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思惑

 パン! と耳障りな音のあと、衝撃に耐えられずに倒れ込む。何が起きたの? 現実に頭が追いつかない。痛みより疑問が先に立つ。途端に口の中にイヤな味が広がった。無防備なままだったから、自分で噛んでしまったみたい。でも、それだけ済んだなんて、すごく手加減してくれたんじゃないかな。……場違いなこと、考えてる。これも現実逃避?
 ゴルベーザは、何も言わない。真っ黒い鎧姿はそれだけで怖く見えるけど、見慣れるほどに少しは表情が見える気がした。困ってるなとか、呆れてるぞとか。でもわかんない。今は全然見えない。なに考えてるの。

 口の端から流れ出た血を、拭いながら立ち上がる。考えてること、言葉にしてくれなきゃわかんないよ。
「……なんか、言ってよ。わたしは怒られたって殴られたってやり返せないのに、殴った理由も言ってくれないの? ずるいよ」
 わたしの言葉を聞いてるのか聞いてないのか、ゴルベーザの手が何かを掴もうとするみたいに伸ばされて、不意に止まる。どうしてかわからないけど、すごく悲しい。見てられなくて俯いたら手の甲にさっき拭った血がついてるのが見えた。
 私の血、その赤い色。そういえばこっちにきてから初めて血を流した。なんか実感しちゃった。わたし、生きてるんだ。ゴルベーザや、セシル、ゼムスでさえ……生きて、血の通った感情で何かを求めて戦ってる。

 いろんな人が傷ついてた。ひどいことなんて起こるはずないって、どうして思えたの? これは現実なんだ。とっくに分かってたんじゃなかったの。わたしだけがただ楽しんでるわけにはいかないんだよ。何かを守りたいなら、誰かを助けたいなら、わたしだって戦わなきゃいけなかったんだ。みんな、命を懸けて……その中にいて、わたし、なにしてた?
 もう取り返しのつかないことがたくさんある。もう……いまさら? ……違うよね。まだ、できることがあるはずだよ。手助けしてあげたい、大切な人、残ってる。
 なにより、わたしまだここにいるもん。

「私を……裏切ることは、許さない。サヤ、お前は二度と……」
 ゴルベーザの声、震えてる。怒りのせい? それとも……。
 人を傷つけたり、怖い目にあったりもしないで、そうやって守られてたって気づかなかった。一緒にいて楽しかったのに、それは嘘になんかならないのに。こんなにつらいのはなんでだろうって思ってた。その行き着く先を知ってるから? ううん、それだけじゃない。わたしまだなんにもできてない。ずっとそばにいたのに、それだけ。やっとわかったよ。
「わたし、たしかにゴルベーザの配下だよ。でも、ぜんぶあげたわけじゃない。わたしにはわたしの、絶対があるんだ」
 犯した罪は消えない。許されても過去は消えない。だけど罪悪感ばかりに苛まれないで。消えない過去の、罪の中にも、きっと光が残ってる。
「わたしはゴルベーザを裏切ったりしない。どこにいても、何をしてても、それがわたしの絶対だよ。……誰かに操られてたんじゃない、わたしが自分の意思でそうするんだってこと、覚えてて。わたし自身が、そうしたいって思ったから、ここにいたんだってこと」

 強くない。なんの力もない。だけどひととき同じ世界の中で笑ってた。わたしのこと忘れないで。一人ぼっちじゃなかった。それがいつかあなたの支えになれば、わたしにも何かを変えられたってこと、だよね? 先のことなんてわからないけど、何もできないはず、ないよ。

 ねえゼムス、わたし、ここにいるよ。今までの時間、無駄にしないために、ちゃんと生きなきゃ。もう一度、わたしを呼んで。

***


 打たれた頬を押さえたまま、サヤは茫然と私を見ていた。言い訳の言葉は浮かばない。ただ激情が支配する。これは私の油断が招いたことか。無為に失うことを恐れ、戦場にも連れて行かなかった。自分の帰るべき場所があり、そこにサヤが待っているなら、それも悪くはないと。
 私は愚かにも勘違いをしていた。サヤはその純粋な瞳のままに、私の業までも受け入れるはずだと信じていた。現実はどうだ。サヤはたしかにすべてを受け入れた。だが束縛の中にも僅かな自由を見出し、罪深き手を逃れ光を求めて飛び去った。自らの後ろに伸びた影を、振り返ることもなく。
 いっそのこと、その手を血に染めてしまえばよかったのか。ともに罪を背負わせ、世界が滅びゆく様をその目に焼き付けてしまえば……。サヤは狂気さえ、受け入れただろうか。

 そんなことは望んでいない。ただそばにいてくれるだけでいい。誰のものにもならないでくれ。その光を曇らせぬよう守りたい。すべて私のものにしてしまえたら。身も心も汚し尽くし共に闇に堕ちたい。
 思考が割れていく。自分の心が制御できない。たかが手駒の一人にすぎないではないか。それを失うことを、なぜこんなにも恐れている。きっと出会った時から間違っていた……。
 サヤの口元から血が流れる。傷をつけてしまったのか。それを拭いながら立ち上がり、私を非難する声。思わず彼女にケアルを唱えようとして、手を伸ばす。……馬鹿な。私は何をしている? 人を癒す力など持っていないくせに。不意にとりとめのない何かが浮かびかけ、実体を成さぬまま消えた。なぜ彼女はいつも、私を動揺させるのか。

 サヤがこの世界に現れた時のことを思い出していた。呼びかけに応じて淡い光が舞う。じきに像を結び、実体を伴ってこの世に現出したあの瞬間。ずっと待っていた。わけもなくそう考えた。まるで自分の感情ではないように根拠のない思い。だが確かにあの時、心の奥に忘れかけた虚ろな穴が、埋まったのだ。名を尋ねればサヤと答えた。私が求め、彼女はそれに応えたのに、今になって私の元を去るというのか。
 ……そんなことは許さない。例えすべてと引き替えにしてでも、ずっとこの腕の届く場所に。
「私を……裏切ることは、許さない。サヤ、お前は二度と……」
 失いたくない。もう、二度と。

 誰かが嘲笑う声を聞いた。求めたものは手に入らない。掴んだように見えてもすぐにすり抜けてゆく。闇の中を生きたものに、光は永遠に訪れぬ。求め続け……足掻くだけ。
 認めるものか! 失うだけの未来など私は受け入れない。サヤが私の呼ぶ声に応じなくとも、別離を望んでも、決して離しはしない。
「わたし、たしかにゴルベーザの配下だよ。でも、ぜんぶあげたわけじゃない。わたしにはわたしの、絶対があるんだ」
 そうしてセシルのもとへ行くのか。私の手を離し、闇から飛び立とうというのか。サヤを手元に留めおくに足る理由を失うたび彼女の目をそこから遠ざけ、光を失わぬよう苦心してきた。だが、サヤはもう気づいている。もはや私の手元に彼女を縛るものはないと。
 私のすごしてきた時間は無駄だったのか? 彼女との間に、何も築くことができなかったのか? 私は、何を求めて……。
「わたしはゴルベーザを裏切ったりしない。どこにいても、何をしてても、それがわたしの絶対だよ。……誰かに操られてたんじゃない、わたしが自分の意思でそうするんだってこと、覚えてて。わたし自身が、そうしたいって思ったから、ここにいたんだってこと」

 ……最初に彼女を呼んだのは何故だった? サヤに尋ねられた時にも、答えられなかった。今もまだ分からない。分からないという事実がなぜか、心の奥で鈍い痛みを生み続ける。あるいは「ただそうしたかったからだ」と答えていれば、何かが変わったのだろうか。
 だがもう遅い。今さら何に気づき、サヤが何を決意したところで……過去は変わらない。何も変えられはしない。一欠けら残された思いさえ捨て、彼女の光も私の闇に捧げよう。それで彼女を得られるのなら。
 闇が笑った気がした。

 まるで過去を遡るように、サヤの姿は光にとけて消えた。痛みを感じる暇もなく、私は思い知らされる。手に入れた時から恐れ続けていたのは何故か。それはきっと、最初から失うことが、決まっていたからではなかったか。

***


 茶番だ。馬鹿馬鹿しすぎて笑ってやる気にもなれん。
 あの女の光はなぜ曇らぬ? 自らの愚かさに、他者の弱さに翻弄され、なぜ未だ笑っていられるのだ。愚直なまでに希望を貫く、あれは強さか。
 絶えることなき光に、虫は心を取り戻しつつある。じきに我が意に背き、自我を見出だすやも知れぬ。そうしてその先に光を失えば途方に暮れ、今度は完膚なきまでに壊れ果てるのだ。
 ……愚かしい。いっそ二人して早々に狂ってしまえば、永劫をともに生きられたものを。一度光に照らし出された心ならば、闇から逃れることはできまい。
 心も……絆も……願いも……すべてひとときのまやかしにすぎない。生ある一瞬、輝いては消えてゆく。光は闇に呑まれ、闇は光に掻き消されるだろう。
 抱き合い、ともに朽ち果てるがいい。

 終焉のときは近い。お前の問いに答えてやろう。

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