星に願いを
愛する二人が、星の川を渡って再会する、一年に一度の、特別な日。
―星に願いを―
「…わぁ」
思わず感嘆の声を漏らす。
部屋の窓から覗いた空には、うっすらとだが美しい星群が散らばっていた。
こんな都会の汚い空に見えるなんて、思いもしなかった。
「すごい…」
子供のようにはしゃいで、目を細めてしばらく天の川を見つめた。
「あっちが織姫で…こっちが彦星、かな」
ふとその瞬間、彼の存在が頭をよぎった。
…彼が異国へ旅立ってから、一年以上が経過していた。
連絡先は知っていたが、彼の誕生日と僕の誕生日以外で連絡をした事はほとんどなかった。
国際電話だから高くつくという現実問題もあるのだけれど、本当は、声を聞くだけで泣いてしまうから。
電話が繋がっている間はなんとか我慢するけれど、通話を切ってからはもう、堰を切ったように涙が止まらなくなってしまう。
だからあえてほとんど連絡を取らなかったし、彼からもそうだった。
…でも、今日だけは。
七夕伝説に倣ってみるのも悪くないかもしれない。
携帯を手に取って、やたらと長い番号を呼び出す。
コール音のしている時は、いつもかなり緊張してしまう。
そして唐突に、その無機質な音がぷつりと途切れる。
「…もしもし」
久しぶりに聞く、耳に心地好い低音。
息が詰まるほど、心臓が高鳴った。
「……手塚」
先程まで準備していた台詞は、すべて頭から吹き飛んでいた。
その代わりに、ほとんど無意識に言葉が滑り出る。
「…逢いたかった」
言ってから、はっと我に返って、頬を赤く染める。
…逢った訳でもなんでもないのに。
「あ、…ごめん」
「…いや、」
機械越しに鼓膜を震わせる、愛しい恋人の声。
「俺も丁度、不二の事を考えていた」
…あぁ、そうだった。
こいつは時々、平気でこういう事を言う。
電話の向こうまで聞こえそうなくらい、鼓動が高まる。
「…あ、あのさ、今、空がすごく綺麗なんだ」
ごまかすように、少々無理矢理に話題を変えた。
「…ああ。確か今日は七夕だったな」
時差からして、向こうはまだ真昼だろうか。
街の賑わいが微かに聞こえる。
「俺も見られたら良かったんだがな」
「天の川も見えてるよ。くっきりとまではいかないけどね」
朧げに空に流れる川を見上げて答えた。
「だから、僕の彦星に連絡してみたって訳」
ほんの冗談のつもりで言ったのに手塚は、
「…そうか、ならお前が織姫か」
なんて真面目な声で言ってくる。
「織姫なんて、キャラじゃないよ」
「俺はそうでもないと思うが?」
真面目に言っているのか、からかっているのは、声だけではわからない。
表情を見れば、そんな事すぐにわかるのに。
胸の奥が、きゅん、と痛くなった。
ふと、向こう側で誰か人の声がした。
手塚は、それに短く返事をしたようだった。
「…すまない、不二。今日はもう…」
横目でちらりと時計を見る。
まだそんなに時間は経っていなかった。
「いいよ。こっちこそごめんね」
昼間とは違う涼しい夜風が頬を撫で、髪を梳いていった。
まるで、手塚の大きな手のように。
「…また、連絡する」
「…うん。またね」
軽く目を閉じて息を吸い込む。
少しだけ緊張しているのが自分でもわかった。
「……大好き」
一瞬の間があって、声が返ってくる。
「…ああ。俺もだ」
携帯をゆっくり耳から離して、微かに震える指でボタンを押す。
最後の手塚の言葉が、心地好く頭の中でリフレインしていた。
熱を持った携帯を傍らに置き、改めて空を見る。
…僕の願いは、本当に些細な事も数に入れれば、それこそ星の数ほどある。
一番の願いだって、叶いそうにないのだ。
だけど。
今頃彼らは再会を喜び合っているだろうか、と思う。
それでもまだ、人の願いを叶えてくれる気があるのなら。
…僕は目を閉じてそっと祈った。
短冊に書かなかった、一番大切な願い事。
『手塚に、会いたい。』
小さく口に出して呟くと、夜空に架かる白い川の星たちが、
きらりと煌めいた気がした。
[*prev] [next#]
[back]