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人形

 この先もしもゼムスがいたらと、何度恐れたことだろう。今一度戦って私に勝てるのだろうか。杞憂に終わるかもしれず、現実となるかもしれない。ともかく、サヤだけはあの男に会わせたくなかった。例え待っているのが見知らぬ存在だったとしても……事態の中心にいる何かを彼女には見せたくなかった。
 二度と会えないかもしれない。いろいろと話しておくべき事もあったはずだ。それでも、何も言わず離れた。送還の場にも立ち会わなかった。無事にあの大地で待っていると信じて。「かもしれないでは諦めない」という言葉を信じて……。
 進むべき道を見つめながらサヤの声が脳裏で揺らぎ続ける。それは不安を掻き立てるばかりのものだが、何も知らぬまま安穏としているよりは余程信じられる不安だ。

 血の滲むような、そんな声だった。失ったものを取り戻そうと、それだけを見据えた命の叫び。かつてのサヤには見られないものだった。……少なくとも私の前では、あれほどに自分を曝したことなどなかった。
『わたしに言わせるの?』
 一番恐れていることを、サヤも同じことを考えていたのだと知った瞬間、膨れ上がる恐怖心を抑えられなかった。
 あの時感じていた気配は確かに見知ったもので……目にしなくとも分かっていた。だからこそサヤを連れて行くべきではないと思ったのだが。
『切り札、使わせるの?』
 最も聞きたくない言葉が、最も言いたくない言葉が、……もしかしたら真実かもしれない、疑念が晴れなかった。次々に襲い来る過去の幻影は、同じ意識を宿しながらも偽りの肉体に苦しんで、嘆き、解放してくれと──

 何故もう一度現れるのか。何のために蘇ったのか。一体誰が? 次に待っているのは私にとってもサヤにとっても大切な者達であるのが間違いない、そんな状況で。迷っていないつもりだった。意に染まぬ生に縛られているならば解放してやらなければと、決意していた、つもりだった。
 戦う気なのかと怒り、諦めるのかと嘆いていたのはサヤだ。目前に控えた未来に竦むことなく私を見据え、助けてくれと叫び、縋りついたのは……。
 迷いのなさに気圧されて目を逸らすしかなかった。そうして自分の迷いから逃れられなくなった。もう目の前で失うのは嫌だ。助けられるならばそうするに決まっている。だがあれらは、闇に還る事を望んでいるではないか、と。
 彼女の言いたい事は分かっていたが、分かっていたからこそやはり恐ろしかった。クリスタルから再生され、解放を望む存在が、それがもしも。
 サヤだったとしたら?
 それでも諦めるのか。足掻きもせず易々と、解放してやれるのか。この手で眠らせてやれるのか。……できるはずがない。引き戻してみせる。偽りであっても、苦しみを与えても、耐え難い自己嫌悪が永遠にこの身を苛み続けることになっても……そこに宿る意思が真実ならば。

 再び出会った存在は、呼び戻されたのか再生されたのか。じきに対峙する者達は、もしかしたらサヤだったかもしれない。同じ不安を抱いていたと知った瞬間、確かめる方法が消え失せた。サヤ自身にさえ分からぬならば、私に知るべくもない。
 有り得ない事ではない。現に四天王はサヤの手を取り、実体として舞い戻って来たではないか。彼女が造られた存在だとしたら、もしそうなら、この月の最奥にて待つ者は。いともたやすくサヤも四天王も……無に帰すことができるだろう。
 連れて行けるものか。全てを懸けて引き戻し、そして共に私を待っていてくれるあれらを、消し去りかねない者に会わせるなど。

 恋い焦がれたあの月でもなく共に時を刻んだあの大地でもない、こんな場所で死ねはしない。サヤが、お前達が待っていてくれるなら、今は少し信じよう。かりそめの時で私の命を縛り、何が起きてもお前達の元に帰ろう。今度こそ……幻などには渡さない。

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