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 あれは誰の声だろう。ゴルベーザ様の元へ戻って以来、どこからか声が聞こえる。底冷えするような不気味な声だ。どこかで聞いたことがあるような気はするが、実態が掴めない。確かに聞こえているのにそれが男のものか女のものかも分からない。
 俺がいるのは無機質な壁に囲まれた部屋だった。部屋を出てもやはり同じ、廊下を抜けても同じ。どこまで行ってもゾットの塔と同じ、まるでそのまま元の場所に、過去に戻ってきたようだ。そんなはずはない。あれは砕け散ったのだから。ここはバブイルの塔……同じでないのは分かっているのだが。
「サヤは、何故いないんですか」
 過去と現在をはっきりと分けるのは彼女の存在だった。あの騒がしい娘がここにはいない。いや、居ないのはあいつだけじゃないが、死んでもないのに彼女は何故いない?
 ゴルベーザ様は答えなかった。何か物凄い目で睨まれた気がするが……。あの時エブラーナの洞窟からルビカンテが連れ帰って、てっきり手元に置いているだろうと思ったんだ。そのルビカンテも、もういない。俺には尋ねるべき相手が残されていないことに気づいた。
 まさか、もしやという思いはある。……だが、ゴルベーザ様に尋ねられるわけがない。確信めいた予感は矛盾を抱えて、そんなはずはないとも思う。
 サヤは元の世界へ帰ったのではないかと。

 また声が聞こえた。
──押し込めても無駄だ。
 そもそも俺はどうして戻ってきたのだったか。一度は納得したんじゃなかったのか。ローザが見るのはセシルだ。俺は、その傍にいられればいいと。……どんな形でも構わないと。いやそもそも、裏切ろうなどと思っていなかったのだ。
──お前が救われることなどない。
 違う……。手に入らないなら意味がないじゃないか。俺を見ない瞳など、つらいだけだ。いっそ離れてしまった方が楽になれる。そう思ったからゴルベーザ様の手をとって……。
 導く声に惹かれるまま、もう一度ここに戻ってきたのは何故だ。この場所でならば、どんな醜い想いも受け止めてもらえるような、闇に浸る弱さを許してもらえるような気がして。
──お前が望む時は訪れない。
 違う! 俺は彼女が幸せになってくれれば、それでいいと……ずっとそう思っていた。幼い頃からずっと、セシルがローザを見つける前からずっと! おそらくは永久に叶わない願いでも、抱えていくと決めていたたんだ。
 何を今更苦しむことがある? 俺は彼女の、セシルの友人として二人を見守っていればいいじゃないか。そう……では何故、俺はここに。
──お前が手放したものは還らない。
 それでも構わないさ。例えこの腕の中にはないとしても、この目で見つめていられるならそれでいいんだ。ならば何のために抗う? 俺はどうして……、操られているというのか? こんなにも鮮明に愛情と憎悪が見えているのに。
 ああまったく、この声は誰のものなんだ。誰に向けた声なんだ。なぜ、惑わせようとする。サヤはゴルベーザ様のもとに帰ったんじゃなかったのか? 俺がここにいるのに、どうして彼女はいないんだ。

 ずっと聞きたかったことがあったのに、ついぞ尋ねられなかった。今なら聞けるだろうに本人がいないとは。
「……ゴルベーザ様。サヤはどこに?」
 お前ならどうするんだ、と。狂気に身を浸すこともなく、操っている誰かのせいにもできず、自らの意志で……どこまで大切なものを裏切り続けられる? サヤだったら。あいつがどうしてゴルベーザ様のもとにいたのか。その答えが俺の道に繋がっている気がした。
 やはり返事をしないゴルベーザ様の顔色は蒼褪めて、目だけが爛々と光っている。正気ではないな。俺もこう見えていたんだろうか。
「ここにはサヤの部屋がない」
 不意に囁かれた言葉にあの塔の景色が蘇った。もう跡形もなく壊されてしまった場所。操られていただけだと分かっているのに、あそこで得た開放感は未だ甘く脳裏に焼きついていた。
 己の憎しみを受け入れられるというのは何と心地好いのか。
「あの娘は幻だ。初めからいなかったのだと、声が……」
 囁かれる声は誰のものか。
 香しい記憶の中に、サヤの姿は馴染むことなく浮かんでいた。そこにある意味はなく、存在する理由もなく、だからこそ彼女は痛切に願っていたじゃないか。
 あんたに、求められたいって。

 ……幻だと? 何を馬鹿なことを言ってるんだ。事実目の前にいて話をして、触れられた少女がなぜ幻だと思うんだ。いや、その記憶さえ幻だとしたら? 俺だってかつては、己自身の感情と疑うこともなくセシルに刃を向けたじゃないか。そのようにして誰かが、あの少女の記憶を作っていたら。何のためにかなど、知らないが。
 景色に馴染まない違和感も存在の希薄さも、言われれば彼女が「いなかった」せいだと思えてくる。
 ……しかし幻が理由もなく現れるだろうか。守るべきものを選び、拠るべき地を選び、誰かの傍にいたいと願うだろうか。
 もしやそうかもしれないという思いはある。だが、そんなはずはないと願う。
──お前は選ばれなかったのだ。
 幻であれば、苦しいが傷つくだけだ。しかしもしも、彼女が現実にいたのなら。そして本当の願いを知ったが故に、ここを去ったのだとしたら。どこへ? 真に求める者のもとへ? では、今までは嘘だったというのか。
 思考が混濁していく。自問自答が綯い交ぜになって、自分を見失いそうになった。
 もしも彼女が幻だったら。もしも彼女が幻ではなかったら。……残されたゴルベーザはどうなるんだ?

「月に行かなければ」
「月に……」
 阿呆のように主の言葉を繰り返して空を見上げた。空なんか見えない。機械化された壁しか目に入らなかった。
「サヤの声が、」
 この人には、あれが彼女の声に聞こえているのだろうか。それとも俺の聞くのとは全く違う、過去の記憶に苛まれているんだろうか。あいつが俺達のもとから消えて、二人に一体何があったんだ。
──囁く甘さはお前のためのものではない。
 もしここに未だサヤがいたら、あなたはどうするんですか。……そう尋ねればこの人は壊れるだろうか。

 何も知らない頃には「優しいね」と言ってくれた。二人ともまだそう思っているだろうか。何も知らない少女が、「カインは優しい」と言った。今もまだ、同じ気持ちでいるのだろうか。ずっと聞きたかった。だが聞くことができなかった。
 変わってしまったものを見て、俺だけが取り残されているのを知りたくなかったんだ。見たくもなかった。現実を受け入れ憎しみに染まらず、正気でいろと、そう言うのなら……離れるしかなかった。
──何か見つかるまで、ここにいるね。
──今は……がわたしの居場所だから。
 今は、今は……今っていつなんだよ。“今”はどうなんだ。過去がどうであっても無意味じゃないか。未来がどうなるかなんて分かりはしない。今お前は、誰のもとにある?
 低く呻いてゴルベーザ様が頭を抱えた。見慣れた色の髪が揺れる。この人が何を見ているのか分からない。何を聞いているのかも分からない。他者と相容れることなど不可能だ。いや、分かり合うことは可能なのか? もしもそれを望むものがいれば。
 何事か囁く声が聞こえた。あれは思い出……ローザの声か。セシルか。 サヤなのだろうか。それとも……。
──……を裏切ったりしない。
 そう言っていたのに。

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