08



縁側で藤のお香を焚いていた名前の元に、義勇の鎹鴉がやってきたのは10分前の事。



『義勇、音柱と帰還』



それだけ言ってヨボヨボともう一度飛び立ったのだ。まだ夜更にもなっていない、先程日が沈んだばかりに帰ってくる事など珍しく名前の頭にははてなが浮かぶ。
しかも帰ってくる時に鎹鴉を遣す事なんてないのに、今回は何故わざわざ寄越したのか。

その後5分もしないうちに玄関が揺れた。
冨岡が帰って来たのだと思い、玄関の扉を開けると着流しを着た無駄に顔が整っている大男が酒瓶を肩に担ぎ名前に微笑んでいるのだ。



「あんたが冨岡の嫁さん候補ねぇ、案外地味だな」
「どっ、どちら様ですか…?」



今日は満月で辺りは月明かりに照らされ、普段よりもその大男が鮮明にみえる。
そう言えばあの日もそうだった、名前がこちらへ来た日も大きく丸い月が辺りを照らしていたのだ。
脳裏であの光景がちらつき、扉を開けた手が震えだす。呼吸が乱れ動機が激しくなるのを感じる。

違う、あの日とは逆だ。扉の外にいるのは私ではない、大丈夫、あの日みたいにはならない。
心の中で叫んでも頭や身体は一向に信じてくれない。
ついには過呼吸で頭に酸素が回らず、視界がぐるぐると揺れだした。



「おい、大丈夫か!?」



呼吸が整わない、吐くのはどうすればいいのだろう。吸っても吸っても酸素は肺に入っていかない、吐かなければ。
倒れぬ様に開けた扉を掴んでいたが、その手にも力が入らなくなり後ろへ傾いたその時あの半々羽織が見えた。


冨岡は名前が地に着く前に優しく抱き抱え、そのまま自宅に入り近くにあった紙袋を名前の口元へ当てた。
あまり感情を出さない彼が不安そうにこちらを見つめている、さっきまでの恐怖は何処へやら彼の腕の中はやはり心地よく数回袋の中で呼吸をすると落ち着いた。



「すまない、鴉を飛ばしたが遅かったか」



まだ少し頭が冴えない名前の頬を冨岡が優しく撫でる。その手にすがる様に名前も頬を寄せる、色を取り戻してきたそれを見て安心した義勇は小さく微笑んだ。



「悪りぃな、ここまで酷いとは思わなかったぜ」
「…いきなり来られるとこうなる」
「そうだな、一杯やろうかと思ってたがあんなの見せられたら申し訳ねぇや」



まさか声をかけただけで、パニックを起こされるとは思ってなかった宇髄をとりあえず居間まで通した。
名前は何事もなかったかの様に炊事場で、冨岡の夜食の準備をしているのだろ。暖かい空気と共に良い出汁の匂いが2人の鼻腔をくすぐる。



「確かに毎日こんな匂いしてたら、お前でも胃袋掴まれるな」
「匂いだけじゃない味もだ」
「あーぁ、期待してたんだがな」



宇髄は残念そうに一升瓶と腰を上げ、そのまま玄関の方の襖を開けようとしたが先に襖が開きそこには名前がいた。

目の前に宇髄が立っており一瞬怯んだ表情を見せたが、何とか笑顔を貼り付け声をかける。



「おっ、お帰りですか?」
「ああ、奥さんには悪い事したな、驚かせてすまなかった」
「いえ、私こそとんだご無礼を…」



顔を見ただけで過呼吸を起こし倒れるなんて失礼にも程があるだろう。
先程の事を思い出ししゅんと沈む名前、その頭を宇髄が上から撫でる。ここへ来て冨岡以外の男性に触れられたのは初めてで両肩がビクっと跳ね上がった。

汗が噴き出たが思ったより優しい手つきて撫でてくれる宇髄に少し警戒心がとれた、一方その様子を見ていた冨岡は胸が騒つく。
自分以外に触られて抵抗もしない名前に「こいつは嫁が3人いる男だぞ騙されるな」とと叫びたい気持ちをぐっと押し殺す。



「今日は一旦失礼するわ、また昼間来さして貰う」
「あっ、あの!」
「ん?」



帰ると言う言葉に反応した名前はぱっと宇髄を見上げる。
改めて顔を見ると信じられないくらい色男で、頬が赤くなるのを感じた。私の発言に顔を傾けて問いかける宇髄は凄く絵になっまたまた冨岡は赤く頬を染める名前を見て胸の騒つきが余計増したが、腹が減っているのかも知れないと、自分に言い聞かせた。



「もし良かったら軽く食べて帰られますか?」
「えっ、いいのか」
「はい、冨岡さんのお夜食が出来たのでよかったら一緒にどうぞ」



もう一度宇髄を居間に座らせ、2人が話している間に出来上がった月見蕎麦を2人の前に出す。
濃いめの出汁に蕎麦と今日の月の様な卵、青いネギが彩りで乗せられていた。
汽車内で弁当や天むすを食べた2人だが、その匂いと見た目に思わず生唾を飲んだ。



「あんた蕎麦も打てるのか」
「いえ、ご近所さんから頂いて…」



冨岡を見送った後、ご近所に住むご年配の奥様が打ち立ての蕎麦をお裾分けで持ってきてくれたのだ。丁寧に一食分ずつにしてくれており、名前も夕食は月見蕎麦を食べた。

明日の朝、任務から帰ってきたら湯がいて食卓に出そうと考えていたが早めの帰宅と宇髄の来客もありこの蕎麦に助けられた。

しかもその奥様は、先日立ち話をしている時に冨岡さんがよく食べると話した事も覚えてくれており、他のお家へのお裾分けより多めにしてくれたのが嬉しかったと2人に話した。



「ご近所付き合いも完璧とはな、逆に冨岡には勿体ない位の嫁さんだな」
「さっきから嫁さんって言ってくれてますが、唯の居候の身なので…」
「…」



話の途中だが、冨岡が無言で丼鉢を名前渡すと名前はそそくさと炊事場へ姿を消し、しばらくすると居間に戻って来て先程と同じ様に盛られた月見蕎麦を冨岡に手渡す。
そんな光景をみた宇髄は関心を覚えた、短期間で冨岡が何を望んでいるか等よく理解し行動する彼女を見て汽車での考えが間違っていたと改め直した。



「こりゃ、冨岡もぞっこんになるわな」
「…宇髄、それは誤解だ」
「ぞっこん?」



ぞっこんなわけないじゃないか、私はただの居候で向こうに帰るまで保護されているだけ。
そんな優しい彼に興味があるのは確かだが、冨岡さんはそうではないだろう。

さっき私は彼に優しく抱きしめられて胸が高なったが、冨岡からしてみれば保護対象に何かあっては困るから優しく介抱するのだろう。
あのお館様と呼ばれる人がこの人達の上司である事はわかる、その人からの命令で私を保護している事も。でなければこんな得体の知れない女を自宅でなんか誰が匿うのだろうか。



「冨岡さんは優しいから」
「…名前?」
「そう勘違いされてしまうんですよ、もっと強く否定して下さいね」
「…こりゃ、一筋縄ではいかなそうだな冨岡」



宇髄のその発言の意味が分からず、名前は首を傾げた。
宇髄と冨岡ら啜っていた蕎麦を一度置き一つため息をつく。それと共に今日の夜食会はお開きとなった。




2人きりになった水柱邸は一気に静まり返る、しかしいつもの夜より暖かく感じるのは隣の部屋には冨岡がいるからだろう。

夜になると急に不安になる、冨岡のお陰で毎日忙しく日中はその事も忘れている事も多いが布団に入るとこの冷たさや虫の声、川の流れる音と共に不安が訪れ名前にのしかかる。
毎晩涙が溢れ出し、泣き疲れて眠るのだ。
今も布団に入り冨岡が隣の部屋にいる安心感を感じたのも束の間、やはりその不安は訪れ涙が伝った。
しばらくそのままでじっとしていると、襖がスパンと勢いよく開かれた。



「冨岡さん?」
「…怖い夢でもみたのか?」
「大丈夫です、煩いですよねすぐ止まるので」



襖で区切ってあるが防音とは程遠く、鼻のすする音や息遣いが筒抜けだったのだろう。
冨岡も疲れているのにそんな音を立てられたら迷惑だったに違いない。
慌てて自室から出て行こうと冨岡が開けた襖を潜り出ようとした。



「どこに行く?」
「今日は居間の方で寝ます」
「何故だ」
「泣き声とか鼻の音とかうるさいですよね」


冨岡は優しく名前の手を握る。
冷たく冷え切った手は小刻みに震えている、多分自分には感じられない程の不安や恐怖が彼女にのしかかっているのだろう。
姉を失ったばかりの自分もそうだった、錆兎が居なくなったあの時も。

その手を引き、彼女を優しく自分の胸に招き入れる。



「本当に冨岡さんは優しすぎます」
「…」
「こんな事されると勘違いしちゃう」



抱きしめた名前の後頭部を一方の手は優しく撫で、もう一方の手は背中をぽんぽんと落ち着かせる様に叩く。すると名前のだらりと落ちていた腕が伸びて、冨岡の背中にある着物を掴んだ。

何故こんなにも名前が気になるのだろう。
泣いていれば優しくしてあげたい、苦しんでいればその苦しみから解放してやりたい。
姉に似ているから?いや、それだけでは無くなっている。


その理由はなんなのか、この時の冨岡にはまだわからないのだった。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -