ふたりのしあわせ


※未来捏造




深い深い海の底に沈んでいた意識が、少しずつ、ふわふわと浮かんできて、水面に顔を出す。

まだ頭がぼんやりしているけれど、とりあえず起き上がろうとして小さく唸りながら肘をついて上体を起こす体勢に入る。

そこでようやく重たい瞼をこじ開けて、


「…!」


びっくりした。

そりゃあ、目を開けて至近距離に人の顔があったら誰だって驚くだろう。

静かな寝息を立てているその顔までは、わずか10cmくらいだろうか。

…えーと、これは、どういう状況なのかな。

まだどこかぼんやりする頭の中で記憶を辿る。

買い物から帰って来て、手塚が買ってくれたサボテンを寝室に置きに来て、電話がかかってきて、手塚がそれに応対しに行って、何気なくベッドに横になって、…

…それがどうして目を覚ますと手塚が至近距離で寝ているという状況になるのか。


「…手塚?」

「……」


小さく呼んでみて反応がないので、軽く頬をつついてみた。

すると、いつもみたいに眉間に皺が寄って、それからその下の瞼がゆっくり持ち上がる。

もうとっくに陽は西に傾いているけれど、おはよ、と声を掛けた。


「…おはよう」


まだ覚醒しきっていない瞳と目が合う。

それがなんだか可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまった。

なんてことはない、ありふれたシチュエーションだけれど、僕達にとってはちょっとだけ新鮮な感じがする。

念願叶って二人で暮らし始めたはいいけれど、手塚は僕が起きる頃にはもういないし、僕が待ちくたびれて眠ってしまってからようやく帰ってくる、という生活を繰り返していた。

たまの休みに手塚が家にいても、ゆっくり休ませてあげなければならないと、向こうから言い出さない限りは何もしなかった。

身体を重ねる事はおろか、会話すらまともにできない日々。

彼は忙しいのだから仕方ない、どうしようもないのだと自分に言い聞かせて耐えてきた。

そんな僕の気持ちにようやく神様が目を向けてくれたのだろうか、二人の生活を始めてから初めて迎える僕の誕生日に、(ちゃんと、4年に一度のその日に、)手塚の休みが取れたのだ。

加えて手塚が、今日一日は何でも言う事を聞く、なんて言ってくれたから、嬉しくて、手塚を買い物に連れ回してしまったりもした。


「ごめん、疲れたよね」

「いや、それほどでもない」


もうすっかり目が醒めたらしく、いつもの瞳に戻った手塚が言う。


「今日は不二の言う通りにする約束だ」


こんな事まで生真面目で、でもそれが手塚らしいなあ、と思った。

そうしたらなんだか無性に彼が愛しく思えてきて、堪らなくなって、体を起こした手塚に思いっ切り抱き着いた。

当然僕は、何の構えもなかった手塚ごと再びベッドに倒れ込む。

いつもやたら広く感じるベッドは、難無く衝撃を吸収して僕達を受け止めた。


「…不二?」


頭の上から手塚の戸惑った声が聞こえてきて、思わず、ふふ、と笑い声が漏れる。

すると、初めてそうしてくれた時から少しも変わらない、ぎこちない手が僕の背中に回ってきて、僕は嬉しくなってまた笑ってしまう。

同時に、なぜだか涙が込み上げてきて、慌てて手塚の胸に顔を押し付けた。


「どうかしたのか?」

「…ううん、大丈夫」


泣きそうになっているのを知られたくなくて、抱きしめる手に力を込めた。

久しぶりに手塚を全身で感じて、あぁ、やっぱり彼が好きなんだ、と思う。


「…ねぇ、手塚」

「なんだ、不二」


未だにお互い、苗字で呼び合っているけれど、


「おなかすいた」

「…そうか」


胸を焦がすような愛の言葉はないけれど、


「何か作るか?」

「…うん、後でね」


二人でいるだけで、どうしようもなく幸せで。


「もうちょっとだけ」

「…ああ」



もうちょっとだけ、このゆったりした、大切で愛おしい時間の中に留まっていたいと思った。









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