漆黒のアタラクシア #06





集中してください。
今は僕の声だけ聞いて。集中して。
君なら出来ます。大丈夫。
数えますよ。15からです。


(15、14、)


そう、ゆっくり。右手はもっと早く。


(13、12、11、)


集中です。ボールを見て。


(7、6、)


人の動きを読んで。集中。


(3、2、1)


―――ほら、出来た。


(……あぁ)


透き通った思考の先で、耳の奥に蘇った声が響く。
深く静かに息をついた先に見えるのは、たおやかに笑う水色の影。





***





途中、危うげな場面もあったものの、結果的に誠凛が勝利を手にした。
ブザービーターと共に決まったダンクに、ベンチに居た一年は手を取り合って喜ぶ。
リコは満面の笑顔で拳を握り締め、コートに居る先輩達は満足そうな顔で最後の一本を決めた火神を祝っていた。


「見てたか!黒子!」
「はい。上手くいきましたね」
「おう!」


渡されたタオルで汗を拭って楽しそうに笑った火神は、黒子の頭をくしゃくしゃと撫でた。
ぼさぼさになった髪に黒子が止めてくださいと言うのも気にせず、今度は整えるように優しく撫ぜる。
くつくつと笑う火神はまさに上機嫌で、今だコートで愕然とした表情で立ちすくむ黄瀬とは雲泥の差だ。
数秒彷徨った視線が火神とじゃれる黒子に向けられる。
途端にボロボロと泣き出した黄瀬に、その場の人間はぎょっと肩を震わせた。
ざわめきが観客まで広がるが、本人はまったく気にした素振りも見せずに黒子だけを見つめ続けている。


「く、くろこっち」
「黄瀬くん」
「黒子っち…おれ、まけ、っ」
「はい、負けましたね。どうでした?火神くんも結構やるでしょう」
「結構、は余計だ」


こつんと額を小突かれて黒子は小さく笑う。
そんな二人の仲良しっぷりに更に泣き出した黄瀬はとうとうしゃがみ込んでしまった。
くろこっち、と名を呼ぶその声は弱々しい。
周りはそんな黄瀬をどう扱っていいか分からずに慌てており、黒子はやれやれと盛大に溜息を落とした。
その音にびくりと肩を震わせる黄瀬は、それでも顔を上げようとせずに黒子の名を呼ぶだけだ。


「黄瀬くん」
「…っ」
「楽しかったですか?」
「そ、んなの…っ」
「僕は、楽しいバスケがしたいです。楽しめるバスケが見たいです。勝ち負けより何よりも。君はどうでした?」


顔を伏せたまま首を横に振る黄瀬に、黒子はゆるく目を細めて近づく。
その頭に触れるか触れないかというところで、黄瀬はその伸ばされた手を縋り付くように抱きこんで、その腕に額を押し付けた。


「黒子っち…」


俯いたままなので表情は見えない。
バランスを取るために片膝をついて黄瀬の行動を受け入れた黒子が「はい。なんですか?」と言葉を返す。


「酷いっスよ黒子っち怪我したって聞いて俺どうしようかと思ってずっと会いたくて探しててでも病院は面会謝絶だって断られてなのにずっと俺黒子っちのこと待ってて電話に出れなかったから怒ったんスかでも仕事で出れなかっただけで黒子っちが嫌いになったわけじゃなくて黒子っちが俺のこと嫌いになったんスかだから電話でてくれなかったんスか会ってくれなかったんスかじゃあ俺どうしたらねぇどうしたらいいっスかなんでそんな奴なんて連れてきたの光ってなにそんなの嫌だ黒子っち黒子っち黒子っち黒子っち黒子っち黒子っち黒子っち黒子っち」
「黄瀬くん、ストップです」


皆さん引いてますよ、と抱きついたまま捲し立てる黄瀬を宥めながら言えば、言葉こそ静止したものの、腕はいまだに離してくれる様子はない。
眉を顰めてそんな様子を見ていた火神は「…Are you crazy?」と無駄に良い発音で呟いた。さすが帰国子女、でもなんか腹立つ。


「…なんなんだ、こいつ」
「すみません。たまにこうなるんです」
「いや、たまにってお前…大丈夫なのか?」
「特に問題は起こってませんし。発作みたいなものだと思えば、まぁ」
「いやいやいや」


ヤンデレェ…というドン引いた顔をしている両校の先輩方に申し訳なくなりつつも、黒子は自身の腕を取り戻すべく力を入れてみる。
ぴくりともしない。
これだからモデル()は!と現状に一切関係のない事を心の中で毒付きつつ奮闘していると、そんな様子を見かねたのか、火神が左腕を黒子の腰に回して引っ張り上げた。
右手は黄瀬の肩に掛かっていたので、結果的に黄瀬から引き離す事に成功する。
あ、と顔を上げた黄瀬の泣きはらした目が火神を捉え、今度はぎろりと睨みつけてきた。


「言っとくけど、まだ認めたわけじゃねーっスから!」
「あ?」
「確かに俺は負けたけど!黒子っちのことは絶対諦めないっスよ!」
「しつこい男は嫌われんぞ」
「火神殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「…火神くん。スイッチ押さないでくださいよ」
「…悪い。でもお前のことは譲れねぇだろ」
「まったく」


苦笑した黒子が未だに腰に回したままだった火神の腕を軽く叩いて離してもらうと、そのまま座り込んだままの黄瀬に近寄る。
何か言おうとした黄瀬を制し、その頭をやわらかく撫でた。


「黄瀬くん。嫌いになったりなんてしませんよ。だから火神くんにそう吼えないでください」
「でもっ」
「僕のいう事きいてくれないんですか?」


こてりと首を傾げると、黄瀬は言葉を詰まらせた。
しかし「…でも、」だのとまだ不満そうにする黄瀬の唇に人差し指を押し当て、サービスですよと心の中で呟いて、鮮やかに笑って見せる。
それはあまりにも蠱惑的な微笑みだった。
ボンッと音がしそうなほど一瞬にして顔を赤く染めた黄瀬が、陶酔したような視線を黒子に向ける。


「いい子な黄瀬くんが僕は大好きですよ。だから大人しくしていてくださいね?」
「…黒子っち…」
「お返事は?」
「わん!」


本日一番のいい笑顔で鳴いた黄瀬に、満足そうにその頬を撫でてやる黒子。
不機嫌そうに眉を顰めてそれを見る火神。
そんな3人以外のその場の全員は、とんでもなく引き攣った顔で空笑いを浮かべていたのだった。





***
月夜ばかりと思うなよ…な黄瀬くん。
黒子っちには忠犬、黒子っちに近づく奴には狂犬。
永遠の飼い主→くぅううぅrrrrrろこっちぃいいいぃいいイェア!
一時的にお世話してくれる人→笠松先輩!

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