ヒーローを引退し、実家で娘と共に暮らす決意をした虎徹は勇んで荷造りをはじめた。
が、それは思っていたよりもずっと早く終わってしまった。
元々一人暮らしの男の部屋、ものがあふれるとは言いがたかった生活空間の上、じつは一連の事件の直前まで実家に帰るべく日用品以外は箱詰めしていたことを、この男はすっかり忘れていたのであった。
引越し業者がくるには数日早い日程で作業が終わってしまった虎徹は、近間の公園のベンチで楓よりも年下だろう少年達がヒーローカードを見せ合う姿を眺めながらダラダラと時間を過ごしていた。

「あー、暇だ。」

引退したらこんなに暇だとは思わなかった。
飲もうと誘おうにも現役のヒーロー達は休日だというのに今頃会社で仕事中、同じく引退したバーナビーは連絡がつかず・・・というか彼とマーベリックのことを聞きたがる記者連中に見つかるとまずいのでそもそもどこかに行こうと誘うことはできなかった。

「だーから、ヒーローたるもの顔を隠せってんだ。」

己のひざに頬杖をついて気だるげにそう呟いた。
瞬間吹いた強風。

「あっ!」

声を上げたのは虎徹の目の前でヒーローカードを広げていた少年だった。
風に吹き飛ばされてしまったカードに必死に手を伸ばす姿に、虎徹は反射的に立ち上がって走った。

子供の足では遠い距離も、大人の足――ましてやこの前までヒーローだった男の足では、そう遠い距離ではなかった。
手を伸ばしてヒラヒラ舞うカードを掴もうとした瞬間、横から延びてきた手が虎徹よりも先にガードをキャッチした。
いきなり現れた手に虎徹がポカンとしている間に、その手の持ち主はカードを追っていた少年の目の前へと歩みをすすめる。

「はい。」

少年へと持っていたカードを渡す人物の声は、中性的で落ち着いた印象を与える。

「ありがとうおねぇちゃん!」

黒いパンツにボルドーのYシャツという一見男性のような井出達だが、その丸みを帯びた肩とまろやかな曲線をもつ体は紛れも無く女性のものだった。

「そのカード、ワイルドタイガーだね。ワイルドタイガー好き?」

「うん、おねぇちゃんも?」

腰をかがめて少年に目線を合わせながら喋るその顔は薄く微笑んだ。

「好きだよ。一緒にいるバーナビーも好き。」

虎徹は、長年ヒーローをやってきた身だが、ファンからその女性のように「好き」といわれたのは初めてだと思った。
こんなにも親愛をこめてそう言ってもったことなどない。まるで、長年付き合っている親友のように。

「今度から飛ばないように気をつけてね。」

「うん。」

元気よく頷いて駆けていく少年を見送った女性が振り返った時、虎徹は既視感を覚えた。
その女性が日系の顔をしているとか、どことなく楓を思わせるからとか、そういうのを差っ引いた後に残る、違和感。
それを問いたい気持ちが喉までせりあがってはいるものの、ここで「どこかでお会いしたことありましたか?」なんて台詞はただのナンパと思われるだけだ。
必死に言葉を選んでいる虎徹にクスリと笑みをこぼして、女性は踵を返して歩みだす。
去っていく女性を引きとめようとする虎徹が言葉を発する前に、女性は唇から音を紡いだ。

「貴方達なら大丈夫だと信じていました、ヒーローさん。」

女性の言葉に虎徹の中でカチリと歯車が噛み合う音がした。

驚きで固まっている虎徹を一瞥して、足早にその場を去った名前は、不信に思い後から追いかけてきただろう彼に捕まらないように狭い路地をジグザグに駆け抜けた。
彼らに、どんな顔をして会えばいいかわからない。
元より、H01の中に自分というAIがいたことを彼らが知っているとは思わない名前は、名乗り出る勇気などなかった。
ただ、生命維持装置の中で生きながらえていた自分の肉体に再び戻って目覚めた瞬間、生身の自分で一目彼らを見てみたいと思っただけなのである。

「これからどうしよう。」

長らく運動していない体を急に動かしたせいで酷く乱れたを息を整えながら、一つ呟いた。
ブルックス夫妻しか立ち入ることのなかった研究所で、今になって名前が目覚めたことを知るものは自身以外誰も居ない。
自由であるかわりに頼れるものはない。元より身元不明のこの身の上だ、悲観することではない。

「とりあえず、1年待ちますか。」

あのヒーロー達が帰ってくるまで、この街で待とう。
名前は一つ頷いて、シュテルンビルトの大通りの雑踏の中に一歩踏み出した。


Fin

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