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偽りだらけのバラード
連日続いた暑さのせいもあって、ゾンビとなったサヤの体はもはや手の施しようがないほど変わってしまっていた。肉は腐って崩れ落ち、そこかしこに骨も見えている。髪の抜けた頭部に痩せこけた頬、発する臭気。すでに生きていた頃の面影はなく誰が見てもただの――腐った死体だ。
複雑な思いだった。私は今の彼女を醜いとは思わないがそれは私自身がアンデッドだから、今の彼女と同類である多くの配下を抱えているからだ。しかし客観的に見れば腐った死体が美しいはずがないことも、これまで己へ向けられてきた嫌悪のおかげでよく分かっている。
かつて持っていたものは失われ、いま人間の世に帰ればこの娘はただのモンスターだ。サヤの外見的価値がなくなることは、私にとって喜ばしいのか、それとも……。
考え続けることがあまりに疎ましく、一時中断してサヤの頭を撫でた。彼女は意外そうに目を見開いたがとくに抵抗もせずされるがままになっている。
「バルバリシアは、お前の姿を何と言っていた」
「んー。悔しがってた、かな」
ぐらぐらと頼りなげに首を傾けながら彼女は答えた。死んでも適切な処理をすれば自分の配下にできた。不死者などに渡さなければ醜く腐敗させずに済んだのに――かの魔物はそう憤っていたらしい。
意外だった。サヤが死んでからは追い回すこともやめ、好奇心もおさまりとうに縁が切れただろうと思っていたのに。
あいつはサヤが死ねば興味を失うだろうと思っていた。美しさを尊ぶバルバリシアなら、外見が醜く崩れてゆけば嫌悪し遠ざけて、じきに飽きるだろうと。しかしそうはならなかったのだな。未だ未練を残し生前抱いていた好意をそのまま持ち続けている。本当に意外だった。
この命が私の手中にあることを悔やむというなら、すでに外見の枠を越えて中身にまで惹かれていたということか。
ならば、なおのこと腐敗を押し留めなくてよかったと思う。現状でも未練を抱かれているのに、人間らしい美しさを捨てることなく魔物と化していれば……永遠に、私の手は届かなかっただろう。
結局のところサヤを引きずり降ろさなければ並び立つこともできないんだ。罪悪感はある。だが、死体を見つけたのは私なのだから。彼女の命を我が物にする権利は、あるはずだ。
改めて目の前でぼんやりと座り込む彼女を眺めた。血の通わぬ青い肌が薄汚れた服の隙間から覗いており、以前の日焼けした健康的な肌が否応なしに思い出された。僅かに残る黒髪と濁った黒い瞳だけが以前と変わらない。
魂が完全に擦り減るよりも早く、彼女が人間としての自覚を保っていられる期間程度なら、皮膚もそのままに外見をごまかすぐらいの力はあったのだが、私はそれを為さなかった。思いやりなど一欠けらもなくただ自分のためだけに、一刻も早く腐り落ちればいいと願っていた。
「……今のお前の方が、私の配下らしいからな」
言い訳に過ぎないのはよく分かっている。眩しさのあまり生前の彼女を直視できずにいたのは、ほかならぬ私自身なのだ。
死人は私の劣等感を刺激しない。醜い者は素直に愛おしい。サヤが人間であることを捨てざるを得なくなれば……自ら捨ててくれればいいと心底願っていたのに。
だが、私自身も未練がましく過去を思い描いていた。疎ましく眩しかった頃のサヤを、何度となく惜しんだ。
話すたび触れるたびに感じた嫉妬が今は跡形もない。生者であった頃よりも配下として身内として素直に接することはできるが、代わりに執着までも失ってしまったのではないかと時折考えた。
人間であった彼女は、そう簡単に亡くしてよいものだったのか。もう取り戻す術がないからこそ考え続けた。戻れぬところへ追い込んで、私のものにしたかっただけではないのか? これは本当にサヤだと言えるのか?
自尊心を満たすための人形を、あの娘の形を借りて作っただけじゃないのか。
「スカルミリョーネ……様?」
呼び慣れない呼称に照れながら、サヤが私のローブを引っ張った。呆けていた自分に気づき慌てて向き直ると、濁った瞳とかちあった。……直視できない。
「やっぱり後悔してるのかな。わたしを配下にしたこと? 大人しく死んでた方が、よかった?」
「そんなことはない」
それだけはない。絶対に。会えなくなればいいとは思わなかった。むしろそれを避けるためこちらに引き込んだのだから。
ただ苦しいだけだ。同類にしてしまえば解放されると思っていた劣等感がいつまでも拭われない。サヤはもう人間ではなく、私と同等のものなのに、それでも未だ眩しいのはなぜだ。どこまで貶れば楽に眺められるのか、分からない。
「……お前こそ後悔していないのか。もう、かつての自分を取り戻すことはできないんだぞ」
私の言葉に首を傾げ、遅れて意味を理解しぱっと笑った。いくら醜く腐っても、声や仕種が、人柄が変わらない。今を塗り潰すように記憶が甦る。サヤがサヤであることが私の苦しみだったのか。
「べつにさー、わたしだって普通くらいの見た目だよ? もったいながるような美人じゃないもん。……や、なかったもん」
そう言って彼女は拗ねたように口を尖らせた。私にとっては生者は皆揃って美しく見えたんだ。そしてそれが妬ましかった。生きていること、そのものが。だからその線を乗り越えれば辛くないと思っていた。
違ったのだな。生者だから……生きているから眩しかったのではない。この娘だからこそ強く私の瞳を焼いたのか。生きていても死者と成り果てても、同じなんだ。
失ったものへの後悔は捨てきれないが、今こうして隣にいられる距離が嬉しくもある。焼けつく焦燥と執着はなくなったが、代わりに緩やかで怠惰な死者の時間を、ともに歩める。動揺させられ揺らぎ続ける苦痛は、おそらく生涯終わらないのだろう。しかしそれは喜ばしいことだ。
いずれ脳も腐り物事を深く考えることもできなくなる。私への忠誠だけで生きるようになるのだろう。どれほど足掻き引き延ばしても、人間たる“サヤ”の存在には終わりがあった。
それでも構わない。いや、だからこそ人間は疎ましく……そして惹かれる。眩しくとも見ずにはいられないんだ。
一心に私の言葉を待つサヤを見て、また頭を撫でた。恥ずかしそうに俯く彼女が愛おしい。己が配下としての今も、触れることさえできなかった昔も等しく。思い返すたび浮かぶ苦痛さえ大切だった。
「なんか、優しくなったよね」
「お前は私の配下だからな」
何度か繰り返した会話をまた飽きもせず交わした。
「……こういう風に仲良くなるとは思ってなかったなー」
「不満か」
「ううん! うれしい」
確かに予想だにしなかった事態だ。己に言い訳する必要もなく素直になれる日が来るとは考えもしなかった。後悔をするだけ求めていたと気づいた。失うまで気づかぬ愚かさも、私なら少し、時を巻き戻すことができる。
サヤが朽ちるまでそばに居よう。彼女が人間として味わうはずだった痛みを、私が代わりに引き受ける。それもいい。ともに在る喜びもなくした過去への執着も、永遠に私のものなのだから。
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