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 他者から情報を与えられても、それが己にとって重要であるほどに、この目で見なければ信じられないもの。けれどそれは、実際に見てしまえばどんなことも認めざるを得ないということ。
 上から見ても下から見ても、360度どこから眺め回してみても以前の名残はない。魔物でもないのに前に出会った時と容姿が違うなんて。年月を経て成長したから? ……そんな次元をとうに越えた変化よね、これは。
 それでもやっぱり認めてしまう。現実を目前に未だ信じられないという思いはあれど、どうしたってこの娘はサヤなんだわ。外見上の違いなど有って無きもの。この気配を忘れるはずがない。あたしは、忘れるはずがないのに。
「でも、あなたは覚えてないのねえ、サヤ」
 心なしかげんなりとしてあたし達を眺めていた彼女は、名を呼ばれるのに反応して眉をひそめた。
「また普通に呼び捨てだし……」
「いけない?」
「いやー、あなたはなんかそういうキャラっぽいからいいけど……なんだかなぁ」
 そういうキャラっぽいってどういうことかしら? 馬鹿にされているのではなさそうだけど、褒めてもいないわよね。
 困り戸惑いながらもいつだって受け入れてくれたあの頃は、あたしにこんな表情を見せたことなどなかったわ。柔らかな拒絶……これはこれで新鮮かもしれない。見られるはずのなかった彼女を新たに見つけられるなら悪くない、なんて思ってしまった。
 だけど今までに築いた全てを忘れてしまったというなら、やはり少し気に入らないわ。新しい発見も今までの記憶があってこそ喜ばしいのでしょうに。

「ねえ。あたしの名も覚えてないの?」
「だから、知りませんってば」
 間髪入れず返された答えに、傍らで我関せずの態度を貫く男をちらりと窺う。カイナッツォは相変わらず黙ってサヤを見つめていた。
 こいつの力を使えば、サヤの中にあたし達の記憶が残されているのかどうか分かるかしら。いくらか弄れば無理矢理に思い出させることだって可能ではないの? そう喉まで出かかった。
「……何を考えてんだ、バルバリシア」
「べつに何も」
「そうかぁ?」
 うるさいわねえ、見透かすんじゃないわよ。お前なんかにそんな大それたことをさせるわけがないじゃないの。この娘を都合よく作り替えられてしまったら堪らないわ。
 あたしはサヤの記憶の有無そのものについてはさほど気にしていないもの。取り戻せなくともなすすべは残っている。大切なのは今の彼女の態度よ。
「バルバリシア……」
 カイナッツォの口にした名をサヤが繰り返す。……でも、覚えていなくとも構わないけど覚えているならばその方がいいに決まっている。
「何か思い出した?」
 思わず期待して尋ねたあたしに、彼女は素気ない態度で応えた。
「いや、全然」
「……あらそーお」
「顔引き攣ってんぜ」
「そこのカメ、うるさいわよ」
「おー怖い怖い」
 捻り潰されたいのかしらこの男……。

 例えばあたしが彼女を追いかけている時に、振り返りもせず駆けて行くのを見るとちょっとした腹立たしさを感じた。要するに一方的であるのが不満なのよね。
 こちらはサヤと過ごした時間をしっかり持ち続けていて、ここで出会えたことがこんなにも嬉しいのに、彼女はただ戸惑うばかり。忘れていたって喜びなさいよ、なんて身勝手な考えさえ沸いて来る。
 ……まあ、ルビカンテが言うにはこれでもかなり態度が軟化したらしいけれど。もしも刺々しさの抜けないままに再会していたら、あたしもスカルミリョーネのように傷ついたのだろうか。それとも、そんな態度すら面白いと思えただろうか。
「えっと……そっちのも、わたしの知り合い?」
 不意にカイナッツォを指したサヤの手を見つめる。今になって気づいたけど、剣を握り慣れた手だわ。魔法も使えるというし、肉体だけなら本当に別物。それはあたし達だって似たようなものだけれど……。
 戦いを知らない彼女の手は柔らかくて気持ち良かった。記憶のあるなしに関わらず、ここが別の世界である限り同じ関係ではいられないのかもしれない。
「……こいつのことなど思い出す必要はないわ」
 無駄な記憶を蓄える余裕があるなら、他の者よりもまずあたしをそこに居させるべきだと思うけれど?
 手放した記憶を少しでも手繰り寄せようというのか、しきりに首を傾げるサヤを一度だけ見遣って、カイナッツォがあたしを睨んだ。
「何よ。お前も思い出してほしいの? サヤに覚えていてほしいのね? 忘れられたことが悲しいのね!」
 さあ否定するがいい。「オレはこいつのことなんかどうでもいい」とか言って黙って甲羅にでも引っ込んでいるがいいわ!
 あたしは、サヤの中にあるはずのあたしの記憶についてあれこれ考えるので手一杯なのよ。この娘にこだわりのないものが割り込んで来ないでよ。……と思って挑発したのだけれど、カイナッツォの性格の腐りっぷりを見誤っていた。
「ああ悲しいねぇ、そりゃ思い出してほしいに決まってんだろ?」
 こいつはスカルミリョーネとは違うから、こちらの意図を知っていてなお意地を張るなんてことしないのよ。ああ忌々ましい。そのにやけた顔を踏みにじってやりたいわ。

「えー、ルビカンテ、スカルミリョーネ、バルバリシア……で」
「カイナッツォだ、カイナッツォ。あれだけ繰り返し呼んどいて忘れるか? 脳味噌ごとすげ替えたんじゃねえのか、ちったぁ賢くなってりゃいいのになあ?」
 サヤの頭の辺りから、ピシッと何か不吉な音が聞こえた。俯いて、落ち込んでいるのかと心配になって覗き込んだ彼女の顔は、
「うふふ……」
 このあたしにさえある種の恐怖をもたらす笑顔を浮かべていた。
「ねえバルバリシア様あいつの弱点属性って何かなあ? 博士仕込みだから何でもイケるよ教えてお願い」
 その身に纏った不穏な空気はともかくとして、至極自然に流された言葉にカイナッツォと顔を見合わせる。あたしの名前が、思わず聞き流してしまいそうなほどに馴染んでいたけど。
「今……何て言ったの?」
「このカメ野郎の弱点を教えてください」
「それじゃなくて」
「……バルバリシア様?」
 感傷に浸って涙を流すようながらではないけど、その懐かしい響きはあまりにも胸に染みた。不機嫌そうなカイナッツォなどもはや視界に入らず先の暴言も忘れてしまうくらいに。

「そこはしっかり覚えてんのかよ、お前」
「お前って言うなカメ! カメに馴れ馴れしく呼ばれる筋合いとかたぶんないから!」
「多分って何だ、多分って」
 きっと何処かに埋もれてしまっただけなのね。完全になくしたわけではないんだわ。この微かな繋がりさえ残されているなら必ず引き戻してやる。せっかくまた手に入りそうなのだもの、他の者になど渡すものか!
「……なんかテンション上がってるー」
「サヤ!!」
「は、はい?」
「おい加減しろよ、ビビってんぞ」
 かつてよりも近いところにある彼女の肩を力一杯掴んで、引き寄せてその瞳を間近で見つめる。怯えの色が浮かんでいるのは何故かしら。
「あたしのことはそのまま呼ぶのよ、いいわね」
「あい……バルバリシアひゃま……」
「どうして泣きそうなのよ」
「怖いっす……」
 ただ喜んでいるだけなのにあたしの何処が怖いと言うの。訝しんでカイナッツォを見たら、あからさまに目を逸らされた。何なのよ二人揃って、ムカつくわね。

「……まあいいわ。記憶がなくてあたし以外への態度だけが悪くなるなら、むしろ歓迎すべきよね」
 始めよりもずっと軽くなった気分で言ったら、カイナッツォが面倒臭そうに吐いた言葉に水を差された。でも、あたしも思い至るべきだったわ。
「ゴルベーザ様もそう言やあいいがな」
「……そうか。そうね、良いとおっしゃるはずがないわ」
 投げやりな態度を取られたことはあってもサヤに対してこんなに距離を感じたことはない。あたしは追い詰めることも好きだからいいけど、ゴルベーザ様が対面なさったら、間違いなく傷つくだろう。
「でも思い出しそうにないわよね、これ」
「ああ、まあなぁ……。半端に記憶が残ってるとこ見ると、忘れたっつーより変質したんじゃねえのか」
 つまり、失ったものと同じだけ手に入れるには、より厄介な状況にあるということか。……だったら違うものを手に入れればいいんじゃないの?
「ゴルベーザ様も罵られるのを楽しんだらいいんじゃないかしら、スカルミリョーネのように」
「いやあいつも楽しんではねえんじゃねぇの……」
「何を疲れてるのよカイナッツォ」
「てめえのせいだろうが!」
 訳の分からないことを……。

 出会うことへの喜びと共に、別れがつらいものだとサヤのせいで知らされた。もしも初めから失っているなら、再びの別離を恐れずに済むかもしれない。
 ゴルベーザ様に会わせよう。記憶のないまま、それでも手に入るものがあるのかどうか。表面だけが変わり果てても彼女の本質は変わらぬまま。生まれ変わってさえあたし達を繋ぐ絆があるのか。サヤは、ゴルベーザ様の名を呼ぶだろうか。

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