飲み込み、カフェラテは頷いた。この厄介な感情は部屋に戻るまでしまっておいて、いつも通りオトモダチの顔を装備する。隠しただけではあるが表面上、動揺は去った。
 学校の近くに可愛い店ができたんだよとはしゃぐ彼女に手を引かれ、建造物に対して可愛いという形容はどうなんだろうと呆けながら。
(……これデートだよな)
 幸せな夢は、まだ続いている。彼女が手を離したら存分に浸るとしよう。




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