劇場での前戯


(天上の序曲より抜粋)


暗く湿った空気。
蝋燭の明かりに照らされる壁画に彩られた地下洞窟の中は、さながら牢獄のようでもあった。

広大な地下墓地――カタコンベの一角、礼拝を行うための空間に祀られた十字の前で、彼女はひっそりと微笑んだ。


「汝は魔物か?」

ローブのフードを深くかぶった老人が彼女に問いかけた。


「否」

十字の前に跪かされた彼女は首を横に振る。


「汝は悪魔か?」

先ほど問いかけた老人と同じ格好をした青年も問いかけた。


「否」

彼女は再び首を振る。


「なれば、汝は人か?」

こと低い声は、彼らとは別方向に佇むローブ姿の影から聞こえた。


「否」

彼女の答えは変わらない。


「では、汝は何者か。」

問いかけは、縛られ身動きの取れない彼女のすぐ背後からなされた。
それを受けて深まった彼女の笑みに、周囲の者達の背に怖気が走る。


「我は人であるが故に悪魔ではなく、悪魔であるが故に人ではない者。



 我は魔女なり。」



刹那、地下に吹くことなど無いはずの風が、蝋燭をすべて吹き消した。













「厚さと重さの割には、酷く内容が薄い。」

シルクの光沢を放つ手袋は、持っていた分厚い本を乱雑に放り投げた。
飴のようにまろやかな色の木製デスクに重い音を立てて落ちたハードカバーの本に一瞥をくれると、デスクの持ち主である男は気だるげに頬杖を付く。
先ほど本を投げた手は死人のように青白い頬を支え、その小指は濃い隈をもつ深い沼のような色の目元に触れる。
男――メフィスト・フェレスは小説より漫画、漫画よりアニメといったタイプの人物であった。
その彼が普段読まない(ライトノベルは別として)小説を読むには訳がある。

ここ数ヶ月連続して発生している祓魔師の死亡。
元より、殉職など日常茶飯事と言っても過言ではないその職務において「死」とは非常に身近なものであったが、この数ヶ月間の彼らの死はあまりに異常だった。
――死んだ祓魔師は明らかに「誰か」によって殺されているにもかかわらず、その「誰か」は悪魔ではない可能性が非常に高い。
普通、祓魔師が「殺された」となれば、殺した相手は仇敵である悪魔であるが、悪魔はその肉体自体が武器であるため遺体には牙や爪の後があったり、火元の特定できない炎による焼けどや常温下での凍傷などと言った、いわゆる超常的な痕跡が残るものだ。
ところが、ここ数ヶ月の間に発見された遺体には鋭利な刃物による刺し傷・切り傷しか見つかっていない。
つまり、「人間」の手によって祓魔師が殺された可能性が高いということ。・・・こんな事態は、日本支部では前代未聞であった、
そして、死亡した祓魔師は死ぬ前に体の一部が切り取られている。
切り取られた場所からは生活反応があったため、検死した医工騎士も死ぬ前に体の一部を切り取られた可能性が高いと言った。
しかも、とられた部位は全員ばらばら――ある者は右腕、あるものは腎臓、あるものは左目・・・。
それらを繋ぎ合わせると「一人の人間の形になる」ことに気づいたのは部下のイゴール・ネイガウスであった。
医工騎士であるためか、それとも屍番犬を従えている手騎士であるためか、ネイガウスが「厄介なことになった」と呟きながらそれを報告してきたのは7人目の犠牲者の遺体の検案が終わった直後であった。
死体をつなぎ合わせて肉の人形を作ることが何を意味しているのかは、未だ特定できてはいない・・・人形の使い道があまりに多すぎるためだ。
そもそも祓魔師はある程度鍛錬を積んで霊的素質が高くなっている。
その肉体に宿るエネルギーは常人の比ではないために、悪魔を憑依させる器としても、餌としても、あるいは何らかの魔術的儀式の贄としても有用と考えられる。
何にせよ、肉人形が何かに使われる前に犯人の特定・遺体の回収をしなければならないというのに、それ以上の手がかりをつかむことは出来なかった。

ところが、先日発見された18番目の犠牲者が死ぬ間際に現場にいくつかの単語を残していた。
――所謂、ダイイングメッセージである。
犠牲者自身の血で書かれた単語は3つ。
「召還」「天上の序曲」――そして「青焔魔」
舌を切り取られた男が死後に語った手がかりに騎士團内が騒然とする中、メフィストは首をかしげた。
「召還」「青焔魔」だけを見るならば、肉人形をもって魔神を物質界に召還することが目的のように見えるが、それには「魔神の焔に耐えうる器」が必要だ。
いくら祓魔師をつなぎ合わせた肉人形を器として使うとしても、到底死体になど魔神の力が納まるわけなどなく、死体は灰へと帰るのが関の山である。
今まで何の手がかりすら残してこなかった犯人が、そんなことにすら気づいていないなどとは到底考えられない。

では、これらの単語は一体何を示しているのか。

そう考えたメフィストが調べたのは「天上の序曲」についてであった。
それは、随分昔に出版され現在は絶版となった本の題名であり、その作者はもう没していること。
――そして、その作者は祓魔師であったことがわかった。
作者のプロフィールを知り、この一連の事件の手がかりがこの本にあるのではないかと考えたメフィストは早速その本を取り寄せた。

それが、冒頭乱雑に扱われた本である。




分厚いハードカバーの中身は一応フィクションの物語であるらしいが、あまりに抽象的な表現ばかりが使われていて、内容が非常にわかりにくい。
その上、不必要な修飾語がだらだらと続くばかりで、ストーリーそのものはとても薄っぺらいものだ。

要約すればこうだ、
錬金術師であった女が実験中の事故で死亡しそうになった時、現れた悪魔と契約し生きながらえる。
契約によって得た途方もなく長い命でもって、女は科学者、教師、修道女など様々な者に身をやつしあらゆる学問・魔術を習得する。
だが、何をやってもその貪欲な知識欲を満たすことの出来ない女は、自身の「欠陥」に気付く。
その「欠陥」故に永久に満たされない女は自らに禁術を施し「欠陥」を補った。
だが、その人道に外れた秘儀の行使は人々に受け入れられることはなく、女はいつしか「魔女」と呼ばれるようになっていた。
魔女は「魔道に堕ちた咎」から人々に追われ、逃げ場がなくなった時、最期には弟子によって殺されてしまう。

実にありきたりな話だ。
「悪魔の誘惑に負けてはいけない」そんな教訓を教えるための、安直なストーリー。
撮り溜めておいたアニメを見る時間を割いてまでこの分厚い本を読みきったメフィストだが、その内容から事件解決の糸口など見つからなかった。
時間を無駄にした。と、苛立つ心を表すように眉間によった皺を人差し指でほぐしていると、彼の執務室の電話が部屋の主を呼んだ。


「もしもし?」

「メフィスト、まただ!
 南十字町で例の事件と同じ手口の死体が出た。」

日本支部の抱える聖騎士が、電話越しにメフィストに吼えた。







この、正十字騎士團において前代未聞の事件は、この電話のあった日から一月ほど立て続き、その後パタリと終息を見せた。
犯人もその目的も謎のまま日本支部の資料室へと封印されたこの事件の資料を、メフィストが再び開くのはそれから16年後のことである。
犠牲になった祓魔師の数は38名、人一人分となった奪われた肉塊の行方はそれまでわからなかった。

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