短編 | ナノ




2紫原君、拒否権を下さい



大きな声と共に直角に体を曲げて頭を下げられたことによって、教室から出て行く生徒の波から無用な注目を集めたことに気づいた黒子は、すかさず「場所を変えましょう」と提案した。
黒子が頭を上げた彼女を誘った先は、図書室だった。
こうして名前に時間を割くことで必然的に部活に遅れることとなるが、彼女のあまりの必死な顔に赤司の制裁は今は考えないことにした。

「で、僕を師匠と呼びたいって話ですけど・・・。」

「すみません、いきなりこんなこと言って。
 びっくりしますよね、普通。」

図書室の奥、本棚の間に隠れるようにして設置されている椅子に座り小声で話しかけた黒子に、名前は困ったように謝った。

「どういうことなのか、教えてもらえますか。」

眉をハの字にした名前に、勤めて優しく問いかけた黒子に彼女はコクリと頷いて口を開いた。

「私、家庭科部に入っているんです。
 家庭科部の主な活動は週に2度くらい集まって手芸作品を作ったり、お菓子を作ったりすることなんですけど・・・。
 去年は私、紫原君と同じクラスだったんです。」

名前の最後の一言に、黒子は全てを悟った。

「ことの始まりは去年、たまたま席が隣だった時に私が作ったお菓子を彼が見つけてしまって。」

「で、勝手に食べられちゃったんですね。」

「・・・はい。」

ため息と共に零れた名前の肯定に、黒子は同情するしかなかった。
彼の食べ物――ことお菓子への執着はバスケ部一軍全員の知るところである。

「別に、そのことをズルズル怒ってたり引きずってるわけじゃないんです。
 そりゃ、私に何も言わずに食べるなんてちょっとカチンときましたけど、その後美味しいって言ってくれたし。
 でも、問題はその後で・・・。」

再びため息に言葉を止めた名前に、黒子は最近の紫原の様子でずっと気になっていたことを口にした。

「もしかして、近頃紫原君がよく持ってる手作りのお菓子って・・・。」

「あー、ご存知でしたか。
 ・・・そうです、あれ、私が作ったんです。
 どうも私の作るお菓子が気に入ったらしくて・・・最近じゃ毎日のようにアレ食べたいコレ食べたいとせっつかれている始末で。」

紫原はお菓子への執着が物凄い上に、味にもうるさい。
その上、バスケ部の追っかけが増えてから手作りの差し入れで以前一悶着あったこともあってか、基本的に所謂ファンからの手作りの差し入れは口にしないようにしていた。
ところが最近、彼が抱えているお菓子は包装から一目で手作りとわかるものばかりだった。
それを2〜3日に一度のペースで頬張っている彼の姿に誰もが首をかしげていたのだが、その原因は彼女だったらしい。

「美味しいって褒めてもらうのも、もっと食べたいって言ってもらうのも嬉しいです。
 でもそれを毎日言われて、毎日作ってくれって言われるのは正直しんどいんです。
 あくまで趣味で作ってるものだし、いつでも作る時間があるわけじゃないし・・・でも、作ってこなかったら私が紫原君に差し入れしてるってバラすぞって脅されて。」

「うわぁ・・・それは大変ですね。」

普段、意図せずともポーカーフェイスの黒子ですら流石に思わず声が漏れた。
先に上げたとおり、この学校のバスケ部は絶大な人気を誇る。そしてそれ故に過激なファン紛いの生徒も多いのだ。
その生徒達に“差し入れを受け取らないはずの紫原が、女子からの手作りのお菓子をもらっている”と知られれば、名前の学生生活は絶望的だと容易に想像できる。

「色々考えて、なるべく紫原君に会わないようにすれば、何も言われないんじゃないかと思ったんですけど、逃げても隠れてもすぐ見つかるんです、あの人の背の高さだと結構視界が良いみたいで。
 そこで、黒子君の噂を聞いたとき思ったんです。」

黒子の目を見ながら真剣な表情でそう言った名前に、黒子は無意識にコクリと喉を鳴らした。

「試合中もコートに居ることを忘れられる黒子君の技を教えてもらえば、紫原君から逃げられるんじゃないかと!!」

「・・・はい?」

至極真面目な表情で言うにはあまりな内容の言葉に、聞き返さずにはいられなかった。

「えっと、ミス・・・なんとかっていう技を私に教えて欲しいんです。
 それを使えるようになれば、私も紫原君から逃げられる!」

鼻息荒く語る名前に、黒子は言葉を失った。
そもそも、黒子はミスディレクションをコート以外・・・つまり、日常生活で使おうと思ったことなど無い。
相手の注意を誘導するその技には、並外れた観察眼を使うために常に周りを観察する集中力が必要であり、時間制限という制約も存在する。
更に言えば、黒子の魔法のようなミスディレクションは、その根底に“彼自身が物凄く影が薄い”という彼本人の特殊な事情があってこそなのだ。
それを、ごくごく普通の少女が体得し、更に紫原から逃げ切るなど到底無理な話に思えた。

「どうかお願いします、私にミス何とかっていうのを教えてください。」

必死に頼む名前には悪いが、どうにも彼女の期待する効果をえるのは無理そうだと説明すべく口を開こうとした時だった。

「あれ?名前ちん?」

「ひっ!!」

本棚の端からにゅっと音を伴って顔を出したのは、先ほどまで話題に上っていた人物だった。
突然声をかけられたからか、それとも染み付いた反射からか、顔を真っ青にしてビクリと体を硬直させた名前にお構いないしに、紫原は黒子たちの側へと歩み寄ってきた。

「む、紫原君・・・なんでここに。」

「次に、名前ちんに作ってもらうお菓子探そうと思って。」

言葉と共に掲げられた右手に持っていたのは上級者向けのお菓子の本だった。

「今度はこの“ボンボン・ショコラ”っていうの食べたい。」

「待って待って待って待って!
 チョコレート系はホント勘弁してって前に言ったよね!テンパリングがどれだけ面倒で時間かかるかって教えたよね!
 しかもそれってウイスキー・ボンボンでしょ!?
 それって物凄く慎重に作らなきゃいけないお菓子なの!しかも普通に8時間とか余裕でかかるものなの!素人が作るものじゃないの!
 その上、未成年が食べるものじゃ――」

「そこ、図書室で騒がないっ」

紫原の無茶振りに思わず声を荒げた名前に、カウンターから教員の注意の声がかかった。
その声に黙った名前に、先ほどの彼女の剣幕など忘れたかのような紫原がいつもの眠たげな表情のまま本をグイと差し出した。

「それ、明日持ってきてくれるの楽しみにしてる。」

「ちょ、そんなの無理!」

言いたい放題の挙句に立ち去ろうとした紫原を呼び止めた名前だが、彼の次の一言にその勢いは一気に削がれることになる。

「・・・皆に言うよ?」

「うっ。」

言葉に詰まって硬直した名前を満足気に見下ろして“じゃ、よろしくねー”と足取り軽やかに紫原は去っていった。

「うぅっ。」

肩をこれ以上ないほどに落として唸った名前に、黒子はかける言葉も思いつかなかった。

「黒子君、毎度こんな感じなんです。
 最近じゃプロのパティシエが作るようなハイレベルとっ越した無茶振りな代物を要求してくるんです。
 ホント、助けて下さい。」

「・・・わかりました。
 力になれるかどうかはわかりませんが、僕にできる範囲でお手伝いします。」

後に『キセキの世代』と呼ばれる彼らの中でも最も常識的な彼は、あまりに哀れな名前の頼みを断ることはできなかった。


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