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教育的指導

 それは、どうせ近いうちにこうなるだろうって、思ってた以上に早く。
 カイナッツォは昔とった杵柄で人間の文字なんか余裕こいて読めるし、ルビカンテやスカルミリョーネもその気になれば吸収力は物凄い。だからわたしの狙いは最初からバルバリシア様だけだった。一緒にゆっくり覚えていこうって、そう思ってたのに!
「魔物の筆頭たるあたしが人間風情の知識を得ようなんて屈辱じゃない。サヤには悪いけれど、あたしは矜持を捨てる気になれないわ」
 なんて言われちゃうと無理強いできないわけで。でもその目がしっかり語ってたよ、勉強なんて面倒臭いもんって。
 結局、予想してたより早く読み書きの勉強に励むのはわたし一人になった。やっぱり動機が不純だから目的を共有できないのかな、とか思いつつ到達点の見えない努力。モチベーションが上がらない。
 話し言葉が通じるせいか、ちゃんと覚えようって気になれば文字を読むところまではクリアした。ただそこから先に進めない。一冊まるごと読むなんてのは。
「……日本語とどっちが難しいんだろ」
 比較が無意味だってわかってても逃避したくなる。生まれてから今まで自然に身についた言葉なら、必要なものが必要な分だけもうわたしの中に存在してる。正しい日本語なんてわたし知らないけどそれで困ることもないし。
 でもこっちの文字は、正しいことも間違ったことも全部ちゃんと理解して完璧に覚えなきゃ身につかない。日本語と同じだけ身についた言葉にならなきゃダメなんだ。もうすごい疲れる。

 わたしが教えを請うのは主にカイナッツォだった。ずっと家にいるし一番暇そうだから。やる気もないし、わたしがサボりたい時にはサボれるって打算もなくはないけど。こういう甘えがいけないんだよねー。
「マジメにやろう、マジメに」
 まだ、ミシディアの子供達が文字に触れ始めてすぐに読み聞かせてもらう本を使ってる段階。早くレベルアップしたくて焦れるわたしをよそに、カイナッツォが面倒臭そうに溜め息をついた。
「もうある程度は読めるんだろうが。文字なんぞ書けなくたって生きていけるだろ」
「でも書けたらお金に替えられるからさー」
「あぁ? 何か書いて売る気かよ、まさか」
「うん。あっちの世界の物語をね」
 と言ってもわたしに小説なんて書けるわけがないから、最初と山場と最後だけ、おいしいトコかい摘まんで抜き出した他人の著作を。本なんて大層なものじゃなくてメモ書き程度に、吟遊詩人にでも売ってみる。面白い語り種にするのはプロの仕事でわたしはネタを売るだけだ。
 まあ言っちゃえば泥棒なんだけど、この世界に被害者がいないんだからべつにいいよね。もし元々の内容と食い違ってても誰にも文句言われないし。
「童話も歴史も怪談も、恋愛ドラマも冒険譚も、古今東西の駄作名作を覚えてる限り! いっくらでも出てくるよ」
「へぇ。……しかし、そりゃまた地道な話だなぁ」
「う、うん……まあ、あんまり高くは売れないけど、数だけは多いからね」
 例えばカイナッツォが、わたしの話を書き留めてくれれば簡単なんだけど。無理だよねー絶対無理だ。

 お金おかねオカネ、そのことしか考えてないわけじゃないけど、結局のところ今もわたしは守られてる立場で、他にさしたる心配事もなく。
「なんでそうまで金がいるんだよ」
「その日暮らしじゃなくて、貯蓄できるくらいになりたいから」
「……まだそう言えるだけの余裕もないと思うがなぁ」
「だから今から準備するんだよ。それに」
 たまにちょっとした贅沢とかしたいし。一緒に買い物するとかご馳走食べに行くとか、些細なこと、でも前はできなかったことしたいし。明日の暮らしの心配だけじゃなくて明日は何をしようって、楽しみなことを考える余裕がほしい。普通に――普通の人みたいに生きさせてあげたいから。
「せせこましい奴……」
「健気って言い換えればいいと思うんだ」
「自分で言うな」
 それでも、カイナッツォの発する「めんどくせー」な空気が少し変わった。やっぱりなんだかんだ言ってゴルベーザには甘いんだよねー。
「あー……、ゴルベーザ様が絡むなら協力しないわけにもいかんしなぁ」
「うんうん」
「じゃあ、まあ」
 スッとわたしの手から教材を取り上げて、代わりにカイナッツォが差し出してきたもの。えーと、これ祈りの館で見たことあるなぁ。魔道士さん達が読んでる、わりと本格的な魔法の解説書。うん?
「10秒やる。最初のページを暗記しろ」
「ええっ!?」
「いーち、にーい」
 ちょっと待って! って言う間も惜しんで本を手に取り必死で眺めた。最初最初、って献辞じゃん。文量少なくて楽だからこれじゃないよね。どっちにしろ名前が読めないけど……。次が、ああ目次だ違う違う。最初のページ。
「文字びっちりなんですけど?」
「気合いで記憶しろ」
 無茶だ! 用語が難しすぎて何書いてるのかさっぱりわかんないし。なんでこんな半端に英語っぽい文字なのかな!? これがかえって混乱させられるんだ。
「……九、十っと。終わりだな」
「あああ待ってまだ、」
 暗号みたいな文字列が残像をちらつかせて消えた。取り上げられた本のかわりに手渡されたのは真っ白な紙切れだ。
「書け」
 その下から見上げるような目! わたしの方が視点は高いのにどうして圧倒されるんだろう。納得いかない。

 とにもかくにもカイナッツォが怖いから、目の前の白紙に向かって唸ってみる。単語だけならいくつか読めたし前後の流れで大体なにが書いてあったのか想像できる。でもー……書けって言われるとまた別問題だよ。それはまだ無理なんだってば。
「えー、うー、……はい」
 冷や汗かきつつ答えを記した紙を差し出した。ダメだ。最初の方だけならちょっと書けたような。いや気のせいかも。っていうか希望的観測? ああもうダメ、全然ダメー! 辞書も教科書もなくそのかわりがカイナッツォ、って我ながら無茶がすぎたかもしれない!
 わたしの答案を忌々しげに睨んで、カイナッツォが険しい顔を上げる。
「一つも合ってねえ」
「うぅ……ひ、一つも?」
「しかも字がきたね〜」
「それはこの際置いといてよ!」
 だって時間が短すぎるよ、なんて抗議の声を押し潰すように、頭上に氷の塊が落ちてきた。むううっ、痛いって言葉で足りないくらい痛い!
「なあサヤ。お前はつまり、追い込まれなきゃ全力が出せねえんだよな」
「えっ」
 なにそのやけに優しい笑顔。すごい怖いからやめて。

 氷の刃を押し当てられたような、ってよくある表現じゃ済まない。今すぐにでもわたしを突き刺せる鋭い切っ先が、本当に背中にくっついてた。
「一度串刺しになってみりゃあ、ちっとはやる気が出るだろ」
「ほ、本気でやったりはしないんでしょ?」
「そう思うのか」
 だってもう、仲間とか友達とか家族とか、そういう言葉をカイナッツォは絶対に認めないだろうけど……実質そんなようなものだもん。小突き合いならまだしも“攻撃”なんてしないって、勝手な期待をしてたけど。その絆が一体なんの役に立つっていうんだろう。背後の刃に殺気が篭る。
 仲間だから傷つけないなんて人間の価値観だ。カイナッツォは魔物。それもそこら辺の野原を徘徊して旅人襲って生きてるような下等な魔物じゃなくて、力で他を圧倒して支配できる、他の魔物を使役できるくらいの、残虐非道でその分だけ強いモンスターなのに。
「傷つけちゃならねえ人間をいたぶるのは、さぞ楽しかろうなァ」
「でっでも殺したら怒られるよ?」
 言ってから、怒られるだけで済むの? って自分で落ち込んだ。カイナッツォは悪びれもせず、平然と「殺さなきゃいいじゃねえか」なんて言ってるし。
「忘れる度に死にかけりゃ嫌でも覚えるだろうよ」
「そ、そんな死にかけられるほどHP無いです」
「心配するな。オレは誰かと違って回復魔法も得意だからな」
 わー、やばい。8割くらい殺される! ホントには死なない程度に何度も殺される!!
 でもさ、これ暗記だもん。受験勉強じゃないんだから今だけ一時的に覚えても無駄なんだもん。だから、
「もし一冊まるごと暗記できても、そういうの意味ないじゃん」
「体に刻み込んじまえば意味ができるかもな。詰め込めるだけの知識を全部詰め込んでみろ」
 確かに、間違うたびに死にそうな目に合ってたら嫌でもやる気が出てくるし、ずっとその必死さを保てるなら意味が……ってヤダ! 納得したくない!
「あ、あの」
 命まで懸けることじゃない。反論しようと喉まで出かかった言葉が凍りついた。背中越しに感じる冷たい刃がぐぐっと肌に押し込まれる。気づけばわたしの周りに氷の檻ができてて。
「次はこっちのページな」
「平然と話進めた!?」

 突き詰めれば真理に辿り着きそうな、意味不明な用語満載の高位魔導書。眺めてるだけで頭が痛くなりそうで、あっなんかゾクッときた。
 殺気を感じて、本さえ投げ捨て飛びのいたその場所に氷柱が突き立った。殺さないようにとかいう気遣いはどこ行っちゃったんでしょう、ってくらいもろにわたしの座り込んでた場所ピッタリだ。ついでに、飛びのいた背中に別の氷の槍がちょっと刺さった。
「ちょ、マジで殺され、る゙っ!」
「チッ……ズレたか」
 脳天を狙って次々と氷が降ってくる。っていうかまだ答えてすらいないのにお仕置きが飛んでくるのはどういうわけだろう? いやまあ、まず読めてないんだからどうせ答えは間違ってるんだけど。
「あのね、これ余計バカになるから頭はやめて」
「安心しろ。それ以上は無理だ」
「ムカつく!!」
 苛立ちあらわにまた座り込む。投げ出した本を拾い上げてじっくり眺めて。……うん、全然読めないね。
「せんせい、さっぱりわかりません」
「そうかよーし凍死と溺死どっちが好みだ?」
「どっちも嫌だよ!」
 今までで一番でっかいブリザドがこれは笑い事じゃ済まないなって音を立てて頭にぶつけられた。まずこの本を覚えきるまでわたしは五体満足でいられますか。それだけが気掛かり。
「ううぅやっぱりルビカンテに教わろうかな……」
「……勤勉な馬鹿ほど迷惑なもんはねえよなぁ」
 え、何それあまりにもヒドイと思うんだけど。バカはずっとバカでいろってことなの? 誰かの役に立てるくらいには賢くなりたいって、考えることも許されないの?
「まあ遠慮なく痛めつけられんのは気分がいいけどな」
「むしろそっちが目的になってるよね」
 ジンジンと痛みの残るところに触れてみる。あれ、あんなに痛いわりには瘤とかできてない。有り得ないよね。……カイナッツォの魔法くらってるのに?
「もしかして手加減とかしてくれてたり」
「すぐ死んだらつまらねえだろ」
 さすが壁で押し潰してくるだけのことはある。ゆっくり死ね! ってことだね。

「とにかく一回読んでみろ。間違えるごとに殴って教えてやるから」
「ウワァ優しい」
 とっても紳士的なカイナッツォを睨みつけつつもう一度、開かれたページに目を向ける。目がチカチカするよう! せめて表現の柔らかい本なら!
「……とは、に、して、であり、が、には」
「暗号化すんじゃねえ! 突っ込む隙も無えよ」
「だってこれ難易度高すぎ! もうちょっと簡単なとこから始めようよ絵本とか」
「甘ったれんな、ちんたらやってちゃ終わらねぇだろ。いいか? 努力すればいつか、なんて悠長なことは言うな。一番手の届かねぇ所から死ぬ気で手に入れろ!」
「でも死ななきゃ届かないくらい遠いよ!?」
「じゃあ死ね」
 うわーうわー、ひどっ! いい加減にしないとわたし泣くよ。っていうかもう涙目だよ。
 けど確かに、切羽詰まってやらなきゃいけないことじゃないからこそ必死になれないのは事実だ。でもまあ、口でどう言ったって実際遠慮なしに叩きのめされたって、本気で殺されたりはしないだろうし。
「もしうっかり死んだらどうするの」
「サヤに出来たことをオレが出来ないわけねえよ」
「つまり、」
「連れ戻しゃいいんだろ」
 うん、それならいい。なんて思っちゃうんだからもう、死ななきゃ治らないところまで踏み込んでるんだろうなぁ。

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