飢餓


 だらだらと机に頬杖をつきながら、睨みつける視線も意に介さず彼女は気だるい動作でフォークを摘みあげた。
「だって幽霊ってお腹空かないでしょ」
 そう言って一口、見るからに甘くて美味しそうなショートケーキを啄む。生クリームがふわっと溶けて、彼女の瞼もとろんと落ちた。
「おいしー。このまま寝たらしあわせだなー」
 まどろみながらケーキを頬張り、三大欲求のうち二つを同時に満たす彼女に、苛立ちが募る。いっそのこともう一つも満たしてやろうかと思う。
 彼女に取り憑いてあられもない姿にしてやれば……いやだめだ、今はそんな余裕もないのだ。とにかく空腹で。
「確かに僕らはお腹も空かせないし、排泄もしない。死んでいるからね。でもそれは、変化が起きないというだけの話だ」
「ふぅん?」
 気のない返事とともに薄い唇が開かれ、小さな舌が踊りケーキを招き入れた。食欲を満たす彼女か、食われるケーキか、どちらが羨ましいのだろう?
「……でも僕はお腹が減ったんだ」
「どうして」
「だからそれは……」
 言葉を交わしながらも、腹が満たされつつある彼女はゆっくりと眠りに落ちていく。気が急いた。

 空腹なのは死んだ時にそうだったからだ。彼は山の中を彷徨い歩いて餓死したのだ。こんな風に霊体となってからも、永久に満たされない飢餓を抱えて苦しんでいる。
 だというのに彼女は何も気にせず、いやむしろ苛立ちを煽るように幸せそうな顔をする。
「ここでイチゴを投入しまーす」
 死人とは違う血の通ったきれいな指が、ちょこんと乗っていた赤い実を摘んだ。クリームを舐め取る舌がやけに艶かしくて、生唾を飲んだ……ような気分になった。
「ん、甘い」
「……君はヒドイやつだな」
 空腹で堪らないのに。そんな顔をして目の前で、そんな、美味しそうな。
「呪い殺してやりたいよ」
 できもしないことを呟けば、彼女はさも愉快そうに笑った。
「あは、そしたら私、幸せなままで死ぬのね」

 幽霊にはどんな変化も起こり得ない。死んだときのまま時間は永久に動かない。
 彼女はきっと眠るように死ぬだろうと思った。大好きなお菓子を食べてのんびり昼寝でもするように、死んだ彼女も幸福の絶頂を永久に留めるだろう。
 同じ場所に引きずり込んでさえ僕らは違う。ああほら、瞼がまた落ちてきた。
「寝るなよ」
 声をかければ一応は目を開けて、ちらっとこちらを見てまたむにゃむにゃと意識が薄れる。イチゴのような赤い唇に生クリームがついていた。
 疲れているんだ。それは分かっている。彼に構うために起きていて、眠らないために食べている。でも眠いんだ。
 分かっているけれど。
「……お腹空いたな」
 彼女はひどい。幽霊の気持ちなど知らないで、空腹を満たして、幸せそうに――。

「……ん」
 余韻を残したまま、彼女は夢の中で口づけを交わした。甘くてやさしいキスだった。しかし唇が触れる瞬間には虚しさばかりが胸を占める。
 何よりも伝えたいものは、夢の中でさえ触れられずに擦り抜けた。生身の彼女は彼を救えないし、例え死んで同じ身の上になったとて、彼の飢餓を和らげてあげられない。
 こんな気持ちも知らずに、なんて残酷なひとだろうか。




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