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理解不能なイモーション

 魔物の分際でと思う者も多かろうが、私はできるかぎり日々を平穏に過ごしたいと思っている。脳を痺れさせるような衝撃も身を震わせる焦燥も欲してはいない。
 昨日と同じ明日がそこにあればいい。一度手に入れてしまったものならば、変化など無くていいんだ。……サヤはそこのところを理解しているのだろうか。
「……一体なんだ、それは」
「猫耳、そして尻尾」
 そんなことは見れば分かる。何故お前にそれがあるのかと聞きたいのだが。

 今朝見た時には昨日と変わりなかったはずのサヤの頭部には髪と同色の獣の耳が生え、下衣からはまた同じ色の尾が伸びて暢気そうにゆらゆら揺れている。形は確かに猫のものだ。
 亜人種の中にはこのように人間と動物の混じった姿を持つものも存在するが、サヤはれっきとした人間であったはず。何の理由もなくこのようなものが生えるのは病だろうか。
「何か妙なものでも口にしたか」
「スカルミリョーネが持ってきたものだけ」
 私が選びこいつに与えるものには、こんな不可思議な効果を発する食物など混じってはいない。ならば食事が原因ではないのだろう。しかし、他にサヤが外部と接触する機会もないのだが……。
「あのさーもっと他に反応することないわけ」
「……どんな?」
「こんなに可愛いわたしに猫耳が生えてるんだから」
 自分で言うのはどうかと思うのだが。図々しい奴だな。正直なところ、すでに人間の耳がある上に違う生き物の耳が生えても感じるのは不自然さだけだ。尾にしても邪魔なものが増えたなとしか思えん。
 私が手元に置いているのはサヤそのものなのだから、余計な変化など蛇足にすぎん。べつに、これがあるからと言って損なわれるものもないのだが。

「……だから、ちょっとは萌えろよ」
 その抗議には少し戸惑いを感じた。燃える? 一体どこからそんな言葉がやって来たのか。魔力の類は感知できないのだが、あれは何か火の力でも秘めているのだろうか。もしそうならいつも通りのサヤの嫌がらせということだが、私には厄介だな。
「……私を燃やしたいのか?」
「違うわアホああ疲れる。なんか無いの? こんなわたしを見て衝動的な感情とか!」
「特に無いな」
「死ね」
 何も感じないというのは淡々と殺意を撒かれるほど悪いことだろうか。本当に死んでほしいのなら死んでやっても構わんがすぐに生き返るから無意味だな。ともかく燃えるだの何だのにはあまり意味がないようで良かった。

 猫耳とはそれほどに衝撃を受けるものなのか? 私にはさっぱり分からん。逆に私にそのようなものが生えればお前にとって何か変わるのかと問いたいが、聞いて「いいと思う」と言われてもそれはそれで困るか。
「やってらんないわもう。何のためにこんなもの」
 苛々と耳を弄りながらサヤが溜め息をついた。もしかするとあれは、自分でわざわざ作ったのか? よほど暇だったのだな。
 呆れる私に気付かぬまま、ハッと何かに思い至って顔を上げると、彼女は疑わしげに呟いた。
「……スカルミリョーネって、犬派?」
 派閥まであるようだ。ますます以って理解不能になってきたな。それが犬でも猫でもミミズでも私にとって意味はない。サヤがサヤであるならば。

 私の無反応ぶりに機嫌を悪くしたのか、口を尖らせたままサヤはこちらを向く気配もない。しかしだらりと垂れた尾は何かを気にするようにせわしなく、小刻みに左右に揺れていた。なるほど便利だ。
「こちらに来い」
 両の猫耳が揃って私の方を向き、そのせいで無視を決め込むこともできなくなり不満そうな顔のままてくてくと歩いてきた。手の届く距離まで来たその時、彼女の頭上でこちらを窺う物体におもむろに触れてみる。
「みゃっ!? な、何いきなり触ってんのよ!」
「柔らかいな」
 しかも体温がある。ということは血液が通っているのか。驚いた時には尾と揃って毛が逆立つ芸の細かさ、取って付けた様な外見に反してなかなか精巧なつくりの偽物だな。配下のアンデッド作りに活かせるかもしれん。
 だが新たなそれよりもサヤの髪の感触の方が私は好きだ。指通りのいい髪を掬い撫で回していると、恨みがましい視線を投げていたサヤが不意にそっぽを向き、ゆらりと伸び上がった尾が私の腕に巻き付いてきた。
「──ッ!?」
 思わず彼女を突き飛ばした手をじっと見詰めた。
「こらなぜ逃げる」
「い、いや……」
 何でもないと言おうとして言葉が出て来なかった。ほのかに温かくふわふわとしたあれが腕に絡んだ瞬間、走り抜けたあの感覚は何だ?

「それはいつまで生えているんだ」
「え、別に嫌なら今でも引っ込めるけど」
「……もう少し生やしておけ」
 一度振り払った体を再び引き寄せる。何か言いたげに揺れ動く尾は少し迷いを見せ、しばらくするとまた私の体にそっと這わされた。
 じわじわと沸き上がってくるこの感情は何だろう。今はまだ弱い。だが情動となる時も遠くはなさそうだ。

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