1.黒子君、師匠と呼ばせてください
あまり嬉しくはないが、紆余曲折あって我が校の誇るバスケ部様と多少なりの接点のある名前は、とある噂を耳にする。
“コートに居るはずなのにいつの間にかその存在が掻き消えてしまうプレーヤーがいる” 文科系の極みとも言うべき家庭科部の名前には、そこにくっついてくる「いつの間にかパスが通ってる」だの「パス回しに特化した6人目(シックスマン)」だの、そんなのはどうでも良いことだった。 とにかく、名前が必要としていた情報は“存在が掻き消えてしまう”という文句に尽きるのであり、故にそれを聞いた時名前は雷に打たれるような衝撃と共に、“自称”天才的な発想をしたのであった。
「あの」
授業の終わり、放課後の始まり。 教室を後にする同級生にまぎれるように体育館へと向かおうとしたとき、黒子を含めた生徒の波に声がかかった。 この年頃の女性にしては低めだが、まろやかな音はまぎれもなく女子のものだった。 一瞬その呼びかけに足を止めようかと思った黒子だが、思えばこんなに人の多い場所・タイミングで影の薄い自分を捉えることのできる者などいないだろうと思い直して“誰か”を呼ぶ声に背を向けたまま歩き続けた。
「あの!黒子君!」
だが、再び同じ声が今度は間違いようもなくはっきりと、黒子の名前を呼んだ。 この放課後の廊下に発生したラッシュから自身を見つけたことに驚きながら、黒子は今度こそ足をとめて声の主を振り返った。
踵を返した先に居たのは見覚えの無い生徒だった。 不真面目にならない程度に着崩した制服についているクラス章をチラリと見ると、同い年で黒子の教室とは一番はなれた教室の女子生徒だということが伺えた。
「これから部活なのに呼び止めてごめんね、黒子君。 私、苗字 名前って言います。」
「どうも。 知ってるとは思いますが、僕は黒子 テツヤです。」
今だ教室前の廊下を占領する人の波を掻き分けて黒子の前に歩いてきた少女は、苦笑交じりに自身の名を告げた。 聞き覚えのない名前に軽く首をかしげながら挨拶を返した黒子に一つ頷いた名前は、薄い笑みを浮かべていた顔を引き締めた。
「あのですね、黒子君。」
勇んだように強張った顔で口を開いた名前に釣られて、黒子も何事かと眉間を寄せる。
「実は、黒子君にお願いがありまして。」
続いた言葉に、黒子は“ああ、やっぱりか”と少し落胆する。 この帝光中において、大会成績の優秀な部活動は数多あれど、その中で絶対的な“女子からの人気”を誇るバスケ部の部員にとって、この切り出しから始まる話は慣れっこだった。 とはいえ、影の薄い黒子本人がこんなお願いをされることになるとは思ってはいなかったのだが。 つまるところ“バスケ部のスタメンへの取次ぎ”のお願いは、この部にとって日常茶飯事であり、それに対するマニュアルも赤司の手によってある程度出来上がっているのだった。
「すみませんが、スタメンへの伝言やプレゼントの受け渡しのお願いは全て断るように言われているので。」
目の前の少女が二の句を続ける前に釘を刺して、そのまま体育館へと向かうべく踵を返した黒子に、彼女は慌てたように声を張り上げた。
「いや、そういうお願いじゃなくて!!」
テンプレートな台詞を否定する声に首から上だけで振り向いた黒子に、名前はそのまま言葉を続けた。
「あの・・・黒子君、師匠と呼ばせて下さい!」
「はい?」
黒子 テツヤは、この世に生を受けて10年以上経過しているが、教室前の廊下ではあまりに不釣合いな大声で頭を下げられてこんなことを言われたのは初めてだった。
[*prev] [next#] 1/3
|