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 イミテーションが魂のない器なら、人間と模造品を分けるのは僕がセシルであると知っていること、ただそれだけだ。そしてこの世界で僕の存在を証明できるのは兄さんだけだった。
 仲間とは言っても僕らは皆、異なる世界から呼び集められた者ばかり。各々が抱く記憶はあってもそれが真であると確信できない。
 僕を僕たらしめているのは兄さんだ。自分以外に、セシルが誰なのかという記憶を持っているのは兄さんだけなんだ。敵同士でも家族でも憎んでいても、コスモスとカオスの戦士の間には絆があるんだろう。己を知っている、この世界で唯一の存在だから。
 そしてサヤにとってその相手は、兄さん……ゴルベーザではない。まして僕であるはずもなく、彼女にとって己を知る存在とはシャントット博士らしい。なぜか僕にまで言いようのない悔しさが残った。

「では、彼女に体をあげた時にはもう記憶が消えていたんですね」
 こちらに現れたサヤは、いわばイミテーションなのだとシャントット博士は言った。なぜか実体を持たずに訪れた彼女は世界に馴染んでそのまま消えてしまいそうだった。かりそめの肉体を創りそこへ捩込んで定着させた時には、サヤの記憶は塗り替えられていたのだと。
「ええ。元々は交わるはずのない存在ですもの。わたくしの下僕などと思い込んでいるのは彼女の勘違いでしてよ」
「……」
 でもそれを指摘することもなく普通に彼女を使ってますよね、なんて怖くて言えるわけがないから、とりあえず曖昧に頷いておいた。
 博士にもサヤの記憶を取り戻す方法に心当たりはないらしい。つまり、手詰まりだ。兄さんは何て言うだろう? 会わせずにいるのは不可能だ。同じ世界、それもこんな狭いところにいるのだから、いつ出会ってしまうか分からない。
 既にいろいろと被害が出ていて、兄さんまでそれに巻き込むわけにはいかない。そこだけは僕も四天王も意見の一致するところだ。

「意外と、単純なやり方で済むかもしれなくってよ」
「え?」
「壊れた魔道具は叩いて直す。頭部に強烈な打撃でも与えればショックで何か思い出すかもしれませんわね」
 もちろん取り返しのつかないことになる可能性もありますけれど! と高笑いをする彼女は、やっぱりサヤの保護者なんかではないんだろう。道具扱いしているし。
 強烈な打撃って、彼女を遠慮なく攻撃できる人なんていないじゃないか。カオスの人間にでも頼めば喜んで引き受ける者はいるかもしれないけど、それこそ取り返しのつかないことになってしまうに決まってる。
「けれど、無理に思い出させる必要などあるのかしら?」
 さっぱりと笑うシャントット博士の表情にサヤへの執着なんて微塵もない。また敗北感が込み上げた。この人は、他者の中に居場所を求めないのだろう。
「……せめて、兄さんのことだけでも思い出してほしいんです」
「それなら当人に任せなさいな。成るように成りますわよ」
「しかし……」
 できれば兄さんに出会う前に取り戻したいのだけど。それに、任せると言っても兄さんの力でサヤを殴ればどうなるか。考えたくもない。
 原因の一端を担っているのに投げやりなんですね、と態度に滲んでいたのだろうか。シャントット博士は呆れたように肩を竦めた。
「あまり舐めないで頂きたいものね。あれはそこいらのヘッポコくんとは違いますのよ。この、わ・た・く・し・の、お気に入りなのだから!」
「……それは、」
 心強いような、空恐ろしいような……そう心の中で呟いたら、シャントット博士の笑顔に不穏な影がさした。こ、心を読まれてる?
「あ、あの、ありがとう博士。とにかく一度、兄さんに会わせてみます!」
「あらお待ちなさいな。まだ授業は終わっていなくてよ」
「ごめんなさい! それじゃあ!!」
 背後で杖を構える音がした。慌ててパラディンに変じ、全力で秩序の領域を駆け抜ける。こういう時こそテレポが使えたらなあって思うんだ、ローザ……。

 未だ踏ん切りのつかないまま時は過ぎる。どういう話の伝え方をしたのか、サヤは明らかな戦意を持って僕のもとに現れた。自分がシャントット博士のしもべであると信じきっている彼女は、カオスに対してのみ好戦的だ。
 兄さんの配下を自負していた時には、僕らに剣を向けることなどなかったのに。記憶の変化のせいなのか、力を得ると人は変わるのか。
「ジョブチェンジ!」
 威勢のいい掛け声とともにサヤの体が光に包まれる。彼女の能力は僕のものと同じようなものだと思っていたけれど、どうやら一点、物凄い差異があるらしい。
「……あ、あの、サヤ? 服が」
 脱げてる。暗黒騎士とパラディンは言わば表裏のようなもので、僕自身には姿が変わった意識もなく、あの鎧だって同じものがそれぞれの属性に変質しているだけだ。サヤのジョブチェンジは僕とは違い、肉体だけのものらしい。身につけた武具が勝手に外される理由は分からないけど。
「ごめん、ジョブチェンジするとどうしてもこうなっちゃうんだよねー」
「よく分からないけど、早く着替えてくれないかな……」
 部屋着なんだろうか、露出は少ないのに何となく目のやり場に困る。それにどうしてポーズを決めているんだろう。なぜか回っているし。ジョブチェンジというものが分からなくなってきた。

 どう見ても収まりきらないだろうサイズの鞄から甲冑一式を取り出すと、手早く装備を終えたサヤがこちらにガッツポーズをしてみせた。外見だけなら立派な戦士だ。前に会った時の彼女からは想像もできない。
「だけど何故わざわざ戦士に?」
「だってカオスの陣営に行くんでしょ。本拠地に乗り込んでゴルベーザって人をボコボコにしに行くんだよね」
「全然違うよ」
「あれっ?」
 無邪気に首を傾げる彼女に冷や汗をかいた。博士はどんな説明をしたんだ。ボコボコにされては困るんだ。兄さんが抵抗するかしないかは不明だけど、ってそれが問題なわけではなくて。
「話をしに行くだけだから、攻撃は控えてほしい」
「えええー!?」
 どうしてそんなに不満そうなんだ? やっぱり博士の影響で好戦的になったのかな。元々のサヤは、きっと違うと思いたい。
「君を知っている人に、会いに行くんだ」
「うー……またモンスターですか?」
「いや、人間だよ」
 僕の言葉に安堵する彼女を見て、こちらは逆に不安になった。四天王に良好とは言えない感情を抱くサヤが、兄さんをどう思うのか。僕がいくら考えても無駄なんだろうけど。

 月の渓谷を二人で歩いていると不思議な感傷に襲われた。以前この場所を歩いた時には、サヤはもういなかった。兄さんのいる場所を目指していたのは同じなのに。
 その黒い影を目に留めて、先に動いたのはサヤだった。何かを言う間もなく跳躍した彼女は、魔法の届くよりもやや遠く、振り向きかけた兄さん目掛けて──斧を投げた。
「なっ何だ!?」
「攻撃はしないって言ったじゃないか!」
「あぁ手が勝手に……」
 三者三様に慌てふためき、咄嗟に腕で払った兄さんは斧の直撃を免れた。そして全く気持ちの篭っていない謝罪を口にしつつ歩み寄るサヤ(後ろ手に握っていた剣は取り上げておこう)を見て、硬直する。
 動かなくなった相手を見て困ったように僕に向き直る彼女は相変わらず。
「どうしようセシル、隙だらけだよ、もったいないよ」
「サヤ、待て」
「わん」
 条件反射で座り込んでしまったらしい彼女に和みつつ立ち上がらせると、そこで兄さんが意識を取り戻した。甲冑の下に隠された視線が彼女を探る。そして唐突に後ろを向くと、土壁に手をつきながら崩れ落ちた。
「に、兄さん?」
「聞いてはいたが……何故……」
 愕然とした風の声に胸が裂けそうだった。やはり、彼女の出現はどこからか兄さんに伝わっていたんだ。
 突然の消沈に戸惑うサヤを見る。よく観察すれば名残はある、けどやっぱり別人の顔だ。だから兄さんも戸惑っているのだろうか。それとも自分の記憶を持たないことを目の前で証明され、絶望したのかもしれない。己の立場に置き換えれば兄さんの衝撃は痛いほどに分かった。
「甲冑は重いから嫌だと言っていたくせに……」
 ……分かると思ったけど、間違っていたかもしれない。いや、言葉は変だけど、多分「己の知るサヤではない」っていう意味、なのかな。
「そもそも何故に胸元が開いているのだ……!」
 落ち込んでるのは確からしいけど何かが違うよ兄さん。
 最初は心配そうに見守っていたサヤが胡散臭げな表情に変えて僕に非難の目を向けた。今なにか言われてもフォローできないよ兄さん。
「この人、大丈夫?」
「どうだろう」
 それでも一応仮にも弟として、頭が大丈夫じゃなさそうなんて言えないから、そっと彼女から目を逸らした。

 僕や四天王の懸念とは違う意味で心の柔らかいところをえぐられた兄さんは、数時間してようやく立ち直った。飽きて寝かかっていたサヤに声をかけ、シャントット博士の言葉を要約して伝える。
 博士は彼女の記憶を取り戻すことに積極的ではなかった。それは執着も愛もないからだと僕は思った。だけどもしかしたら正しいのかもしれない。
 記憶なんか無くても、兄さんがそれでいいと言い、彼女がそれもいいと言うなら……このまま新たに作り上げる方が、幸せなのかもしれない。だってこの世界もいずれは消えてしまうんだ。
 重い沈黙が辺りに沈んで、それを払うように兄さんが兜を脱いだ。それでもサヤに反応は見られない。他人に対する瞳で静かに見つめ返す彼女に溜め息をつき、兄さんは僕に向かって言った。
「殴れば思い出すのか?」
 え、やるんですか……。

「必ず思い出すっていう確証は無いんですけど」
 むしろ悪くなる可能性の方が高いんじゃないのか。いや、最悪の場合、兄さんのことを思い出すどころか存在ごと消えてしまうかもしれない。悪い方へばかり思考を進めてしまう癖は治ってはおらず、続く兄さんの言葉でやはり僕らは兄弟なんだと実感した。……悪い意味で。
「死ぬほどの目に遭っても思い出せぬならば、いっそ死んでしまえばいいと思うだろう、セシル」
「ねえこれやばい? 逃げた方がいい?」
 頬を引き攣らせるサヤに、そんなこと聞かなくていいから早く逃げろ、と叫ぶ間もなく彼女の足元に闇が生えた。
「んなああっ──!」
 呆気にとられて見つめた先、上空で何か技を発動したのだけ見て取れ、あとは空間の端にベシッとぶつかる音だけが聞こえた。
「兄さん……!」
 まさか本当に攻撃するなんて。外見のせいだろうか。サヤが、彼の知るのとは違う姿だから、失うことになってもいいと?
 打ち上げられた彼女を見る兄さんの表情には影がさし、傍から何を考えているのかさっぱり分からない。 「……落ちる」
 静かに呟き両手を広げた兄さんが少し前に歩み出る。僅かな間を置いて、その腕の中目掛けてサヤが凄い勢いで落ちてきた。

「そもそもお前は最初から、やることが見つかるまではそばにいるだの裏切らないが自分の意志は譲らないだの逃げ道ばかり用意して、いずれこうなるのを知っていたのではないのか? 散々私の真実が知りたいと言いながら決して踏み込んで来なかったではないか!」
「ぐちぐち文句言わないでよ、覚えてないんだから仕方ないでしょ! 記憶が消えちゃったってことは忘れたいような何かがあったんじゃないの? 実際いきなり吹っ飛ばすようなヤツだしきっとあなたが変なことしたんだ!」
「心当たりはあるが直接お前に怒られたことはないぞ!」
「心当たりあっちゃダメじゃんなに偉そうにしてんの!?」
 こちらの心配をよそに、サヤは元気だった。というか元気すぎる。
 兄さんに受け止められてしばらくは痛みに悶えていたものの、先制攻撃を食らって火がついてしまったようだ。復活を遂げるとすぐさま反撃に出て、兄さんもそれに応じるものだから僕が間に入る隙はなかった。
 戦士へジョブチェンジしたとはいえ、戦う力なんて無いと思っていたのに。見くびるなという博士の言葉はやはり正しかったんだ。今のサヤは、力任せに当たられても壊れない。

「ああーもうっ!」
 つかみ掛かる手を振り払い、サヤが数歩さがる。少し疲れてきたみたいだ。やっぱり体力勝負では不利か。そう考えると魔道士で来られなくてよかったのかな、今の彼女は一応シャントット博士の弟子なのだし。
「大体、おかしいよ。親子でも兄弟でも友達でも恋人でもないのに、わたしはどうしてあなたのそばにいたの?」
「それは私が……!」
 ゴルベーザが、居てくれと言ったからだ。単純で無意味で、それだけに強い本能的な願い、それを叶えるためだけに。
 親子でも兄弟でも、友達でも恋人でもないのなら、何者なんだ。……仲間? しかしサヤは、兄さんのために何かを為したわけじゃない。そばにいただけだ。彼が何に手を染めても受け入れて、望まれるがまま見守っていた。
「何の関係もないのに一緒にいられたなら、今のわたしが記憶をなくしてたって別にいいじゃない」
「思い出す必要などないと言うのか」
「っていうか、覚えてないわたしに価値はないの? だとしたら必要ないって思ってるのはゴルベーザの方だよ」
「……何も覚えていないくせに……私の名を呼ぶな」
「そ、そっちだって! わたしの名前、呼ばないくせに……」

 小競り合いの手は止まり、互いに睨み合うだけになる。徒手空拳で立ち向かうサヤに、やっぱり兄さんは勝てないんだ。彼女は傷つくことなんてとっくに受け入れていた。恐れていたのは相手を傷つけること。それさえも今の彼女は気に留めない。だけどそれは同時に、何が起きようとも受け入れられる強さの証じゃないのか。
「同じじゃないなら違うことすればいいんだよ」
「……違うこと、とは?」
 彼女はずっと、兄さんに渡すべき答えを持っていなかった。何もなくてもそばにいることこそが、彼女なりの方法だったんだ。何かをなくしても代わりに手に入るものがある。
「弟さんをわたしにください!」
「……え?」
「だが断る!」
「……ええ?」
 なるように、なりそうだと思ったのだけれど、いつの間にか二人とも抜刀していた。しかもなぜか僕が巻き込まれてる。
 さっき、微かに走った思いが蘇る。このまま新たに作り上げる方が幸せなんじゃないのか? 執着も愛もないのなら、勝ち取るしかないんだ。曖昧な過去が消えてしまったのはむしろ都合がいいのかもしれない。
「セシルは渡さぬ。そしてサヤ、お前も私のものだ!」
「……あれっ?」
 だって以前の彼女なら絶対に、ここで顔を赤らめて剣を取り落としたりしなかった。

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