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 君子危うきに近寄らず。って言うけど、べつに君子じゃなくたって危ないとわかってる場所には近寄らない。痛いのも苦しいのもいやだもの。でも、そう……たまに魔がさしてしまうのが、君子じゃない由縁なのかな。
 床を注視しながら一歩一歩慎重に歩く。後ろで唸るワープ装置ですぐに帰れるから不安はない。あまり奥までは進まない。命懸けの冒険じゃなく、ちょっとした刺激で済む程度に。
 あと一歩先の床が少し浮いているように見えた。それに気づいて足を止めた瞬間、後ろから凄まじい力で腕を引き寄せられる。逆さまに捩られて、ぎりぎりと締め上げる。骨が軋む感覚。
「ああああ痛い痛い痛いっ、折れちゃうってぇえええぇえ!」
 涙目で訴えても力は緩まない。目の前の床が燃え上がった。同時に体に伝わる振動。ゴキッという嫌な音が、どこか遠くで聞こえた気がした。
「〜〜〜〜!!」
「…………罠」
 音のない悲鳴に反応して、金属音にも似た硬い声が、なんとなく言い訳がましく響く。言われなくても、わかってたから止まったんだけどな……。
 ようやく戒めを解かれた腕が力無く垂れた。折れた先の感覚がない。やばいかもしれない。

「弱ッテイル……」
 うずくまって伏せた顔を追いかけるように、目の前に回り込んできた黒い鎧が不思議そうに呟いた。助けたつもりなんだ、本人は。それはわかってるけど、激痛に飲まれてわたしは他人を気遣うどころじゃないのです。
「……人間はね、関節を逆に曲げるとすっごい痛いんだよ」
「……」
「人間は、すっごい痛すぎると死ぬこともあるんだよ」
「……」
「人間は死ぬのが怖いんだよ」
「……?」
「わかんなくてもいいから、もうちょっと力を緩めてほしいです」
 いまいち理解しきれてない様子でブラックナイトが頷いた。話ができるだけ親しみが持てる。けど半端に関わっている分だけ、意識の違いがすれ違いを作り出す。アンデッドに、すでに死んでる存在に、死にたくないって感情をどう伝えればいいんだろう?

 彼らは闇に堕ちる前に騎士だった影響からなのか、ある程度わたしに気遣いをみせてくれる。……その優しさが痛い……。
「ううー、スカルミリョーネ呼んできて〜」
「イナイ」
「……じゃ、誰でもいいから回復できるひと呼んできて! ルゲイエ以外で」
 目の前の影がするすると溶けていく。痛みから目を逸らして、焼け焦げた床を見つめた。危害を加えちゃいけないって命令があるから、助けてくれるんだろうなぁ。それがなければわたしの命なんて、紙よりも軽い。
 腕を折ってでもこっちに引っ張ってもらえるのは、ありがたいことだよね。痛みさえ生きる証なら……。

「……」
 背後で金属音が響いて振り返る。無言で差し出された冷たい手の上には小さな瓶。……ポーションで骨までくっつくのかな。
「人間ハ、弱イ」
 そこんとこだけは学習してくれたみたい。じゃあ、とりあえずいいや。あんまり急いでも仕方ないもんね。
「片手じゃ飲めない……蓋、開けて」
 グシャッと妙に悲しい音を立てて瓶が割れた。透明な液体がポタポタと床に落ちる。あれはわたしの涙だろうか、なんちゃって。あああ〜、痛い、いろいろと痛い。なんだか虚しくなって、膝に顔を埋めた。

「サヤ」
「……」
「……死ヌノカ?」
「……っ」
 心底困ったような声に思わずふきだした。怒る気にもなれない。痛い目に合うこともあるけど、わかりあえない違和感も楽しい。人間味があって、でも絶対に同じじゃなくて、それはそれでいいもんだね。
「まだ死んでないよ……戻ろっか」
「不可解ダ」
 音を立てて軋みながら差し出された鉄の腕に、折れてない腕で掴まって立ち上がる。痛みさえ生きる証なら、死の恐怖すら超える何かがあるかもしれない。
「死なないっていいねぇ」
「人間ハ死ヌ……」
「……事実ではあるけど、縁起わるい。やめて……」
 死を実感するほど生きていたいって思う。生きるほど、死を見つめるのが怖い。生と死があふれた世界でまだ、死を超越した存在を羨ましいと思うだけ。わたしもそうなりたいと思うのはしっかり生き抜いたあとで。
 触れた殻の中には何も詰まってないけど、それでもたしかにここに存在してるものがある。価値観が崩れていく。それが楽しくてたまらない。

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