飲み込む言葉と吐き出す息


グラスを掴もうとした手が空を切る。私の手に収まるよりも先に、それは隣の男によって奪い去られてしまった。

「おまえはこっち」

代わりに渡されたグラスの中に入っているのは香りもないただただ透明な液体で。先程まで飲んでいた琥珀色のものとは明らかに違うことはふわふわして少し重たい頭でも理解出来た。
彼の方へとグラスを滑らせると彼は困ったように笑っていた。そんな顔をしたって無駄だから。ふいと彼から顔を背けると息を吐く音がする。それでもなお私のグラスは彼の向こう側で、返してくれる様子はなさそうだった。






「そりゃあ女を手っ取り早く連れ込むには酔い潰させるのが簡単だろ」

深夜、通りかかった共用ルームから響き渡る男共の話し声。酒が入ってから幾分か経っているのか、交わされていた会話の内容に思わず本音が口から漏れた。

「最低」
「なんだ、おまえ起きてたのか」

今しがた女としては聞き捨てならない発言をしていたホルマジオに続き、その場にいたイルーゾォにソルベ、ジェラートが順に振り返った。

「なんて話してんのよ」
「そりゃあおまえ、男が集まったらする話なんて酒と煙草と女の話に決まってんだろ」
「なんでそんな偏った話題しかないの」

呆れる私を見て口の端から笑いを漏らしながらホルマジオは一口酒を含んだ。

「お酒に頼らないで自分の力で勝負しなさいよ」
「そりゃあ勿論。あくまでひとつの手段としてありだってだけだ」
「実際そうだろ? 女の方も自分で飲んじまってるから一方的にこっちを責められねえ。だから簡単に言いくるめてそのままさよならってわけだ。女って馬鹿だよなあ」
「イルーゾォ、あんたは目の前にいる私も女だってきちんと認識してる?」

酔っているからだろうか。いつもよりさらに尊大な態度で顎を高く上げ、手に持った瓶を揺らしながらイルーゾォはそう豪語した。
そんな私たちの様子を変わらず口元を緩めたまま傍観していたホルマジオが足を組み直し、不意に私の名を呼んだ。

「おまえも知らぬ間に飲まされて気が付いたらやることやられてましたってならねえように気を付けろよ」
「こいつにそんな気起こす奴なんざいねえだろ」
「よおし、イルーゾォ。覚悟出来てんでしょうね」

机の上に何本も転がっていた酒瓶を拾い、それをイルーゾォに狙いを定めて突き付ける。そんな私にイルーゾォは冷や汗を流しながら顔をぬ引き攣らせ、そのまま部屋から出ていこうとするのを追いかけるため床を蹴った。飛び出した共用ルームからはホルマジオ達の笑い声が響いていた。



そんな会話を交わしてから数日経ったある日。たまたま女友達と入った酒場でホルマジオを見かけた。その隣にはスラリと長い脚を組んだ女が一人。直感的に今夜の標的はあの女なのだと理解出来た。勿論それは暗殺対象という意味ではなく、今夜彼に連れ込まれるという意味で。先日あんな会話をしていただけに思わず興味を引いて彼らの様子を観察してしまう。
あと少し体を動かせば唇が触れてしまいそうな距離で女の顔を覗き込む彼の瞳は熱っぽく相手を捉えて離さない。そんな彼に頬を染める彼女が酔っているのは酒か彼か、一体どちらだろうか。どちらにせよ満更ではなさそうだ。

「ご愁傷様」

ああなってはもう逃げられない。今夜の彼女の運命に一人勝手に同情した。

「どうかした?」
「ううん、なんでも」

友達からの呼び掛けに彼らから視線を外す。今の私が大事なのは彼らの行く末よりも目の前の酒を友達と堪能することである。そうして彼らへの興味が薄れてからしばらく経った頃、不意に思い出して振り返った先にはもう二人の姿はなくなっていた。

街で見かける彼の隣にはいつもと言っていいほど女の姿があった。それは胸も足もさらけ出したような女だったり、一時の興味で夜の街に足を踏み込んでしまった無知な女だったり。
ホルマジオ、彼は少なくとも仕事の面においては尊敬に値する男だった。求められた仕事は確実にこなし、組織内の調和を保つ為の心配りも忘れない。見習うべきところは多い。でもその日限りの刹那的な逢瀬を繰り返す彼の一面はやはり女側に同情するあまり好意的には思えなかった。

それがいつからだろうか。たとえ一夜のことだとしても彼に愛される彼女達を羨ましいと思うようになったのは。




「私のグラス返して」
「いい加減止めとけ。これ以上は飲み過ぎだ」

そんな押し問答を数回繰り返してもグラスは私の手元に返ってこない。ならば新しいものを頼もうとカウンターの向こうにいる男性へ向かって手を挙げたが、その手を彼によって再びカウンターへと下ろされる。そしてその手はすぐに離れていって。私にはその指を絡めてくれることなんてない。

「なんで駄目なの」 
「明日二日酔いで苦しむのはおまえだぞ?」
「そういうことじゃあないの。なんで私はホルマジオの隣で飲ませてくれないの? 他の女にはさせてるじゃあない。なんで私には他の沢山の女が得ているその一回の権利も与えてくれないの?」

二人で飲んでいる場だけではない。彼の目の届く範囲での酒の席ではいつも許容量を超えた量を飲まないように手を回される。それは同僚を思っての優しさかもしれないが、逆に言えば私は彼にとってこの状況を利用して連れて帰るにも値しない女だということだ。その場の雰囲気で一時でも熱を入れ込むことよりも今後の調和を優先するほうが大事だというのが彼の判断なのだろう。
先程少しだけ感じられた熱を求めてカウンターの上の彼の手に手を伸ばした。

「止めとけ」
「このまま明日になったらきっとお酒のせいで私は忘れてるよ、それならホルマジオも困らないでしょう?」
「それでも駄目だ」
「やっぱり私にはそんな気は起きない? 私は、こんなにホルマジオのこと――」

 控えめに重ねていた彼の手はまたしてもするりと逃げ、その手はこれ以上音を漏らさないよう私の唇を覆った。

「言ったら後悔するのはおまえだぞ」

――彼が私の誘いに乗らないのなんて本当は分かっていて。これが最後。積もった思いをぶつけて、振られて、泣いて、飲み過ぎて忘れたことにして明日からはただの同僚に戻る。そうしたかったけど、気持ちを伝えることすら受け入れて貰えないなら切り替えられない私はまた彼のことをずぶずぶと思い募らせ続けるのだろう。いっそのこと振ってくれと思うのはやはり私の我儘だろうか。

「明日、酒抜けてからなら聞いてやるから」

は、と遮られて声にならずに漏れた息が彼の掌を撫でた。

「酒の勢いってことにした言葉に返事が欲しいならそれでも構わねえけど」

そう覗き込んできた緑の瞳に、私はただ自然と首を左右に振っていた。






ゆっくりとその小さな肩を上下させながらカウンターへともたれこんでいる姿に思わず言葉が漏れる。

「寝たら酔いつぶれてんのと一緒だろうが」

そんなオレにカウンターの向こうの男は口元を緩ませた。
あの後ようやく大人しく水を飲んだこいつはやはり俺の真意を測りかねていたようでちらちらとこちらを伺いながら頭を悩ませているようだった。そうして酒が回った状態であれこれ頭を使った結果、オレが止める間もなく眠りに落ちていった。

「珍しいですね」

今まで黙って自分の仕事をこなしていた男が何を思ったかこちらへと話しかけてきた。

「なんだよ」
「いつも感心するほどすんなり女性を連れていかれるのに本日は違ったようですので」
「うるせえよ」
「まあそんな姿もここ最近全く見られませんでしたけど。ずっとお一人でしたし」
「勝手に見てんじゃあねえ」

注文以外でこの男と会話を交わすのは初めてだが、柔和な雰囲気をしながらもどうやら中々食えない男だったらしい。

「どう思うよ、こいつ」
「可愛らしい方だと思いますよ」
「そういうこと聞いてんじゃあねえんだよ」
「今度こそ他の人とは違うその特別扱いを良い意味で捉えてくださるといいですね。まあ今までのツケが回ってきたってことですよ」

そう言い放った男にひと睨みきかせればわざとらしく肩を上げて離れていった。

「どいつもこいつも人の気も知らないで」

呼吸に合わせて顔に滑り落ちてきたこいつの髪を耳に掛けながら本日何度目かの溜め息を漏らした。



2021.05.20


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