苦さと少しの甘さを
青く点灯するボタンへと指を伸ばす。いつも飲む定番、お気に入りのミルクティー。普段なら迷わずそのボタンを押すところだったが、今私が選んだのは一段下に陳列されている黒い缶のボタンだった。紅茶のペットボトルよりも少し甲高い落下音。あまり慣れない感触のブラックコーヒーの缶を取り出し口から取り出した。
「……苦い」
自動販売機近くのベンチに座って一口飲んでみたコーヒーの味はやっぱり私には少し苦い。いつもなんともない表情で飲んでいる彼とは違って飲む度に眉間の皺が深くなっていく。
「伏黒君、今何してるかなあ」
私が任務から帰ってきたと思えば入れ違いに伏黒くんが任務へ。実にもう一週間、彼と会えていなかった。連絡はついているから無事だろうけれど、彼は何だかいつでも怪我だらけな印象があるから心配だ。
「会いたいなあ」
少しでも彼を感じられるかとコーヒーを買ってみたけれど余計に寂しさが募るだけだった。ちりちりと痛みだした胸の痛みを苦味で誤魔化すようにコーヒーを飲んでいると地面の擦れる音がしてそちらを振り返った。
「やっと見つけました」
「えっ、伏黒君?」
そこにはいつもより少しだけ眉を吊り上げた伏黒君が立っていた。彼のことを考えていたらその本人が現れるなんてあまりにも出来すぎていて夢ではないかと瞬きを繰り返したが、その姿は消えることなく変わらずそこに存在していた。
「任務は?」
「終わったんで帰ってきましたってさっき連絡したんですけど返事ないし」
「……ごめん、マナーモードのままだったから気付かなかった」
慌ててポケットに突っ込んでいたスマホを取り出すと確かに彼からのメッセージが届いていた。
「はあ、心配させないでください」
どかっと隣に座った彼を思わず上から下まで凝視する。本当に本物の伏黒君だ。今回はどこにも包帯を巻いてない、顔色も悪くない。無事に、帰ってきてくれたんだ。
「苗字先輩?」
「おかえり、伏黒君」
これからも不安や寂しさがなくなることはないだろうけれど、ただ彼が無事でいたならばそれだけでいい。
「……ただいま」
彼は少し照れくさそうに視線を下げた。するとその視線が私の手元で止まる。
「先輩、コーヒー飲んでるの珍しいですね」
「あっ、これは」
思わず両手で包むように缶を隠す。まさか伏黒君に恋焦がれて飲んでいましたなんて恥ずかしくてとても言えない。
「ほら、ちょっとボタン押し間違えちゃって! そうだ、伏黒君。先輩が飲み物奢ってあげよう、任務頑張りましたってことで」
「急にどうしたんですか」
「いいからいいから。いつも通りコーヒーでいい? それともコーラにする?」
不思議そうにしている彼の視線から逃れるため立ち上がり、やや強引に彼に奢るため自動販売機へとお金を投入した。
「じゃあこれで」
普段の彼の好みの通りにコーヒーとコーラのボタンを交互に指さしていると立ち上がった彼自身が腕を伸ばしてボタンを押した。
「あれ、紅茶? 全然飲まないって言ってたのに」
彼が選んだのはペットボトルのストレートティー。全く私の予想になかった選択肢だった。なんせ彼が任務に出発するまでは一度も飲んでいる姿を見たことがなかったから。
「最近飲めるようになったんです。まだ甘いのは無理ですけど」
「そうなんだ。でもおいしいでしょ、紅茶。何かきっかけとかあったの?」
ペットボトルの蓋を開けた彼は一瞬だけ私へと視線を向けたがその視線はすぐに明後日の方向へと注がれた。
「先輩がいつも飲んでたから」
「ん?」
「それで……なんとなく、です」
そう言い終わるや否や今度は視線どころか顔ごと逸らした彼はごくんと一口紅茶を口に含んだ。その表情は直接は見えないけれど、髪の隙間から見える耳がほんのり赤く染っていてどんな表情をしているかは想像がついた。
……もしかして、もしかしたりするのかな。彼も私と同じだった、とか思ってもいいのかな。缶を握り締めるとまだ残っていた中身がちゃぷんと音を立てた。
「ごめん、さっき嘘ついちゃった。私もさ、伏黒君何してるのかなとか……会いたいなとか考えてたらなんとなくコーヒー買っちゃったんだ」
「っ……そうですか」
「まだやっぱり苦手だけどいつか私も飲めるようになるね」
次の任務頑張りました記念には二人で一緒に飲めるように、ね。
「うーん、五条先生ぐらい砂糖入れたら飲めるかなあ」
「いや、あれは異常です。一個から試してください」
2021.03.23
2021.04.08
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