3青峰君、君まで仲間にならないでください
スポーツの世界において“強豪”の名を死守するためには、日々のたゆまぬ鍛錬が欠かせない。 とはいえ、毎日毎日練習ばかりしていてはまだまだ発展途上の体は持たない。 故に設けられる数少ないオフの日の放課後に、黒子は名前を伴って行きつけのファーストフード店へとやってきていた。
「で、苗字さん。戦績は?」
「2勝25敗ってところです。 教えてもらったとおり“あまり喋らない”“表情を極力変えない”“周りを観察しつつも誰とも視線を合わせない、注視もしない”を徹底してたんですが、中々上手くいきません。 近くで大声上げてる子とか・・・明らかに目立つ子が居るときには、なんとか上手いこと見つからないようにはなりましたが。」
チュルチュルとシェイクを啜りながら答えた名前は酷く消沈してはいるようだが、黒子は彼女の言葉にとても驚いていた。 彼女に“師匠”と呼ばれるようになってからひと月、正直『ダメもと』で教えてみた“客観的に見た黒子自身の特徴”が微々たるものではあるものの、こうして効果を発揮するとは正直思っていなかったのだ。
――逆にこういうところを直したら、僕もちゃんと認識されるようになるんでしょうか。
彼の稀有な個性でありバスケでは存分に活用されている影の薄さだが、日常生活においては若干のコンプレックスを抱いている黒子は、顔には出さずにそうポツリと考えてみた。
「もっと精進して、師匠みたいにいつでもどこでも見つからない技を完璧にマスターします!」
暗く沈んだ表情から一転、ストローから離した唇からそう意気込みを発した名前に「がんばってください」と黒子は一言エールを送った。
「あ、それでですね、師匠。いつもお世話になっているお礼というには随分貧相なんですが、よかったらこれもらってください。」
そう言って、彼女が自身の隣の席においてあった鞄から取り出したのは、小奇麗にラッピングされたココア色の焼き菓子だった。
「例のごとく紫原君に頼まれたブラウニーで、甘めなんですけど・・・甘いもの大丈夫です?」
「はい、好きです。 でも、僕がもらっちゃっても良いんですか?」
差し出されたそれを見ながらの黒子の問いに、名前は苦笑して頷いた。
「どうぞどうぞ!紫原君には天板3枚分の同じものを渡してあるんで。同じもので申し訳ないですが。」
「いいえ、嬉しいです。実は苗字さんのお菓子、一度食べてみたかったんです。」
机を挟んで伸ばされた手からそっと受け取ると、見た目以上に重さを感じた。 この場で食べても良いかという問いかけに頷いた名前を確認して、黒子は透明な袋をとじているリボンを解いた。 その瞬間、ふわりと香るココアの匂いに食欲を刺激されて、袋の中に手を伸ばして一つつまんで噛り付く。 口のなかでとろけるようなしっとりとした食感、程よい甘さとチョコレートの濃厚な風味が鼻から抜け、アクセントの刻みアーモンドが味わいを深めるそれは、最早素人の作とは思えない出来栄えだった。
「すごく、美味しいです。 これでお店開けるくらいですよ。」
「あはは、ただの素人の趣味ですよ。プロの方がもっと美味しいです。」
――いえ、紫原君が催促するのがわかるくらい美味しいです。
とは言わず心にとどめ「本当に美味しいです。売ってたら、僕なら毎日買いに行きます。」とだけ口にした黒子に、名前は微かにはにかんだように笑って礼を言った。
「あれ?そこにいんのテツか?」
「ホントだ!テツ君!!」
不意に黒子を呼んだ声に顔を上げると、そこに居たのは体格の良い色黒の男と桃色の髪をした女の子だった。
「青峰君に桃井さん。」
「何だテツ、デートか?」
名を呼んだ黒子に、ニヨニヨと楽しそうに問いかけてきたのは男――青峰だった。 そのまま、さも当然というように4人がけの席の奥に座っていた黒子の隣の席にドカリと座り込んで、持っていたトレーを机の上においた。
「え!テツ君がデートなんて!?」
悲鳴のような声でそう言って、青峰に習って黒子の斜め向かいにあたる名前の隣に腰を下ろした桃井は、自身の隣に座っていた名前をキッと睨みつけた。 桃井の様子から、悟ったような顔をして苦笑した名前はそっと桃井の席にあった鞄を自身の横に置きなしながら口を開いた。
「いえいえ、違いますよ。師匠に相談にのってもらっていただけです。」
「「師匠?」」
低い声と高い声が、同時に響いた。
「なーるほどな、最近紫原がもってた菓子の正体はそれか。」
黒子の持っているブラウニーの袋を指しながら呟いた青峰に、名前と黒子は同時にコクリと頷いた。 その後に大きなため息をついた名前に、青峰と桃井はギョッとしたようにその主を見た。
「あーもー、考えたら憂鬱になってきました。明日のノルマも結構な無茶振りですし。」
「明日は何頼まれたの?」
隣の桃井からの問いかけに、名前は低い小さな声で「・・・ロールケーキです、生クリームとフルーツたっぷりの」と答えた。
「ロールケーキって、普通クラスメイトにねだる物じゃないですよね。」
黒子の台詞に頷いて「ただでさえ気温高いから学校まで持ってくのも一苦労なのに、なんで悪くなりやすいフルーツばかり・・・」と机に頭を伏せてブツブツ呟き始めた名前に「こりゃ相当まいってんな」と青峰がこぼす。 流石に哀れに思ったのか桃井が先ほどの敵愾心など忘れたように名前の背中を慰めるようにさすっていた。
「それにしてもそんなに美味いのか、それ。」
言うが早いか、青峰は黒子の手に握られていたままの袋を取り上げると、中身を一つ口に放りこんだ。 黒子が「あ」とこぼしたときには、ブラウニーは既に青峰の口の中である。
「あ、何してるのよ!」
「う、うめぇ!!!」
目を見開いて心底驚いたような感動したような声の後に、再び袋に手を突っ込もうとしたところで、間一髪黒子が袋を取り返す。
「テツ、それくれ。」
「嫌です、僕がもらったので。」
正直、黒子はこの美味しいブラウニーを青峰にとられたくはなかった。
「もう、意地汚いんだから・・・でも、そんなに美味しいなら私も食べてみたい!テツ君、だめ?」
小首をかしげて聞いてきた桃井は大層可愛らしかったが、正直自分の食べる分を減らしたくない黒子は、困ったように名前に視線を向けた。 桃井はそんな彼の気など知らずに「ね、名前ちゃん。テツ君のちょっともらっちゃだめ?」と彼女に問いかけて、机に付していた顔を上げた彼女はそれに「黒子君がいいなら」と呟いた。 こうなっては、黒子が一つも分けないのは何だか狭量な気がして、名残惜しさを感じながらも桃井に一つ手渡した。
「おいしい!すごくおいしいよ、名前ちゃん!」
「あ、ありがとうございます。」
「よし。俺にもよこせ、テツ。」
「嫌です。」
ファーストフード店の狭い席で、すったもんだと一つの袋を取り合う二人に、桃井と名前は顔を見合わせてクスリと笑いあった。 子供っぽい二人の様子に、沈んだ気持ちが少し持ち上がった矢先――
「あ、名前。明日のロールケーキは俺の分もよろしくな。」
「へ?」
「持ってこなかったら・・・俺の口が勝手に“ナニカ”喋っちまうかもしれねぇから。」
悪い顔でそう名前に言い放って、再び黒子の持っている袋を奪取しにかかった青峰に名前は混乱した頭でようやく事態を飲み込んで、そして叫ぶしかなかった。
「そ、そんなぁぁぁぁ!!」
「大ちゃん、私にも一口!」
黒子が青峰からブラウニーを死守するので精一杯な今、名前の味方はここにはいなかった。
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