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約束
背中に視線を感じて振り返る。そこに立っていた少年の印象は不思議なものだった。
甲冑を脱ぎ気を休めていた時のゴルベーザ様のようでもあり、かつて敵として戦ったセシルのようでもある。敵地に囚われながらも愛する者達の身を案じていた母にも似ていて、友を裏切り自らの欲を貫いた騎士にも似ている。そしてどこかに、サヤの気配さえも見て取れた。
「……何か用かい?」
こちらから声をかけると、驚いて身を竦める。戸惑いはあっても畏怖や敵意は一切含まれていない。セオドアは、初めからそうだった。
ふと目をやった方では、サヤを挟んでカイナッツォとミシディアの魔道士が話している。あまり和やかとは言えない雰囲気のようだが、仕方ないか。人との関わりも多かった私達は、つまりそれだけ多くの怨みも残してきたということだ。
「あの、お聞きしたいことがあるんですけど」
やけに切羽詰まった表情でセオドアが見上げてくる。迷いに迷った末に吐き出された言葉は意外なものだった。
「名前を、教えてくれませんか?」
「……私のか」
驚いて馬鹿な返事をしてしまった。私に尋ねているのだから私の名に決まっていたな。しかしどれほど重大なことかと思えば、名前ごときで何故そんなに緊張しているのだろう。
「サヤさんに教えて頂いたんですけど、覚えられなくて……すみません」
「いや、謝らなくてもいいんだが」
なるほどな。何かと抜けている彼女のことだ、恐らくは手短に「あれが誰其であっちが……」といい加減に教えたのだろう。
そういえば私達の名は人間には覚えにくいらしいが、彼女はすぐに馴染んでいたな。実際に口に出すのは恥ずかしいなどとよく分からないことを言っていたが、何度も呼び続けて覚え込んでいた。名前を呼ぶということに、何か意味を感じているように。
「私はルビカンテだ。まあ、そう気負って覚えようとすることはないよ」
他の三人とてサヤと共に過ごしていれば自然と名前が耳に留まるはずだ。彼女がそうしたように。
「……でも、あなた達の話をしている時に、遮って聞き返したくはないんです」
悔しそうなセオドアの言葉は先程とまた違う衝撃を与えた。話を、していたのだな。まさか会えることを見越してではないだろうが、この地に来る前にも忘れずにいてくれたことが嬉しかった。
「失った存在だなんて思えなかった。今だってずっと一緒に過ごしてるみたいに話すから、気になっていたんです」
ともすれば危なげなほどに強い想いだ。振り切れなければ心まで闇に引きずられる。だが、その未練の御蔭でまたこうして見守ることもできる。二度と帰らぬはずの日々を、もう一度共に過ごすことができる。
いや、あの頃とは違うのだから。もしかするとそこにはセオドアや他の誰かの姿もあるかもしれない。それもまた良い。
「……でも、正直言って本当に戻ってくるとは思わなかったわ」
「母さん」
現れた人影を見遣り、傀儡のようになってしまった男を探した。セシルの傍らには今、ゴルベーザ様とカインがついている。当然か……ローザが彼を放って来るはずがない。
「バルバリシアはともかく、あなた達は……サヤが呼んでも、もう来ないかと思っていた」
どれほどの想いだったのか、私は知っている。失われるその時に彼女が受ける傷の深さを、身を以って知っている。他の者はともかく、私がサヤの呼ぶ声に応えないはずがない。
交わしたわけではないが、己に誓った約束があるからな。
「……せっかくだから、これあなたにあげる」
何故か得意げにローザが差し出したのは、微かに見覚えのある防具だった。
「これは……」
「ねこみみフードですね。どうしてかあさ、……母上が?」
言い慣れているらしい呼び方が口をつき、慌てて訂正する生真面目さに思わず噴き出した。見ればローザも嬉しそうに笑っている。
「な、なんで笑うんですか! ……これ、サヤさんが持ってた物でしょう?」
「そうね。その前はカインが使ってたらしいけど、元の持ち主はサヤよ」
巡り巡って私のところへ戻ってきたか。この世界で時を経て、まるで引き寄せられるように?
唐突に耳の辺りが気になって、身につけた赤い石に触れる。そこから発せられる熱と、サヤの腕にある銀の腕輪の影が重なった。……何も、失われたものばかりではないか。未だに残されたものもある。
「昔は何を考えてるのか分からなかった。あなたもバルバリシアも変わった、って思っていたけど、ただ昔よりも理解しただけなのかしら」
サヤはゴルベーザ様だけではなく、私達と他の人間とも繋げようとしているようだ。私達が彼女とゴルベーザ様との掛橋になるよう、彼女自身も絆になろうとしている。
他の人間がそこにいても、ただ「そこにいる」だけだった。ローザの感情など考えたことがあったか。カインが何を想いゴルベーザ様に従うのか、考えたことがあったか。
「……理解しようって、思うようになったのが変化なのでは?」
「そうだな」
「そうかもね」
ゴルベーザ様へ向けられる戸惑いの視線。サヤからですら感じるそれを、唯一セオドアからは発せられない。「セオドアは真っ白だ」と彼女は言った。それは、パラディンである父と白魔道士である母から生まれたのだから、当然だろうと思っていたが。
光の申し子と言っても遜色のない、強固な血筋だ。しかしどうやら違う。それだけのことではないようだ。
セオドアはまだ、光にすら染まっていない。両親だけではなく出会う全てを受け入れながら、染まることなく変わってゆく。
「……いい子だな」
「そうでしょう! 自慢の息子なの。セオドアがいればバロンどころか世界だって安泰よ。可愛さも格好よさも強さも気品も誠実さも誰にも敵わないわ。こんな素敵な子は絶対絶対絶対に他にいないんだから、サヤにどうかしら? あなたからゴルベーザに頼んでみてくれない? もちろん一番大切なのは本人の気持ちだけれど何処の誰かも分からない女の子にあげてしまうのは嫌だもの、その点あの子なら安心だわ。お互いに気に入ってるみたいだしサヤならセシルだって反対なんかしないから。だからね、」
「すみませんルビカンテさん、気にしないでください。……サイレス!」
母の暴走には慣れたものなのか、口の塞がらない私をよそにセオドアは冷静そのもので、容赦なく沈黙の魔法を放った。……知らなかったことを知るのは、面白いものだ。
魔物である己が未来に希望を見出だすというのも馬鹿げている気がするが、生憎と馬鹿になることが不幸だとも思えなくなっていた。
「その帽子」
「ん?」
やまびこ草を探して慌てふためくローザを押しやり、セオドアが色褪せたフードを指差した。
「あなたがまたサヤさんに渡せば、喜ぶんじゃないでしょうか」
「……さて、どうかな」
恥ずかしいから被りたくないと部屋に引きこもって、結局意味が無かったように記憶しているが。それよりも、ここから無事に青き星へ帰れたならば、新しいものを与えてやりたいな。
もう一度、しかし次は違う道を。君が人の境を越えてまでそばにいたいと言うならば、望む限り生き続ける。……約束しよう。
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