漆黒のアタラクシア #15 「いや〜…疲れた!」 ざわざわと騒がしい観客席には、先ほどまで対戦していた正邦の選手達の姿も見える。 敵側のベンチ付近では秀徳の選手が真剣な表情で何かを話しているようだ。 そんな緊迫した雰囲気の中、日向の溜息混じりの台詞に皆は少し肩の力を抜いた。 「今日はもう朝から憂鬱でさ〜。二試合連続だし王者だし、正邦とやってる時も倒してももう一試合あるとか考えるし」 同じように考えていたらしい小金井が小さく苦笑を浮かべる。 伊月も分かりやすく肩を竦めてみせ、土田がそれに同意するように一つ頷いた。 「けどあと一試合、もう次だの温存だのまどろっこしいことはいんねー。気分すっきり、やることは一つだけだ!ぶっ倒れるまで全部出し切れ!」 「「「おお!!」」」 気合を入れるように声を張った面々に、リコは満足そうに強気な笑みを浮かべる。 スターティングメンバーがコートに入っていく中、ベンチに戻ろうとした黒子は緑間が自身に近づいてきた事に気付いて体を反転させた。 「緑間くん」 「まさか、本当に勝ち上がってくるとは思わなかったのだよ」 「……」 「だが、ここまでだ。どんな弱小校や無名校でもみんなで力を合わせれば戦える…そんなものは幻想なのだよ。お前の選択がいかに愚かか、この試合で教えてやる」 テーピングを取り除いた手で眼鏡のブリッチを上げる。 揺るぎない勝利を確信している緑間を、黒子は静かに見つめた。 この試合がどれだけ誠凛側に不利であるか、そんな事は知っている。 例え同じように二試合連続だと言っても、緑間は前の試合で体力を温存できたが、ほぼフルメンバーで試合に挑んでいる誠凛ではそれが出来ない。疲労度で言えば圧倒的にこちらが不利なのは、会場に居る誰もが理解していることだろう。 しかし分かっていても、「だから負ける」とは言い切れない。 例え体力面で不安があったとしても、それでも彼らは「勝つ」と信じたいし、信じている。それが仲間というものだと思うから。 穏やかな笑みを浮かべた黒子に、緑間が戸惑ったように眉を顰めた。 「人生の選択で何が正しいのかなんて誰にも分かりませんし、そんな理由で選んだわけではないです。それに、誠凛は弱くありませんよ。もちろん火神くんも」 「そうは思わんのだよ」 「負けません。絶対に」 「それはただの希望だろう」 「そうですね。でも、まだ結果は出ていませんから。信じる事は自由です」 そう言い切って真っ直ぐに見上げてくる黒子に、緑間はどこか眩しそうに眼鏡の奥の目を細めた。 そのまま無言で黒子に背を向けてコートに入る。 それを見ていた高尾が軽くからかうように緑間の肩を叩いた。 「挨拶は黒子だけでいーのかよ?火神は」 「必要ない。あんな情けない試合をする奴と話すことなどないのだよ。もし言いたい事があるようならプレイで示せ」 突き放す物言いに火神が振り返るのを、揉め事を懸念した日向が制止する。 しかし火神の表情は日向が思っていたものとは違い、苛立ったようなそれではなかった。 「同感だ。思い出すだけで自分に腹が立ってしょうがねぇ。フラストレーション溜まりまくりだよ。だから、さっさとやろうぜ。全部闘争心に変えてテメーを倒すために溜めてたんだ。もうこれ以上は押さえらんねーよ」 野生を思わせる好戦的な色を瞳に浮かべ、口角を上げてそう言った火神に黒子は苦笑に似た笑みを浮かべる。 さっきまで随分と落ち込んでましたもんねぇと内心呑気に、睨みあう二人をベンチに腰掛けた状態で眺めていた。 「やれるものなら、やってみろ」 背を向けてコートの中央へ向かう緑間を「うちも負ける気ねーから!」と勝気に笑った高尾が追いかけた。 同じように整列するために中央へ向かおうとした火神は、思い立ったように足早にベンチに戻ってくるとその勢いのまま黒子のすべらかな頬に唇を押し付けた。 軽いリップ音が騒がしい会場内で何故か耳に響く。 真横でそれを見ていた降旗達がなにやら観客席の方を見て顔を青くしたり、ハリセンを手にいい笑顔を浮かべるリコを後ろから羽交い絞めにする土田が居たりしたのだが、火神は一切気にせず、突然の行動に瞳を瞬いて首を傾げる黒子に闘志溢れる笑みを向けた。 「じゃ、行ってくる」 「いってらっしゃい、火神くん。僕は、ここから見てますから」 「ああ!」 こつりと額を合わせて笑いあう二人に、整列しながらも黒子達の様子を窺っていた緑間が腹立たしげに強く床を蹴ったのだった。 誠凛ボールから始まった試合は、開始から数分間、お互いに一本も取れず均衡状態を保っていた。 観客席の盛り上がりは薄く、時折小さくざわめく程度。 やはり一筋縄ではいかないなと黒子は試合の展開を見守る。 第一Qが残り8分に差し掛かった時、事態が動いた。 ゴールリングに弾かれたボールを素早く拾った大坪が「速攻!」という掛け声と共に高尾に回し、高尾は受け取ったボールを後ろ手に緑間へと流した。 日向が慌ててディフェンスに向かうが間に合わず、緑間は何の気兼ねもなくスリーポイントラインからシュートを放った。 高く高くボールは天井付近まで上昇し、そのまま落下してゴールに向かう。 すでに緑間はゴールに背を向けている。入らない、という事態を想定していない、確固たる自信に基づいた行動だった。それを見ていた黒子も他の選手達も、緑間のシュートが外れるとは思っていないだろう。 黒子は素早く火神に視線をやり、それに気付いた火神が頷いて反対側のゴールに向かって走り出した。 次に小金井と伊月にも視線を流す。 すでに二人は予定していた場所で待機しており、黒子の視線に目を細めて応えた。 日向と水戸部もさりげなく立ち位置を調整し、ベンチに一度視線を送る。 「成功すっかな?」 「してくれなきゃ困りますね」 不安そうな降旗の声に、黒子はコートから目を離さずに答えた。 直後、ゴールリングに掠りもせず、緑間の打ったボールが秀徳に先制点を入れる。 スコアボードの秀徳側に3の数字が表示された。 やっと動き出した試合に、観客席が沸きあがる。 バウンドしたボールをコート外で拾った小金井は、そのまま上半身を半回転させて伊月に向かってボールを思い切り横投げした。 ほぼ水平に勢いよく飛んだボールはスティールされることなく、センターライン上に居た伊月の掌に納まる。そして伊月もまた小金井と同じフォームで、今度は反対側のゴール下に居る火神に向かってボールを投げた。 一番距離が近かった木村が伊月の方へ向かうが、間に合わない。 他のメンバーも誠凛がやろうとしている事に気付いて走りだしたが、すでにボールは火神の手の中にあった。 高く跳躍した火神が、見事にダンクを決める。 観客席からは大きな歓声が上がった。 「う、うわっ!成功した!」 「良かったー!!」 「上手くいったわね!」 打ち合わせどおりの展開に、ベンチ組を含め誠凛側は安堵の息を吐く。 緑間のシュート対策にと考えた作戦だったが、実はかなり不安要素が多かったのだ。 本当は黒子のサイクロンパスを教えられたら良かったのだが、体を回転させた後のコントロールが上手く行かず明後日の方向へ飛んでいくばかりで誰も習得出来なかったので、結局センターラインで中継する事にしたのだ。その分止められる可能性が高く、得点出来る確率が下がるのがネックだったが、今回は成功して本当に良かった。 「そう簡単に第一Qを取られると困りますからね」 静かに微笑んで呟かれた黒子の言葉が聞こえたわけではないだろうに、緑間は険しい表情を浮かべて黒子を見据えた。 *** 黒子が出場しないと試合展開が苦しい(´・ω・`) |