たん、と勢い良くエンターキーを叩いて、天を仰いで息を吐いた。ぐぐっと両腕を上げ背筋を伸ばしていると、静かに襖が開けられる。 「あ、終わったか? お疲れ、ハニー」 そう言って笑顔でマグカップを差し出したカラ松にお礼を返す。彼はそのまま私の斜め前に腰をおろし、円卓に片肘をついた。 「透視でもしてたのかってくらいナイスタイミングだったね」 「面白いことを言うな、ハニーは。流石にすべてを見透かすことは出来ないが、タイミングが良かったというならそれは導かれるべくして導か」 「いただきまーす」 「あ、ああ、召し上がれ」 長くなりそうな口上を断ち切って、マグカップに口を付ける。家で仕事をすることが多い私に、カラ松はよく飲み物を作ってくれる。最初こそ、「何か飲むか?」と訊いてくれていたけれど、その度に私が首を縦にしか振らず、且つ「何でもいい」としか言わないことに気付いたのか、今ではこうやって何も言わずに用意してくれる。メニューはローテーション。今日はミルクティーだ。 冷ますために一度ふーっと息を吹くとミルクの甘い香りが鼻孔をくすぐる。カップを傾けたとき、視界にカラ松の姿が入った。片肘をついている手がぎゅうっと強く握りしめられていて、ああ、愛しいなぁと思う。あまりに可愛いので、意地悪くたっぷり時間をかけてから、彼が一番欲しがっている一言を口にした。 「美味しい」 「、そうか!」 「甘くしてくれたんだね、ありがとう」 「ああ、ハニーは甘いのが好きだろ?それに、疲れている時は糖分が良いって言うからな」 花びらでも舞いそうなほどご機嫌な笑顔を浮かべながら、手元に置いてあった雑誌を見もせずにぱらぱら捲っている。 カラ松が最初に淹れてくれた紅茶は、一体どれだけティーバッグを浸せばこうなるのかというくらい濃くて、飲めたものではなかった。飲んだけど。 何度か失敗を経て、今では茶葉でも上手に淹れられるし、きっと自分でも味を確かめているだろうに、毎度のように緊張した面持ちで、私が「美味しい」の一言を紡ぐのを待っている。健気だ。 結局一度も視線を遣ること無く雑誌をぱたりと閉じ、彼が「そうだ」と声を上げた。 「ハニー、何か食べたい物は無いか」 「ん?んー……あ、シュークリーム食べたい」 先程の、疲れた時には、という言葉が残っていて、お菓子が食べたい気分だった。時間的にもおやつ時だ。しかしカラ松は私の答えを聞いて、きょとんとした表情を浮かべた。そしてすぐに、楽しげに顔を綻ばせる。 「すまない、俺の訊き方が悪かったな。今宵のテーブルを彩るメインには何がお望みかと訊ねたつもりだったんだ」 「……ああ。もう買い出し行くの、早いね」 「4時からタイムサービスなんだ。卵が安いぞ」 ポケットから小さく畳んだ広告を取り出し、広げて見せてくる。家事が楽しそうで何よりだと思いながら覗き込むと、卵のところにご丁寧に丸が付けてあった。 「ねぇ、一緒に行っていい?」 「構わないが……、疲れてないか?大丈夫か?」 「うん、大丈夫。それに、出さなきゃいけない郵便物もあるから」 「そうか」 「コート取ってくるね。あ、あと」 「ん?」 「ハニーはね、オムライスが食べたいです」 「お、いいな。じゃあ夜はそうしよう」 買い足す物は、とメモをし始めたカラ松を背に部屋を出て、寝室のクローゼットから藍色のコートを取り出す。靴下越しでも冷たさが伝わる廊下を早足で歩き居間に戻る。扉を開けるとちょうど「よし」とカラ松が声を上げた。彼の背後からメモを覗き込むと、一番上に「シュークリーム」と書いてあって、思わず盛大に吹き出してしまった。 「な、なんだ?どうした?」 「いや、っ、何で一番に、それ、っふふ」 「え、だって、食べたいって言っただろう!」 「言った、けどっ、オムライスに必要な物書いてるって思、っ」 「それもちゃんと書いたぞ、ほら!」 「ちょっ、今それ見せないで、笑うっ、っあははっ!」 「見てなくても笑ってるな!?」 目に浮かんだ涙を拭い息を整え、少し落ち着いたところで改めてメモを見ると、ちゃんとオムライスに必要な材料も書いてあった。それでも、特売の卵より先に書かれたシュークリームの文字に、どうしたって頬が緩んで、どうしようもなく愛しいなぁと思ってしまうのだ。 「ふふっ」 「まだ笑うのか!?」 「ごめんごめん」 「……買ってやらないぞ、シュークリーム」 「えー、私のお金なんですけどー」 包み込んでも、とろけるような 次男語を習得したい。 16.02.02 |