─back to menu─


黒い甲冑

 フースーヤに連れられてこの扉の前に立った日が、今は既に遠い昔のように思えた。その瞬間にはどれほど苦しもうと、いつか時は過ぎるのだと実感する。
 しかし例え未来に忘れ去る苦さだと知っていても、正に現在直面している事実に対しては何の救いも与えられない。

 青き星を離れた後、私が悪夢に苛まれ眠っていた部屋に、サヤがいる。自ら出てくる気はどうやら無いらしく、扉の前に立っていても中からは無音が返されるばかりだ。
 館の住人が消えるとともに悪しき意志も去ったが、今ではこの月の館そのものが魔物の巣窟と化していた。一人きりにするには不安が残る。
 いや、厳密に言えば一人ではないのだが、そもそもあれからして魔物なのだから、つまりサヤは見知らぬ魔物と二人きりで部屋に閉じこもっているということだ。早急に対処せねばならないが、原因が私自身であるために強気な態度にも出られず立ち往生をしていた。
「どうしたものか……」
 ちらりと背後の面々を窺うが、揃って目を逸らされた。薄情者どもめ。サヤの機嫌をなおすには彼女が怒りをぶつける相手が必要なのだ。確かに私が適任ではあるのだが、進んで叱られたいとも思わぬ。

 ああ……どうしたものか。バルバリシアが相手ならばサヤの怒りも僅かなもので済むのではないかと、姑息な考えを持ち様子を見る。どうも顔に出ていたらしく、何か言う前から「あたしに押しつけないでください」と切り捨てられた。
 近頃ではバルバリシアまでもが私に逆らうようになったな。最早主従でも何でもないのだから、腹立たしさはないが、これが反抗期というものかと思えば少し寂しい。
 バルバリシアは使えぬ。ルビカンテとカイナッツォでは手段は真逆でも何かしらサヤの神経を逆撫でして戻ってきそうだ。つまり使えぬ。スカルミリョーネを送り込めば攻略は容易であろうが、八つ当たりされるのが目に見えるために躊躇してしまう。やはり使えぬ。
 分かっている。私がこの扉を開け、そして彼女に罵られなければならないのだ。分かっては、いるのだが。

 渓谷にてプリンプリンセスを相手に連戦を続けていた私達は、いつしか我を忘れ狂戦士と化していた。はぐれたサヤを探しに行かねばという思いさえ次第に消え失せ、当の彼女がこちらを探しに来てもまだ暴走を止められず、彼女の抱える魔物もろとも切り伏せるところだった。
 寸前に正気に戻ったのはバルバリシアで、即座に放った竜巻で私達を巻き取りサヤを救出したのだが……、実のところ私はその経緯を全く覚えていない。なんせ異常が回復したのは私が最後だったのだ。当然ながら彼女の怒りは主に私へ向いている。
 いくら魔物である四天王が自己回復能力に優れていても、アンデッドたるスカルミリョーネにさえ負けた私は形無しだ。
 操られ癖でもついているのだろうか。もっとしっかり自分を持てと言い放ち部屋に閉じこもったサヤに、合わせる顔がない。返す言葉もない。そうしていつまでも扉を前にうじうじしているのだが。

 不意に部屋の中から金属の擦り合う音がした。戦闘音というほど切迫した気配はないが、何か起きたのだ。四天王の注視を背中に受けながら、覚悟を決め部屋へと駆け込む。
 荒れ果てたスリープルームを抜け、長きにわたる眠りの時を過ごしたその場所に、彼女はいた。
 サヤは私が置き忘れたままにしていた黒い甲を被り、その足元に絡み付いたプリンプリンセスが彼女を支えたまま部屋中を這い回っている。意図が不明確で少し怖かった。
「……何をしている?」
 意を決して尋ねてみると、サヤは甲を手で支えたままこちらへ向かってきた。いや、足はプリンプリンセスに持ち上げられているため動いていないのだが、そのためにまるで浮遊霊のごとき移動方法となって見え、正直、怖い。
 思わず後退った私を更に追いかけ、目の前に迫ったサヤは、足場となっているプリンプリンセスのおかげで丁度私と同じ位置に頭があった。己と向き合うというのはこんな気分だろうか。
 目前にあってさえこの圧迫感ならば、終始見下ろされていたサヤは私をどう捉えていたのだろうか。よく恐怖を覚えなかったものだと今更ながらに感心する。

 束の間、いつもとは違う高さで私を見つめると、やがて満足したのかプリンプリンセスが疲れたのか、甲を外してサヤが床に降り立った。見下ろせばいつも通りの位置にその頭が見え、訳もなく安堵感が沸いて来る。
「これ、無事だったんだね」
 サヤが手にした甲を掲げて見せ、次いで部屋の奥に転がされていた鎧を指差した。あの時は緊急事態ゆえに装備している暇もなかったが、フースーヤの安否を確かめに再度戻ってきた際にも、やはりこれは持ち帰らなかった。
 黒い甲冑は、象徴だ。サヤとの思い出であるとともに、忌まわしき過去を証明し続けるものでもある。
 皆がそれを通して見る"ゴルベーザ"が何者であるのか、痛いほど分かるだけにどうしても持ち帰ることができなかった。
 しかし一人で向き合えば空恐ろしい物に見えた黒は、サヤの手にある今はただ懐かしさを感じるだけの、何の変哲もない甲に過ぎなかった。

「記念に持って帰ろうよ。着て歩くとアレかもしれないけど、部屋に飾っとくなら誰も文句言わないよね?」
 そう言うや否や持っていた甲を私に押しつけると、サヤは鎧へと駆け寄った。そしてそれを持ち上げ戻って来ようとするのだが。
「……重っ!?」
 見兼ねたプリンプリンセスも各部位を持ち上げようと試みるが、やはり甲冑一式は幼体の魔物とか弱い少女の腕には重すぎるようだ。
「ってか手伝ってよ」
「……あまり身近に置きたくはないのだがな」
「でも、もったいないじゃん。せっかくカッコイイのに」
 サヤの口から漏れた意外な言葉に目を見開く。未だかつて正気の彼女にそんなことを言われた記憶はない。体の芯を不思議な感覚が走り抜けた。私は、照れているのだろうか。
 凝視されているのに気づき、面と向かって私を褒めてしまったことを自覚して、サヤがはにかんだ。先のバーサク事件についての怒りは残っていないらしい。嬉しいが、何故か気恥ずかしかった。
「ちょっと装備してみてよ」
「ここで?」
「あっち戻っちゃうと、あれだし」
「あれ、か」
「うん」
 十数年の時も傷を受けた者には僅かな時間だ。私の黒い甲冑を見て良い感情を抱く者などあの星にはいない。恥を捨て、罪を忘れて思い出に浸るなら、今がその機会だ。
「着てみようか……」
 何の恨みも嘘もなく嬉しそうに笑うサヤを見ると、やけに切ない気分になった。

 全てを着込んでしまうと帰りに脱ぐのが面倒なので、一部分だけを装備することにした。始め楽しげに見守っていたサヤだが、次第にその表情を曇らせる。
「めんどくさいんだね」
「そうだな」
「よくずっと着てたよね〜」
 感心している口調だが呆れられている気がする。深く考えないでおこうか。
 直に触れれば何かが壊れてしまう気がした。その存在をいくら求めても己の素顔を曝すほどには警戒を解けなかった。あれもゼムスによる阻害なのか、私自身の弱さなのか、今となっては分からないが。
 目を閉じても装着できるほど体に馴染んだ甲冑は、以前よりも少し重く感じた。これはただの鉄塊なのだとすんなり腑に落ちる。遮るものなく感じるサヤの視線だけが、微かな違和感となって私に届いた。
「……ふぅーん」
 尤もらしい顔で息を吐く彼女に、何とも返せず押し黙る。それは一体どんな意味合いを持った溜め息だ。

「先程は、何をしていたんだ?」
 そう問いかけるとサヤは、床を徘徊するプリンプリンセスを一瞥した後、照れ臭そうに頬を掻いて言った。
「こういう景色を見てたんだなーって思って」
「そ、……そうか」
 扉を開ける前の緊張が嘘のように穏やかで暖かい時間だ。視点の高さも視界の幅も、サヤは私の見ていたものを求めてこの部屋にいたのか。
「人間に会うのでなければ、持って帰っても構わないか……」
 何を思い返しても、今ならば耐えられるだろう。この甲冑に見据えられたとて、不幸せに浸り闇に飲まれはしない。今の私ならば──。

 ふと甲を被った時のように視界が暗くなり、何か軽いものがぶつかってきた。首の周りがあたたかく、目の前を黒髪がちらついている。……。抱き着かれていると理解した時の驚きは、例える言葉もない。
「ど……どうした!?」
「……な、何となく!」
 サヤの方でも衝動的にやったことらしく、間近から聞こえた声には多分に動揺が含まれる。そのくせ離れる様子もない。
 鎧に阻まれ体温を感じることはないが、視界の端にはサヤの頭が見え、怖ず怖ずと背中にまわした手からは生身の柔らかさにも触れられる。同じ物を身に纏っていながら、この手に残るものはかつてとは比べものにならぬほど大きい。
「……サヤ」
「ん」
 この瞬間、彼女が感じているのは何なのか、以前の私なら恐れるばかりで考えずにいたはずだ。きっと、私が触れたいと思うだけ、近づきたいと願うだけ、彼女も同じことを考えていただろうに。
「一緒に帰ろうか」
 一人では持ち帰る力のなかった私と、そして置き去りにしてきた彼女も連れて、あの青き星へ。
 サヤは声もなく、私の肩の上で小さく頷いた。

|



dream coupling index


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -